ミア2
白馬を連れて歩き出したイヴァンテを先頭にし、ジェイクが歩き出す。ジェイクを追いかける形でアーサとローズ、その後ろに侍女ふたりが続く形で、六人は洋館の左側へと向かって小道を進んでいく。
まず現れたのは厩舎で、アーサが水や藁を用意し、白馬が休める環境を整えている傍で、イヴァンテたちが乗ってきたのだろう茶色の毛並みの馬をローズはジェイクと共に撫でた。
次に、ジェイク自ら管理しているという、花がたくさん咲き、蝶も多く飛んでいる温室を案内され、最後に整備された庭園を進み、立派な木がひとつだけポツンと植えられている場所へと移動する。
屋敷に到着してから時折視界を掠める黒い影のようなものを、ローズはここでも感じながら、大きな木へと突き進んでいく。そっと手のひらで幹に触れると、そこからふわりと温かな風が生まれ、ローズの髪をわずかに揺らす。
「も、もしかして、この大木は光の魔力を備えていらっしゃいますの?」
肩越しに振り返ってローズが問いかけると、ジェイクはすぐに頷いて認める。
「よくわかったな。この屋敷の東側に「穢れの森」と呼ばれる森が広がっていて、そこに溜まってしまう穢れをなんとか緩和させようと、いくつか聖樹を植えてあって、これがそのひとつだ」
「先ほどからちらちらと影が見えておりましたから何かと思っていましたが、近くにそのような森がございますのね。シェリンガムには精霊さんたちが多くいらっしゃるのに、ここでは全く姿がないと思っていたら、きっと理由はそれですわね」
「穢れの側に住まわせてしまって、すまない。まあしかし、光の能力者である君はあまり感じないと思うけど、穢れに対する恐れのようなものが本能的に働いているせいか、狙われやすい精霊はもちろん、人間もあまりここには近寄ってこないから、俺は比較的のんびり過ごせているが」
ローズは微かに蠢いている黒い影へ視線をむけ、以前、アルビオンの国守りの精霊と対峙した時のことを思い出し、わずかに身を震わせる。
「あれは穢れと呼ばれているものだったのですね。改めて見ても、やっぱり気味が悪いですわ」
「……あの時は、払うの大変だったろ?」
「えぇ、もっと大きくて禍々しいものがアルビオンの国守りの……」
ジェイクの口車に乗せられて答えかけたローズだったが、途中で言葉を切り、ぎこちなく笑ってみせた。あの出来事はミレスティの手柄となっているし、黙っているべきだという考えと、もう彼女からは離れたのだし、ジェイクになら本当のことを話してしまっても良いのじゃないかというふたつの考えの板挟みに合う。
ローズは頭を悩ませた後、ひとまずこの件に関しては保留とし、話を逸らした。
「……そ、それにしても、初めて聖樹というものを見ました。シェリンガムには素晴らしい樹木がございますのね」
「これは錬成によって人工的に生み出された聖樹なんだ。自然が生み出した聖樹はもっと大きくて、たとえ老木であっても、見るものを圧倒するくらい生命力に満ちていてる」
「聖樹を作り出すことができるのですね。すごい才能ですわ」
「才能ならローズにもある。やる気になれば、ローズもすぐに錬成術を扱えるようになるよ」
ローズは木の幹から離した自分の手のひらをじっと見つめ、「わたくしにも?」と自問自答するかのように呟いた。その一方で、アーサは複雑な面持ちで、ローズを見つめた。
「戻るか」というジェイクのひと言で、一行は今来た道を引き返し始める。
途中で、ローズは何度も後ろへ振り返った。その度、慌てて木に隠れたミアの姿をはっきりと見て取り、思わず口元に笑みを浮かべたローズへと、ジェイクが小声で話しかける。
「ミアも俺たちについてきたようだな。またローズに迷惑をかけることになるかもしれない」
「あら、わたくし、迷惑だなんてちっとも思いませんでしたわよ。今日会った精霊さんのたちの中で、一番可愛らしく思えたくらいですもの」
