歩き出した道1
軽くノックをして入室したジェイクは、真っ直ぐベッドへと向かい、様子をうかがうように眠っているローズの顔を見下ろす。
ローズが子犬を聖獣へと属性強化させてからすでに三日が経過し、その間、彼女は眠り続けていた。
最初は、時折、食べ物に関する幸せそうな寝言をローズが発するため、すぐに目覚めるだろうとあまり心配はしていなかった。
しかし、同じ様に気を失ったミアは一日も経たず気がついたこともあり、未だ起きる気配のないローズに、ジェイクは不安を募らせ始めていた。
女性の部屋に勝手に入るのは良くないとわかっていても、突然具合が急変するのではと考えてしまえば我慢できず、こうして頻繁に様子を見に来てしまっている。
「ローズ。早く目覚めてくれ」
ぽつりと名前を呼びかけても、彼女は反応を示さない。
初めて会った時よりも、髪の艶は増し、頬はほんの少しふっくらしたように見える。目を閉じていてもわかるほど、まつ毛は長く、ピンクの色の唇は……口づければ、柔らかな弾力を感じ取れるだろうと想像し、ジェイクは焦ったようにローズから目をそらす。
しかし、ローズの口から寝息と共に小さな吐息がこぼれると、ジェイクは再び彼女に視線を戻す。
ジェイクは躊躇いながらもゆっくりと手を伸ばし、ローズの温かで滑らかな頬に触れ、慈しむように優しく微笑みかけた……その瞬間、前触れもなく、ローズがパチリと目を開けた。
数秒見つめ合った後、ローズは自分の頬に触れているジェイクの手へちらりと視線をむけて気にするような仕草をする。そして、「どうして触っていますの?」といった不思議そうな顔で、あらためてジェイクを見つめた。
ジェイクは弾かれたようにローズの頬から勢いよく手を離し、「す、すまない。誓って、頬以外は触っていない。本当にすまない」と気まずさいっぱいに謝罪の言葉を口にした。
深く反省している様子のジェイクに、そこまで気にしていないローズは苦笑いしながら体を起こす。あくびをひとつ挟んでから、窓から見える空が夕暮れ色に染まっていることに気づいて、わずかに目を大きく見開いた。
「今、夕方なのですか? どうやらわたくし、寝過ぎてしまったみたい」
「三日間眠っていたから、寝過ぎと言えばそうかもしれないな。具合はどうだ? 目眩がしたり、吐き気がしたりはしないか?」
「いえ、なんとも……え? い、今、三日とおっしゃりました?」
確認の問いかけに、ジェイクが頷いて答えて数秒後、ローズは気を失った時の記憶を取り戻す。身を乗り出し気味にジェイクの腕を勢いよく掴んで、自分の元へと引き寄せた。
「そうでしたわ! あの男の子と子犬さんは無事でして?」
一気に互いの距離が近くなったことにジェイクは再び狼狽えるも、自分に真っ直ぐ向けられているローズの表情から不安な気持ちを読み取り、安心させるように微笑みかけた。
「大丈夫、どちらも元気だ。男の子は母親と一緒に昨日屋敷に来た。ローズに会えないと分かると、また日を改めると言ってすぐに帰っていったけど。それから子犬の方は……」
話が子犬の方へ移ると同時に、ちょうど廊下から可愛らしい鳴き声が聞こえてきて、ローズは思わず扉の方を見た。すると、ドアが開き、子犬を抱っこしたアーサが室内に入ってくる。
「ローズお嬢様! お目覚めになられたのですね。良かった。心配しましたよ」
「心配かけてごめんさなさい。でもたくさん寝たので、わたくし、とってもすっきりしております」
アーサがホッとした笑みを浮かべると、抱きかかえていた子犬が腕の中でもがきだす。アーサが床に降ろしてあげると、そのままローズに向かって駆けてきた。
ベッドに飛び乗ろうとしてもうまく出来ずにいる子犬へと、ローズは手を伸ばす。優しく体を撫でながら、穢れの気配がないことと背中の傷がしっかり塞がっていることを確認したのち、気になったことをぽつりと呟く。
