ローズの選択1
ローズがジェイクの別宅で暮らすようになってから一週間が経った。
朝日が差し込む部屋の中、ベッドで微睡んでいたローズは、一階の廊下を足速に歩く音を耳にして慌てて飛び起きた。
「寝過ぎてしまいましたわ! はやく朝食の準備の手伝いを……」
ふと言葉を途切れさせ、一拍置いてから部屋を見回した後、ここはセレイムル邸ではないのだと理解が追いつき、心の底からホッと息をつく。
「体に染みついた習慣はなかなか抜けませんわね」
寝坊をしてしまうと、朝食にありつけないこともあったため、これまでずっと起床時間にはひどく敏感になっていた。そのためか、ここ一週間、人の気配を感じては、もう不必要となった焦りと共に飛び起きてばかりいる。
ローズは苦笑いしながらベッドから降りて、窓際に置かれてある小さな丸テーブルの前に立った。
通常は花瓶を置いたりするのだが、数日前からそこにはバスケットが乗っていて、敷き詰められたふかふかの毛布にくるまるようにして、ミアが眠っている。
「おはようございます、ミア!」
明るく声を掛けると、ミアがゆっくりと目を開けて、寝ぼけ眼でローズを見上げる。しかし、再び眠りに落ちるように目を閉じたため、ローズはミアの毛布を引き剥がしにかかった。
「二度寝の気持ちよさは、よくわかりますけど、起きてくださいな!」
ローズがミアと毛布の引っ張り合いをしていると、アーサが朝の挨拶をしに部屋に入ってくる。
朝から賑やかなふたりの様子を微笑ましそうに眺めながら、「そろそろ、おふたりの朝ご飯の準備が整いますよ」と声をかけ、朝の新鮮な空気を部屋に取り込むべく窓を開け放つ。
「今日はミアも呼ばれているのですよね? 早く準備を整えて、一緒に行きましょう」
ローズのその言葉で一気に眠気が吹き飛んだかのように、ミアは目を大きく見開き、同時に浮かない様子となる。
そしてポールハンガーにかけられてある、今日着るためにと昨夜準備したローズの他所行きのドレスを切なげに見つめる。
「バレンティナ様はどのようなお方なのでしょうか。お会いするのが楽しみですね」
ローズがにこやかに思いを言葉にすると、ミアは掴んでいた毛布を手荒にローズへと押しつけ、あっかんべーをしてから窓から外へと飛び出していった。
ローズは慌てて、窓から身を乗り出しながら外を見た。
「ミア! どこにいますの? 戻ってきてくださいな。もうすぐ朝ご飯ですわよ!」
何度か呼びかけてみたが、戻ってくる様子はない。ローズは気落ちしつつ、アーサに促されるままに寝間着から普段着用のドレスへと着替えて、一階へと降りた。
「わたくし、気に触ることをしてしまったのでしょうか。無理やり起こそうとしたのがいけませんでした? ……それとももしかして、一晩中、何かとてつもない寝言をブツブツ言ってしまっていたとか?」
口を両手で押さえて顔を青くしたローズに、アーサは苦笑いする。
「そんなにお気になさらなくても、ミアはすぐに戻ってきますよ」
「そうだと良いのですが……お友達になるって、難しいですわね」
魔法石ランプを使っての錬成に成功した日から、ミアはジェイクがいなくても屋敷に姿を現すようになった。
しばらくすると、さりげなくもローズの手伝いをしてくれるようになり、三日前からローズの部屋で寝泊まりまでするようになっていたのだ。
心の距離が縮まったのを感じていたこともあり、振り出しに戻ってしまったようで、ローズは切なくて仕方ない。
そして、ミアと同じように屋敷に入り浸るようになった者は他にもいる。
アーサに開けてもらった扉から食堂へと入り見つけた姿に、ローズの笑みがわずかに戻る。
「おはようございます、ジェイク様! フェリックス!」
