いざ、シェリンガムへ4
「降りるぞ」と呟いて先に馬車を降りたジェイクを追いかけるように、ローズも座面から腰を上げて、様子をうかがうように恐々と外へ顔を出す。
侍従や騎士団員など多くの人々が並び立ち、「おかえりなさいませ」と声を揃えて発声した後、歩き出したジェイクに対し、それぞれにお辞儀をする。
ジェイクは途中で足を止め、馬車へと振り返る。
「ローズ、早くこちらへ」
そう言って、自分に向かって手を差し伸べられたことで、ローズはハッとし、緊張気味に馬車から降り立つ。「お前は誰だ」と周囲から突き刺さってくる視線を感じながら、足速にジェイクの元へ向かう。
「彼女は、俺の客人だ。丁重にもてなせ」
ローズの腰に手を回し、そっと自分の元に引き寄せたジェイクの姿を目の当たりにして、「はい!」という威勢よい返事とざわめきが同時に起きた。
「客人って……ジェイク様があんな地味な子を?」と不満げに眉を顰めて侍女たちが小声で言葉を交わしたのをジェイクは聞き逃さず、突き刺すような眼差しを向ける。
侍女たちが顔を青ざめさせて口を閉じ、顔を伏せたのを横目で確認しつつ、ジェイクはローズを引き連れて、歩き出した。
庭から城の中へと進む中、すれ違う人々みんながジェイクに対して丁寧にお辞儀をする。それに顔色ひとつ変えずに凛とした眼差しのみで応えていくジェイクは、今まで接してきた優しい彼とは違って、纏っている雰囲気だけで威圧されてしまうほど、冷たくて近寄りがたく感じてしまうほどだ。
王子としての彼の一面を見ているように思いながら、ローズはジェイクに遅れを取らないように、必死に歩き続けた。
真っ白な太い柱が並び、磨き上げられ光沢のある長い廊下を進んでいくと、やがて大きな扉の前にたどり着く。両脇に控えていた騎士たちが「ジェイク様、お帰りなさいませ」と敬礼してから大きく扉を開け放った。
漂ってきた香ばしいパンの匂いに気をとられながら、ジェイクと共に中へ足を踏み入れると、ローズの視界に長テーブルの上に並べられた豪華な食事が飛び込んでくる。
テーブルには四十代くらいの女性が座っていて、すぐに椅子から立ち上がり、ジェイクを見つめながら嬉しそうに歩み寄ってくる。
「ジェイク、お帰りなさい」
「母さん、ただいま」
ジェイクの返事で女性が王妃だと気付き、ローズは姿勢を正す。王妃は、緊張で一気に顔をこわばらせたローズを興味深そうに見つめつつ、話を切り出す。
「昨日早馬で戻ってきた者から、ジェイクが気に入った女性を連れて帰ってくると聞いて、楽しみに待っていたのよ。あなた、お名前を確認しても?」
気に入った女性という点にくすぐったさを感じながらも、ローズは王妃に対して、精一杯礼儀正しくお辞儀をした。
「はっ、初めまして、ローズ・セレイムルと申します」
「……騎士団員の覚え間違いではなかったようね。本当に息子がセレイムル家の娘を連れて帰ってくるなんて。なんの因果かしら」
「母さん、それはどういう意味?」
「こっちの話だから、気にしないで」
王妃はジェイクの問いかけには明確に答えない。その癖、ローズに対して、わずかに嫌悪感も滲ませながらジロジロ見つめ続けていたため、ジェイクは「母さん」とたしなめる。
場を取りなすようにゴホンと咳払いしたのち、王妃はそばに控えている侍女に「ふたりの分も用意してちょうだい」と指示をして席に戻り、テーブルの傍に立っているジェイクとローズにぎこちない笑みを向ける。
「ふたりとも座って。到着してすぐで悪いけれど、食事に付き合ってちょうだい」
そんなお誘いを受け、ローズは改めてテーブルの上にある豪華な食事を見て、目を輝かせる。
「ローズ、こちらへ」
