狼とたぬき
結果。
ラストライブは大成功に終わった。
熱気熱狂燃焼炎上。
ラストライブを言葉で表すにはどれもが当てはまり、どれも十分ではなかった。喜び哀しみ怒りすべての感情が渦をまき、全てがサエトリアンに収束していた。
「あの民どもの顔は一生忘れないわ」
「お嬢様、まだ興奮から冷めていないのですか」
軽く涙をこぼすわたしにタニアが冷めた言葉をかけてくる。
「くっ、冷血漢め」
「そうは言いましても、あのライブから一週間経ってますし、すでにここ辺境伯領行きの馬車ですし。それに私は女です」
「せやかてタニア」
「せやかてじゃありませんよ。さすがにそろそろ切り替えていただかないと。外をご覧ください」
そこは見渡す限りの森だった。
「森ね」
「そんなあっさり」
「逆にタニアはどんなリアクションを求めてたのよ。単なる森じゃない」
「いえいえ、お嬢様。ここは単なる森なんかじゃありませんよ。魔の森ですよ。魔の森」
あーお決まりのヤツー。大体そんなこと言って大したことないヤツナンバーワンよねー。な顔をしているわたし。
「お嬢様? 絶対なめた考えしてますよね?」
「ンナコトナイワヨ」
「なら良いですが、この森は本当に危険なのですよ」
タニア曰く。
ここ魔の森は。餓狼種と言われる通常の狼より大型でさらに凶暴な種や、緋羆と呼ばれる緋色の毛皮をまとった特殊なヒグマなどの野生動物や、それが魔獣化した上位種に加えてさらにさらに流れ者の魔族もたまに現れる恐怖スポットらしい。
「ふーん」
「ですので。いくらサイトーさんたちが護衛してくれているとはいえ、油断大敵です。馬車の急停車にそなえて、立ち上がったりは決してなさらな──ぎゅう」
わたしに注意する勢いで立ち上がったタニアが胸に飛び込んできた。どうやらタニアの危惧していた馬車の急停車があったようだ。フラグを即回収するどじっこタニアかわいい。
外からは馬のいななきや護衛の怒声が響く。
「トリサエちゃん! タニアちゃん! 無事?」
馬車の扉が開き、慌てた顔のサイトーがひょっこり。
「は、はい! 無事です! 襲撃ですか!?」
「ええ! 餓狼の群れが急に道に飛び出してきたのよ! 現状、護衛団が戦闘中よ。こっちまで漏らす事は万が一にもないようにするけど、注意はしてちょうだい!」
こちらの安全を確認したサイトーは再び前線へと駆け戻っていった。
ふふふ。
「タニア、わたし登るわ」
「おじょ……」
タニアの怒りをおきざりにしてわたしは馬車の上に駆け上る。
餓狼なんて大層な名前がついた狼。どんなでっかいのか気になるじゃないの。わたし犬派なのよ。もふっとしてるのかしら?
「おおーでっかー」
本当に大きかった。しかも思ってたよりもなんか顔とかグロテスクね。可愛くない。でも人より大きいオオカミなんてはじめてみたー。それを完璧に抑えこんでいるサイトーたちがすごくない? あの人オネエのプロモーターなのよね? なんかがっつり防御陣形で餓狼を取り囲んで、本当に万が一でもこちらにこないようにしているようにみえる。でも攻撃はイマイチとおってないせいか、お互いに膠着状態みたいなんだよなー。やけに餓狼側も引く気がなさそうな感じよね。なにか原因があるのかしら?
そう思ってよく見ると餓狼の意識はサイトーたちの後ろにいっているように見えた。防御陣形をこえようこえようとしてるというか。
えーっとそ、の、さ、きにはー。
んー? なんか茶色い毛玉が転がっている? なにあれ?
「タニアー」
「お嬢様! 危険ですから早く馬車の中に!」
「ちょっと見てくるー」
「は? な?」
わたしは馬車の屋根から駆け下りると自分の脚にむかって身体強化の効果をのせて軽く歌う。すぐに効果は現れ、踏みこんだ足の跡は深く抉れた。
瞬きの間に毛玉まで到達すると、それを小脇に抱えて馬車まですぐにとって返す。その刹那、脚にかけたバフと同じ効果の歌をサイトーたちに歌う。
「ふー」
「……サーシャ? やりましたね?」
「……なんの事かしら? ママ?」
「ママではなぃ……と……え? サーシャさま。それは?」
タニアはわたしの小脇に抱えられた毛玉を指さした。
「なんだと思う? これー」
毛玉の先をつまんで伸ばしてみる。
これはー。いぬ?
いやーちがうかなー?
毛がもふもふとしていて目玉はまん丸。そのまわりがタレ目な感じに黒く縁取られていて、全身は茶と灰色の間みたいな色合いで脚は黒い。
あーたぬきかーこれー。
ズキューーーン。
ん? なんか変な効果音がタニアからきこえる。
「どしたん? タニア」
「そそそそ、それそれ」
「これ?」
つまんだ狸をタニアにむける。
ドキューーーーーーン。
JOJOかDAPUMPくらいでしか聞かない効果音じゃない?
「お嬢様! そんな持ち方したらいけません!」
「え? なに? これを?」
あまりのテンションに呆気にとられているわたしの手からあっという間にたぬきは消えていた。
「タニアさん?」
「はい! なんでしょう?」
「その高速で動く手はなんぞ?」
「私の手ですよ」
「いや──」
手が高速すぎて分裂して見えるよ。摩擦熱で火がつくんじゃなかろうか? カチカチ山になるぞ。
「はぁーかーわーいーーいーーー」
タニアの顔がどろどろに溶けきってる。長年の付き合いではじめて知るタニアの一面。
「んでさ、タニア。お楽しみの所悪いんだけど、状況は改善してないし、どうもその毛玉を餓狼どもが狙ってるっぽいのよ」
「は! やつらを即時抹殺しましょう!」
どこからともなく鞭を手にとり、ビチィンと音を鳴らす。
ひぃ。心のしっぽが丸まってしまう。
「ぃゃぁ。さっきサイトーたちにバフかけてきたからわたしたちが行かなくてもいいとは思うけどね」
「そうですか。では、私は引き続きこの子を愛でます」
はー。完全にポンコツになってしまったわ。どうしよ。
目頭を押さえ、頭をふるわたしを遠くから呼ぶ声。
「トーリサエちゃーん。ありがとーぅ」
声の先に視線を向けるとサイトーが駆け寄ってきている。どうやら餓狼は片付いたようだ。
「サイトー! みんな無事なのー?」
「ええ、トリサエちゃんのお陰でみんな無事よー」
「……ナンノコトカシラー?」
「ふふふ。イイのよアタシが勝手にお礼してるんだから」
「んで、餓狼はどうなったの?」
「なんだか攻撃が通るようになってからはかなわないと察したのか逃げてったワー。まだ少し離れた所にいるみたいだけどしばらくは手はだしてこないでしょー」
「たしかに遠吠えが聞こえるわね」
「負け犬の遠吠えヨー。今のうちにさっさと進んじゃいましょー」
そう言ってサイトーは護衛たちの所に戻っていった。
さてこれで一段落。何事もなくってよかった。あとは辺境伯領を目指すだけね。
「かーーーーーわーーーーーーーーーわーーーーーーーー」
わたしはポンコツになったタニアから目をそらして目的地に思いを馳せた。