いざ、シェリンガムへ5
「わたくしは、世間知らずで無知な人間で、それを負い目にも感じていましたが、これから知っていけばいいとジェイク様に言ってもらって胸が熱くなりました。町の外には素晴らしい景色が広がっていて、あの動物はシャインという名で、野生だと群れで暮らしているというのをしっかり学びました。これからもっとたくさん見聞きして、学んで、心を豊かにしてみせますわ」
「ふふふ」と嬉しそうな笑い声を挟んでから、ローズはジェイクに笑顔を向けた。
「ジェイク様は真っ直ぐでいて強い信念をお持ちです。それでいて、私のような者を放っては置けないほど心根もお優しい。ジェイク様と出会えたことは、わたくしにとって宝です」
今度はジェイクがローズの言葉にハッとさせられ、わずかながらも頬を赤く染めていく。フェリックスにニヤニヤと笑われたことで、ジェイクは自分の頬の熱さに気付いたようで、顔を隠すように右手で口元を隠した。
ジェイクの仕草を見て、フェリックスは面白がるようにさらに笑みを深め、王妃は驚きに満ちた顔をする。一方で、ローズは顔を青ざめさせ、慌て出す。
「ジェイク様、ご気分が優れないのですか?」
「あ、いや、大丈夫。気にしないでくれ」
「逆だよ逆! 嬉しくてたまらなって顔だろ」
「おい、お前は黙ってろ」
フェリックスから頭を突っつかれ、おまけに余計な一言まで食らい、ジェイクは赤い顔のままじろりと睨みつける。
「気持ちが悪いのかと思って、びっくりしましたわ。でもそうではなく、むしろ嬉しいというのならなんの問題もないですわね。わたくしもなんだかつられて嬉しくなってまいりました。美味しそうなお料理に囲まれて、またさらに嬉しいですわね」
手をぴったりと合わせて、にっこり微笑んでから、ローズはスプーンを手にとる。スープを口に運び、「こんなに濃厚なお味のスープは生まれて初めてですわ」と目を輝かせた。
そんなローズの様子を呆気に取られた様子で見つめていた王妃だったが、徐々に神妙な面持ちとなっていく。
「姓をセレイムルと言いましたね。アルビオン国のパーセル家の長女がセレイムル公爵家に嫁いだと記憶していたのですが……あなたはエマヌエラの娘?」
それは叔父夫婦の話だとすぐに分かり、ローズはスプーンを置いてから首を横に振って否定する。
「いいえ、違います。エマヌエラさんは、わたくしの叔父にあたるエドガルドさんの奥様で、わたくしの母ではありません」
「まぁそうだったのね、良かったわ! あのいけ好かないエマヌエラの娘に、まさか私の可愛くて優秀な息子が骨抜にされてしまうなんてと、とっても憂鬱だったけれど、違ったのね。心底ホッとしたわ」
あっけらかんとそう言って退けた王妃にキョトンとするローズの横から、ジェイクがため息をつきつつ注意した。
「母さん、心の中で思うのはともかく、誰かの前で言わない方がいいよ。そのセレイムル公爵の娘がゆくゆくはハシントンの正妃になる予定だから」
「ハシントン王子の正妃に? それなら、アルビオン国の大聖女にもなるってことよね。シェリンガムも負けていられないわね」
闘志を燃やしながらの王妃の言葉を、ローズは重く受け止めて、わずかに表情を曇らせた。
国のメンツとして、ジェイクの花嫁には、ハシントンの花嫁であるミレスティに引けを取らない娘を希望しているというのなら、やはり自分では力不足だと再認識する。
まだ辞退するタイミングではないかしらと頭を悩ませたローズを見つめていた王妃が、我慢でいなくなったかのように切り出した。
「ところでさっきから私、ローズさんに見覚えがあるように思えて仕方ないのだけれど……あなたの両親のことを聞かせてもらってもいいかしら?」
「もちろんです……ですが、両親は二歳の時に事故で亡くなっているので、わたくし自身、ふたりのことは覚えておりませんの。人づてに聞いたことで良ければ、いくらでもお話しさせていただきますわ」
