いざ、シェリンガムへ3
まだ感じるイヴァンテの視線から意識を背けるように、ジェイクは口調を明るくして、気軽な様子で続けた。
「婚約者候補と言っても、そんなに深刻に考えなくて良い。両親と国守りの精霊に一度会ってくれさえすれば、折を見て候補から外れてもらって構わない。そうすれば、俺が連れてきたからと理由をつけて、ローズが不便なく生活していけるように色々と援助しやすくなるから」
「そんなに気軽に放棄してもよろしいの?」
ローズは俯きがちだった視線を上げ、驚きと安堵の入り混じった顔をする。
「そう言えば、まだ説明していなかったな。シェリンガムでは、王族と婚姻を結ぶには、まず初めに、国王陛下と、そして国守りの精霊からも、許しを得なければならない。許可を得ることができたら、国守りの精霊から試練が課せられる」
「しかもジェイクの場合は、国守りの精霊の代替わりも絡んでくる。国守りの精霊だけでなく、王妃からも試練が言い渡されるから、めちゃくちゃ大変なんだぜ」
ジェイクとフェリックスの簡単な説明を受け、ローズは怯えたように顔を強張らせた。
「試験を受けるんですの?」
「本来なら。でも、ローズは深く踏み込まなくていい。面倒臭い事になる前に、それこそ先ほどのように怖気付きましたとでも言って、辞退を申し出てくれ」
「わかりました。……それにしても、ジェイク様の花嫁となられる方は、たくさんの試練を乗り越えなくてはなりませんのね。とっても大変ですわ」
ホッとしたあと、しみじみとそんなことを発言したローズを、腕を組んで見ていたフェリックスが、納得いかないように指摘する。
「でもさ、もしローズが、国王様に王妃様、それからバレンティナ様にまでめちゃくちゃ気に入られちゃったらどうするんだよ。簡単には後戻りできなくなって、そのままジェイクと結婚しなくちゃいけなくなるかも」
確かにといった様子で真顔になったジェイクへと、ローズは突然飛び出した知らない名前に首を傾げつつ問いかける。
「バレンティナ様とは?」
「……えっ。あぁ、シェリンガムの国守りの精霊の名前だ」
「あぁ、なるほど」とローズは呟いてから「ふふふ」と微笑んで、フェリックスの指摘をおっとりとした空気で否定する。
「それはありませんわ。わたくし、こう見えて、本当に結構なポンコツですから。ジェイク様の花嫁候補となる許可ですら得られる自信が有りませんもの」
ニコニコ顔を崩さないローズは、謙遜でもなく、心の底からそう思っていることが窺える。ジェイクとフェリックスは気が抜けたように、つられて笑みを浮かべた。
「シェリンガムについたあとは、ローズの思うようにやってくれ。ただし、困ったことがあれば、遠慮せずにちゃんと俺を頼るように。力になるから」
「ありがとうございます。ジェイク様は本当にお優しい方ですわね」
菓子を購入し、店先から足早に戻ってきたイヴァンテは、ローズの言葉が聞こえたようで、まるで自分が誉められたかのように嬉しそうに、そして誇らしげな顔をする。そしてジェイクとローズに対し、礼儀を持ってお辞儀をする。
「ジェイク様、ローズ様、お疲れになったと思います。無事購入して参りましたので、宿屋に戻りましょう」
ジェイクは「あぁ」と、ローズは「はい!」と声を揃えて返事をし、そのまま一行は宿屋に向かって歩き出したのだった。
受付がある宿屋一階は、古びた壺や鎧などの骨董品が所々飾られてはいるものの、派手さは感じられず、落ち着いた雰囲気に包まれている。
どこにでもあるような普通の田舎町の宿屋ではあったが、ローズには物珍しくてたまらなく、飾られているものだけでなく、たまたま居合わせた大荷物を背負った旅人の姿までじっと見つめてしまう。
店主の案内により、一行は最上階である三階へと階段を使って登っていく。