イヴァンテが押し開けた扉から、ローズたちは屋敷の中へと入っていく。クリーム色の落ち着いた色合いの壁に、所々風景画が飾ってあるくらいで、目立った装飾はない。
窓から温かな陽光が降り注ぐ廊下を進み、居間へと通されると同時に、置いてあった箒や雑巾の入ったバケツをアーサが慌てて片付けに入る。
「失礼いたしました。こちらの居間まで手が回りませんでした。しかし、ローズ様に使っていただくお部屋など、本日生活するにあたって利用されるだろう場所は、一通り掃除が終わっております。その他もすぐに清掃を行いますので、今しばらく我慢いただけましたら幸いです」
「普段使っていると言っても温室くらいなもので、俺も最近はあまり屋敷の中に立ち入ってなかったんだ。だから掃除も時々しか入ってもらっていなくて。すまない」
イヴァンテとジェイクに気を遣われ、ローズはにこやかに手を横に振ってみせた。
「なんの問題もございません。こう見えて、お掃除は得意な方なので、これからわたくしもお手伝いさせていただきますね」
「ほほほ」と朗らかに笑うローズに、ジェイクは小さく笑みを浮かべ、侍女ふたりとイヴァンテはキョトンとする。居間に戻ってきたアーサは、「相変わらずですね」と懐かしみながら嬉しそうに呟いた。
それから若い侍女たちは夕食の準備に取り掛かるべく厨房へ向かい、ローズは再びジェイクとフェリックスに屋敷の中を案内してもらう。自室となる二階の角部屋や、広々とした食堂にお風呂場などを見て回り、そのすべてに「なんて立派ですの!」と目を丸くし、圧倒され続けた。
良い匂いが漂ってくる厨房の横を通りすぎた後、居間に戻る途中でジェイクが呟いた。
「今夜は俺もここで夕食を食べて帰ろうかな」
「ぜひそうしてくださいませ! まだジェイク様とお話足りませんわ!」
その発言にすぐにローズは反応し、嬉しそうな足取りとなった彼女に、ジェイクは少し気恥ずかしげに、口元に笑みを浮かべた。
食堂に入ろうとジェイクが扉へ手を伸ばした時、訪ねてきた騎士団員と玄関先で話をしていたイヴァンテから、すかさず声がかけられる。
「ジェイク様、そろそろ城にお戻りになられた方がよろしいかと。国王様がお呼びだそうです」
ジェイクは足を止め、ちらりとローズに目を向ける。それからゆっくりとイヴァンテに視線を移動させ、不満そうな顔をした。
「ローズと一緒にここで夕食を済ませてから、城に戻るつもりでいたんだが」
「至急戻って来いとのことです」
「……父上に仕事を振られる予感しかしない」
前髪をかき上げつつぼやいた後、ジェイクは諦めのような短い息をつく。扉に伸ばしかけていた手を引っ込めて、ローズへ向き直った。
「ローズ、すまない。ここは大人しく城に戻っておくことにするよ」
「仕方ありませんね。今度、時間に余裕がある時にでも、一緒にお食事をさせてくださいな」
「あぁ、約束する。近いうちに必ず」
残念な気持ちを隠しきれないが、それでもにこやかに笑うローズと、ジェイクが約束の言葉を力強く交わしていると、ジェイクのそばを浮遊していたフェリックスがそろりとローズの方に向かっていく。しかし、すぐさまフェリックスはジェイクにむんずと捕らえられた。
「フェリックス、どこにいく?」
「え? ……い、いや。俺は泊まっていこうかなと思いまして」
「ダメだ。お前も帰るぞ」
口元は笑っているが、目は完全に笑っていないジェイクに、フェリックスは「ヒイッ!」と小さく叫んだ。怖気付いていたが、ジェイクが自分を掴んだまま玄関へ向かい始めたことに気づくと、フェリックスはジェイクの手から逃れようともがき始める。
「なっ、なんでだよ。別に良いじゃんか!」
「良くない」
廊下に出てきたアーサと共にローズもジェイクを見送るために玄関から外に出ると、ちょうど、イヴァンテが馬を二頭連れてやって来た。