試練と成長4
わずかながら足を引きずっているのを見てとって、ローズはブラウンの腕を掴んで自分の肩に回すと、支えるようにして共に歩き出した。
「なんだお前は!」
「足も痛いのでしょう? わたくし実は今ちょうど、薬箱を持っていますの。わたくしの練習台になってくださいな」
怒鳴りつけた瞬間は怯んだにも関わらず、にっこり笑いかけてきたローズに逆にブラウンがたじろぐ。ローズの指摘通り、男は足も痛かったようで、「あのベンチに座りましょう」という誘いに反発する気力も起こらぬ様子で、ローズに支えられながらゆっくりと歩き出す。
二人並んでベンチに腰掛けると、ローズは持っていた薬箱を傍らに置く。早速、ブラウンはローズに促され、嫌そうにズボンの裾を捲り上げた。
「まあ、こちらも咬み傷ですわね。化膿してますわ! それに……」
足首の傷は膿んでいて痛々しい見た目であるが、それ以上にローズが眉を顰めたのは、傷口から足首に穢れの森で見かけたものと同じ黒いモヤがまとわりついていることだ。
穢れのことを言葉にするのをためらっていると、ブラウンが気だるそうに続けた。
「さすがバレンティナから後釜を決める権利を託されただけある。お前さんにはこの穢れがしっかり見えているようだな」
「腕の傷は穢れまで受けていなかったと記憶しております。足の方が状態も悪く、痛みも強いでしょうに、どうして黙っていたのです?」
「穢れを払えるくらい腕の良い医師に診てもらうとなると、治療費が物凄く高くなる。しかも、完全に払うこともできないから、頻繁に通わなくてはいけなくなるし、俺のように、仕事を引退し、細々と暮らしている者には大きな痛手だ」
ブラウンのぼやきに、「そういうことでしたのね」とローズは顎に手を当てて考え込む。
「俺は、光の魔力を多少扱えるから、わずかでもこまめに払うことでなんとか凌いでいるが、金もなく、自力でなんとかできない奴らは、四六時中、痛みに付き合うしかない」
ブラウンは「もういいだろう」と気だるく呟いて、ズボンの裾を下ろそうとしたが、ローズが素早くその手を掴んだ。
「わたくしも、穢れを払ってみたいです。挑戦させていただいてよろしくて?」
「お前さんが? ……別に構わないが、この穢れは、俺の体の中にいるからか、そこらへんで見かける汚れより、光の魔力への耐性があるぞ。払っても払っても、まるで巣でも作られているみたいに傷口から穢れが出てくるし、うっかりすると、お前さんも穢れに攻撃される可能性もある」
「せめて一回分だけでも、ブラウンさんの肩代わりができるように、頑張って穢れを払ってみます」
ローズはにっこりと笑ってから、すっと真剣な面持ちとなり、足首の傷へと両手を伸ばす。気持ちを集中すると同時に目を閉じて、手の先にある蠢く穢れの気配をはっきりと感じ取る。
「……穢れよ、浄化なさい」
力強く命令を下すと共に、ローズを中心として波紋を描くように、光の魔力が放出される。
ドジだと思っていた相手が秘めていた圧倒的な能力を目の当たりにし、ブラウンはごくりと唾をのんだ。
ローズはゆっくりと目を開き、冷たい眼差しを傷口に向けた。光の波動に押し流され、かき消された穢れが、今また傷口から這い出てこようとしている。
「しぶといですわね」
ローズはため息混じりにぼやくと、次の瞬間、右手で穢れをむんずと掴み、そのまま腕を後ろへと大きく引くようにして、穢れを引き摺り出した。
巨大なミミズのような形態に、ミアとブラウンは唖然とし、空いた口が塞がらない。
ひっぱり出されたことに慌てふためいているのか、もがくように身をくねらせるが、ローズは離してなるものかと、しっかり握りしめた。
「迷惑をかけてはいけません!」
穢れに強い口調で注意した途端、穢れ全体が光の網に包まれた。網は穢れ共々、徐々に縮小していき、最後には光の粒子となって散霧する。