登り切ったとこから廊下の左側と右側では、風景が違っていた。左側は二階同様、普通の板の廊下が続いているだけだが、右側はふかふかそうな赤の絨毯が敷き詰められている。三階の右側に当たるいくつかの部屋だけ、他とはグレードが高いのだなと容易に予想できる。
その予想通り、店主に案内され、ローズが通されたのは三階の左廊下の突き当たりにあたる部屋だった。
「まあ! とっても素敵なお部屋ですわね!」
部屋はこじんまりとしていて、ベッドがふたつとテーブルにチェアやドレッサーとクローゼットなど家具も飾り気のないものばかり。いたって普通ではあるが、薄暗くて狭い屋根裏部屋で過ごしてきたローズにとっては、素敵なお部屋という感想しか出てこない。
「ジェイク様の婚約者候補のお方にこのような質素な部屋しか準備できず、申し訳ございません」と、廊下を進みながら申し訳なさそうに体を小さくしていた店主だったが、嬉しそうに笑うローズにホッとしたような顔を浮かべ、「婚約者様には心よりのおもてなしをさせていただきます」と声を弾ませた。
部屋でジェイクと夕食を取ったあと、ジェイクは自分の部屋へ戻っていく。
ローズはふかふかのベッドにちょこんと腰掛けて、「部屋が広すぎますわ」と落ち着かずにいると、ジェイクについていったフェリックスが部屋に戻って来た。「ひとりだと寂しいと思ってさ、しばらく一緒にいてやるよ!」と明るく笑うフェリックスに、ようやくローズは落ち着きを取り戻す。
それからローズは、買ってもらったお菓子を一緒に食べて、幸せいっぱいに顔を綻ばせたり、シェリンガムの有名な観光名所の話をいくつか聞いて目を輝かせたり、「ジェイクは精霊みんなに優しいのに、俺に対しては時々優しくない」というフェリックスの可愛らしい愚痴にローズは苦笑いした。
話は盛り上がり、そのままフェリックスはローズと共に寄り添うように眠りにつく。
そして、翌朝、「ローズが寂しそうにしていたら話し相手になってやれとは言ったが、一晩一緒に過ごせとまでは言ってない」とフェリックスはジェイクに不機嫌に睨みつけられ、「ほら、冷たいだろ?」とローズに泣きつくことになる。
賑やかにオルコスの町を後にし、平原をまっすぐ進んでいくと、やがて大きな門へと辿り着き、「国境だ」とジェイクがローズに説明する。
窓の向こうでは、通り抜けの許可が降りるのを待っているのか、馬車や荷車が列を作っていた。王子が乗っているこの馬車もいったん停められはしたものの、門番が窓越しに王子の顔を見て、「ジェイク様、おかえりなさいませ」と深く頭を下げると再び馬車は動き出し、すんなりと門を通り抜けていく。
そこからいくつかの町を通り過ぎ、一晩ほど立派な宿屋に宿泊した後、また半日以上かけて馬車を走らせる。夕方になって、ようやくローズたちを乗せた馬車はシェリンガムの首都であるイエッゾルへと入っていった。
街路樹や川が多く、道もしっかりと整えられていて、街灯としてのランプも多く設置されている。家が多く建ち並んでいる箇所を抜けると、次はさまざまな店の看板がローズの視界に飛び込んでくる。
「人も多いですけれど、精霊さんたちの姿もたくさんありますのね。精霊さんたちが楽しそうにしていると、私まで楽しくなってきますわ」
窓の向こうに見える街並みを食い入るように見つめる無邪気なローズの様子に、ジェイクはわずかに微笑みを浮かべたが、通りにいる着飾った女性ふたりが、こちらを指差して興奮気味に何やら騒いでいる様子に気づいて、すっとその表情から笑みを消した。
賑やかなマルシェの横も通り過ぎ、緩やかな坂を登っていく。やがて目の前に現れた物々しい門を通り抜けて先へ進むと、立派な城が見えてくる。
「帰ってきてしまったな」
ジェイクの呟きと共に馬車が停まり、彼が表情を引き締めると同時に扉が開けられる。
「降りるぞ」と呟いて先に馬車を降りたジェイクを追いかけるように、ローズも座面から腰を上げて、様子をうかがうように恐々と外へ顔を出す。