ジェイクは読んでいた紙面からローズへと視線を移動させ、口へと運びかけていたティーカップをソーサーへと戻す。そしてテーブルの上で胡座をかいて食事をしていたフェリックスも、パンを持ったまま、ローズへと顔を向ける。
「おはよう、ローズ。浮かない顔してどうした?」
「もしかして、今日はバレンティナ様との面会があるから、緊張しているのか?」
以前城で会った上位精霊から言伝があり、今日これから、バレンティナとの面会の予定が入っている。
本来ならば、この面会はジェイクの花嫁候補として認めてもらえるかどうかの試練であるため、フェリックスの言う通り緊張していてもおかしくはないのだが、認められなくても問題ないローズにとっては違う。
「いいえ。前にお話で聞いた聖樹も見られるでしょうし、たくさんの精霊さんがお集まりになられるとも思いますので、わたくし、バレンティナ様との面会はとっても楽しみに思っておりますの」
「それじゃあ、どうしたんだ?」
ローズが向かい側の席に腰掛けるのを待ってからジェイクが問いかけると、ローズは悲しそうに肩を落とした。
「わたくし、朝からミアを怒らせてしまいました。ミアも一緒にバレンティナ様のところへ行けたらと思っていましたのに、どこかへ飛んでいってしまわれましたわ。出発の時間までに戻ってくるでしょうか?」
気にかけるように窓へとちらちら目を向けるローズに、フェリックスはスープを飲み干して一息ついてから、肩を竦めて喋り出す。
「あいつは気分屋だもんな……でも、花嫁候補としてバレンティナ様から許可が降りた場合、ローズがペアの相手として誰を選ぶのか気になるだろうし、絶対に集会には顔を出すと思うぜ」
フェリックスの話を聞いて、ローズは難しそうな顔をする。そして自分達の近くに誰もいないのを確認してから、こそこそとジェイクに話しかけた。
「わたくし、うっかり浮かれてしまっていましたが……もしかして、バレンティナ様には会いに行かず、辞退を申し出た方がよろしかったでしょうか?」
「……え?」
「前に、わたくしは深く踏み込まなくていいと仰ってくださいましたでしょ? 万が一、ジェイク様の婚約者候補になる許可が降りてしまったら、面倒臭いことになりそうですし」
悪気ない顔でそう言い放ったローズを、ジェイクは無表情で見つめ返し、しばし動きを止める。その後、狼狽えるように視線を揺らして、ぎこちなく頷いた。
「た、確かに言ったな……でも別に、断るのは今じゃなくても良いんじゃないか? バレンティナと会うのを楽しみにしているみたいだし、聖樹だって見たいだろ? 許可が降りなくて、そこで終わることだってあるかもしれない」
「そうですわね! わかりましたわ。許可をもらえなかった時は、ものすごい形相で悔しがってみせますわね」
「あ、ああ。楽しみにしている」
ジェイクが感情のこもっていない声で相槌を打ったところで、アーサがローズの朝食をトレーに乗せてやってくる。具沢山のスープを目の前にして、「美味しそうですわ」と嬉しそうに口元を綻ばせたローズを、ジェイクは複雑な面持ちで眺めていたが、テーブルに乗せていた手をフェリックスから慰めるように叩かれて、「やめろ、余計に惨めな気持ちになる」と短くぼやいたのだった。
結局、予定時間になってもミアが戻ってくることはなく、ローズは屋敷を出た。
魔法石ランプをこれでもかというくらい設置し、結界を張り巡らしたため、屋敷の周りは空気まで澄んでいる。
大きく深呼吸してから、ローズはジェイクと共に馬車に乗り込んだ。
目的地は町の西側にある湖の真ん中にある森の小島である。そこはバレンティナや聖霊たちが暮らしている場所であるため神聖な場所とされていて、人間が許可無く立ち入ることはもちろんのこと、湖自体にむやみに近づくこともよしとされていない。