ブラウンは穢れの気配が消えた自分の傷口と、少し疲れがうかがえるローズの顔を交互に見た。
「すごい。完全に穢れを払った」
「わたくし、払えました? でしたら痛みももう感じませんね。お役に立てて良かったです」
ローズは改めてブラウンの傷口を確認し、薬もしっかり塗らなくてはいけませんねと、薬箱をじぶんの元に引き寄せる。
「先ほど王立医院で使ったものはどれでしたでしょうか……きっと、これですわ!」
中には塗り薬がいくつか入っていて、ローズはどれを使えばいいか少し考えた後、青色の蓋の物を掴み取る。
するとすかさず、ミアが身振り手振りで薬を間違えていることを伝え、赤色の蓋の方を必死で指差した。
「そうでしたわ。こちらでしたね。教えてくださってありがとうございます」
ミアが両手でガーゼの切れ端を抱え持って、精霊たちの水飲み場ともなっているすぐ近くの噴水へと向かい、水で濡らし戻ってくる。それをローズが軽く絞ってから、ブラウンの傷口の周りを軽く拭き、時々「痛い!」と喚くのを笑顔で聞き流しつつ、薬を塗る。残りのガーゼでミアが患部を抑え、ローズが不器用に包帯を巻き始める。
ミアに巻き方を注意され、身振り手振りの指示を受けつつ何度かやり直したあと、不恰好さは直らなかったものの、ようやく巻き終えることができた。
「なんとか出来ました。さっきよりは何倍も良い出来ですわね!」
ローズは達成感に満ちた顔で、そしてミアは苦笑いで、ハイタッチする。その姿をしらけた顔で見ていたブラウンだったが、わずかに口元に笑みを浮かべた。
「そこの精霊さん、王立医院ではハラハラした様子で見てただけだったけど、しっかりお嬢さんを支えてて、言葉で通じ合えなくても、お前さんたちはちゃんと繋がってるみたいだな。なかなか良いパートナーじゃないか」
ブラウンはローズとミアに交互に視線を向けながら、淡々と語りかけた。
「その言葉、とっても嬉しいですわ!」
両手を合わせて嬉しそうに笑ったローズに、ブラウンは少しばつの悪そうな顔をし、逃げるようにベンチから立ち上がった。
「もうすっかり暗くなっちまったな。昼は大人しくても、夜になると凶暴化する獣が多くなってきているし、さっさと帰るか」
「夜になると獣が凶暴化するのですか? 夜間はまったく外出しませんから、気づきませんでしたわ」
「俺は月を眺めながら散歩するのが好きだったんだが、それでこの有様だ」
言いながらブラウンは、月を探すように闇に染まりつつある空を見上げた。寂しそうな横顔を見つめながら、ローズは疑問を口にする。
「動物たちはいったいどうしてそのようなことに」
「穢れの森があるだろ。穢れが動物たちを狂わせているんだ」
屋敷の窓から見える穢れの森の鬱蒼とした様子を思い返しながら、精霊たちだけでなく動物たちにも悪影響を与えているのかと考えていると、ブラウンが軽く足を引きずりながらゆっくりとベンチから離れていく。
「ブラウンさん、お大事に! 痛みが続くようなら、必ず王立医院で診てもらってくださいね」
ローズが大きな声で話しかけると、やや進んだ先でブラウンは肩越しに振り返った。
「お嬢さんも、獣が狂い出す前に家に帰るといい」
「わかりました。そうしますわ」
ローズがにっこり笑って言葉を返すと、ブラウンはやや間を置いてから、気まずそうにぽつりと呟いた。
「それから……手当てしてくれてありがとう」
その瞬間、ブラウンの肩から思いの結晶がふわりと浮かび上がり、そのままローズの目の前を通って、屋敷の方向へと飛んでいく。
「こちらこそ、ありがとうございます!」
ローズの喜びのひと言に、ブラウンは何を言っているんだという顔をしてから、ローズたちに背を向け、歩き出す。
「思いの結晶、飛んで行きましたわ! やりましたね!」
結晶が見えていないミアは、はしゃぐローズを戸惑うように見つめていたが、やがて嬉しそうに笑みを浮かべた。