「時々、子犬さんの体がキラキラ輝いているように見えますわ。わたくし、目だけ疲れが取れていないのでしょうか」
「いいや、そう見えるのは、この子を聖獣に進化させたからだ」
「聖獣に? ジェイク様、そんなこともお出来になるのですね。すごいですわ」
「違う。俺じゃない。ローズがミアと力を合わせて、属性強化錬成を成功させたんだ」
ジェイクから苦笑いで告げられた事実に、ローズはポカンとしたまま「わたくしがですか?」と疑問符を浮かべた。自分の手に視線を落として、子犬と相対していた時、ミアの小さな手が自分の手に重なったことぼんやり思い出していると、ぐううとローズのお腹が空腹を主張した。
「ミアとフェリックスもそろそろ帰ってくると思いますし、お食事の準備をしますね」
アーサはふふふとご機嫌に笑ってから、張り切るような足取りで部屋を出て行った。
「なんだか急にお腹が空いてきましたわ」と呟きながら、ローズがベッドから降りようとすると、ジェイクが手を差し出してくる。
ローズはにこりと微笑んでから、彼の手を取ってベッドから立ち上がった。うまく足に力が伝わらず、よたつきながら共に部屋を出る。
「ミアとフェリックスは、どこかに出掛けておりますの? ……ま、まさか、怪我をして、王立医院へ診てもらいに? 大変ですわ!」
自分達を必死に追いかけてくる子犬に笑顔を浮かべながら何気なく問いかけたローズだったが、ふっと頭に浮かんでしまった嫌な妄想に一気に顔を青くする。
「元気だから心配ない」
ジェイクはしっかりとローズの手を掴んで階段を降り、そのまま誘導するように居間に置いてある思いの結晶をためている瓶の前へとローズを連れて行く。
「わたくしが眠っている間に、増えていますわ!」
数えるほどだったはずの思いの結晶が、今は四分の一くらいまで溜まっていて、驚くローズの視界にふわりと飛んできた新たな思いの結晶が映り込む。それはゆっくり瓶の中へ吸い込まれると、すでに溜まっている思いの結晶の上にポトリと落ちて、ころんと転がる。
「またひとつ増えましたわ!」
「溜まっていた分は、あの日のローズの頑張りが大きいと思うけど、今のは確実にミアの頑張りで得た思いの結晶だろうな」
「ミアは今、どこで何をしておりますの?」
「ローズが休んでいる間に、少しでも思いの結晶をためたいって、城の裏庭に手伝いに行ってるんだ。とは言え、ミアも倒れているし、あまり無理をさせるわけにはいかない。だからそうさせないように、見張り役としてフェリックスがついて行ってる」
ローズが「そうだったのですね」と感動に声を震わせると、また新しい思いの結晶が瓶の中にポトっと落ちていった。
「やっぱりわたくし、頑張り屋さんのミアを、国守りの精霊にしてあげたいですわ!……そう言えば、思いの結晶をためる方法を閃きましたの。早速実行に移して、休んでいた三日ぶんを、早く取り戻さないといけませんね! 最後まで諦めませんわ!」
やる気をみなぎらせているローズを、ジェイクはまぶしげに見つめて、ミアが「じっとしていられないから、今から孤児院に手伝いに行きたい」とフェリックスを通して言ってきた時のことを思い出す。
せめて、今日くらいは休むべきだとジェイクが返すと、彼女は「このままではローズが可哀想。私はローズをジェイク様の正妃にしてあげたい」と強く訴えてきたのだ。
ローズはミアのために、ミアはローズのためを思って動こうとする。ジェイクはふたりを良いコンビだと改めて思う。
「倒れそうな時は、俺がまた支えてやるから、自分のやりたいように頑張れ」
「ありがとうございます! 頑張りますわね!」
ローズとジェイクが顔を見合わせて微笑み合った時、玄関の呼び鈴が鳴る。ローズの周りをウロウロしていた子犬が真っ先に居間を飛び出し、玄関へと向かっていくと、少し遅れてアーサが廊下を進んでいく。ほどなくして玄関から戻ってくる足音が聞こえてきた。