顔色を失いつつも、真剣な顔で自分の話に耳を傾けようとしてくれている王妃に向かって、ローズはにっこりと笑いかけてから、朧げになりつつある記憶を辿る。
「わたくしの父は、ハロルド・セレイムル。剣の腕が立ったと聞いております。そして母は、マリアンと言いまして……」
「マリアン!? それは確か? 旧姓はストリンヒでなくて?」
ローズから飛び出した名前に王妃は大きく反応し、椅子から腰を浮かし、前のめりになりながら興奮気味に早口で捲し立てた。
「……名前はマリアンで間違いないと思いますが、旧姓まではわかりません」
「あなた、母親似だと言われたことは?」
「……ええ、確かに。昔、セレイムル家に召使いとして働いていた女性から、似ていると言われたことがあります」
すっかり忘れていたが、王妃の質問によって、かつてアーサから「髪や目の色や雰囲気など、お母上にそっくりです」と言われたことがあったのをローズは思い出した。
「そうよね、やっぱりあなたそっくりだわ、若い頃のマリアンに」
「母を知っているのですか?」
「知っているもなにも、マリアンは私の親友よ。……私が一方的にそう思っていただけかもしれないけれど」
王妃という高い身分の方が、母親を知っていただけでも驚きなのに、親友と呼べるほどに強い繋がりがあったことに、ローズは衝撃を受け、言葉が出てこない。
それだけでなく、王妃が昔を思い返して寂しげな顔をしたことに、一体なにがあったのかと胸が苦しくなる。やや間を置いてから、王妃がその理由を口にした。
「マリアンは私にひと言の相談もなく、ある日突然、好きな男性を追って家を出てしまった。アルビオンのどこかで元気に暮らしているものだとばかり思っていたのに……そう、マリアンはもう……」
両親は事故で亡くなっていると前置きのように伝えてある。両親の記憶がないローズにとっては、さらりと言ってしまえる事実であるが、母と多くの思い出があるだろう王妃にとってはそう簡単に受け止めることではないだろうと、自然とローズの表情も暗くなる。
王妃は涙の溜まった目尻を指先でそっと拭ってから、しっかりとローズとジェイクの顔を交互に見て、王妃たる凛とした空気を放ちながらにこりと笑いかけた。
「私の息子がマリアンの忘れ形見を見初めて帰ってくるなんて運命ね。私たち夫婦は、ローズさんがジェイクの花嫁候補になることを許可します!」
まさか顔を合わせて数分で可否が下されるとは思ってもいなかったローズは、キョトンとしたまま瞬きを繰り返す。ジェイクも唖然とした顔で王妃を見ているため、同じ思いでいるのが伝わってくる。
「……お、王妃様。そんなにあっさり、お認めになってしまって、よろしくて?」
「えぇ、ジェイクの花嫁候補選出に関しては、私に一任されているから、問題ないわ。……と言っても、ここからが本番よ」
王妃の声が好戦的に響いたため、ローズはハッとし、気持ちを引き締めた。
「ジェイクの花嫁になる女性は、国守りの精霊の相棒となれる力を持っていなくちゃいけない。そしてジェイクの代は国守りの精霊の代替わりとも重なっているため、新たな時代を精霊とともに切り拓いていける強さもなくてはいけません」
結局は自分には関係ないと分かっているのに、王妃の説明を聞いているうちに、不思議とローズの鼓動が高鳴り出し、わずかながらも使命感のようなものが生まれたことに動揺する。
「ここから先、精霊たちに認められるには、ジェイクとの相性よりも、聖女としての才能の方が重要視されます。厳しいことを言うけれど、望み通りの結果が得られなかったとしても、自分には他の人生もあると前向きに受け止めてちょうだい」
ローズは心の中のざわめきを追い出すべく深く息をついてから、真っ直ぐに王妃を見つめ返し、力強く返事をした。
「わかりました。悲観せずに新たな人生を見つけますわ」