「はっ、はい」
ジェイクにエスコートされ、ローズが席に座ると、その隣にジェイクも腰掛ける。
「父上は?」
「執務室にこもっているわ。朝食と昼食は一緒に食べましたけれどすぐに戻られて、夕食はそちらでとるみたい」
「相変わらずお忙しそうだ」
「忙しいのはジェイクも同じよ。いろいろな国を飛び回っていて、城を離れていることの方が多いのだもの。今回はアルビオン国だったわね。精霊たちの様子はどうだった?」
寂しそうな王妃に対し、ジェイクは気遣うように微笑んでから、「半年前よりは多少改善してきたように思える」と真面目な顔で話し出す。
そうこうしているうちに、ジェイクとローズの前にも肉や魚などのメインの食事がどんどん並べられていく。
「これ、めちゃくちゃうまいぜ。俺の大好物だ」
「こちらのお肉ですか? とっても柔らかそうですわね」
ずっとジェイクの側を浮遊していたフェリックスが、テーブルに降り立ち、皿の中のひと口大の肉の塊を指差しながら、ローズに話しかけた。
ローズは、フェニックスの指差した先にあるお肉に視線を落としながら、うっとりしたように口元を綻ばせた。
「ローズさん、召し上がれ」
「はいっ、いただきます!」
王妃からの声かけに、ローズは嬉しそうに返事をし、フォークとナイフを手に取って、早速、フェリックのおススメを口に運ぶ。
もぐもぐ咀嚼しながら、ローズはさらに目を輝かせて、フェリックスに繰り返し頷きかける。
フェリックスと親しげにやり取りするローズの様子を見つめていた王妃はハッとした表情を浮かべてから、考え込むように顎に手をやり、静かに切り出す。
「ローズさん、ジェイクとはいつどこで知り合ったのかしら?」
正直に答えてしまっていのか、ジェイクと目を合わせて確認を取ってから、ローズは少し緊張気味に言葉を返す。
「半年前にありましたハシントン様のお誕生日パーティーです」
「半年前? っていうことは知り合ってまだ少ししか経っていないじゃない。住むところも遠いし、顔を合わせたのも数える程度なのでは? その程度では相手のこともまだよく分かっていないだろうに、住み慣れた土地を離れる決意をしてしまうくらい、王子という身分は魅力的だったみたいね」
王妃の嫌味に反応して眉をひそめたのはジェイクだけで、ローズは少し首を傾げて記憶を辿りながら話を続ける。
「ジェイク様が王子だと知ったのは、わたくしが彼に着いていくと決めた後のことでした。ジェイク様はハシントン様相手にも堂々と振る舞っていらして、どういった方なのだろうと気になっていましたが、まさか王子様だとは思いもしませんでしたわ。知った時はそれはそれは驚きまして、わたくし、しばらく開いた口が塞がりませんでした」
喋っているうちに徐々に緊張がほぐれていったようで、ローズが「ふふふ」と柔らかく笑ってみせれば、再び王妃はローズに目を奪われる。
「それでは……ええと……」と他の質問を絞り出そうとするが、少し混乱しているようで、なかなか次の言葉が出てこなかった。
「……そ、そうね。でしたら、ジェイクのどこに惹かれて、着いていくことに決めたのか教えていただきたいわ」
またローズは首を傾げて、考え込む。やや間を置いてから、言葉を選びつつ、王妃へ答えた。
「わたくしは、ジェイク様に人生の選択肢を増やしていただきましたの。いえ、きっと選択肢は元々あったのかもしれません。見えていなかったのを気づかせてくださって、でもそれを選択する勇気を持てずにいたわたくしの背中を押してもくださいました」
ローズは心の底から感謝をしているという風に穏やかに微笑んで、自分の胸に手を当てながら、しみじみと思いを伝える。