名前を呼んで
ルーティンの変貌ぶりに僕の背中を大粒の汗が伝い流れるのを感じる。
動き出しが全く見えなかった。気づいた時には目の前にいた。
正直魔族の身体能力をなめていた。
最近、凶化なしでも自分が強くなっている事を自覚しはじめて。
どんな魔物が来ても負ける気がしていなかった。
そんな驕りを一瞬で目の前の魔族は打ち砕いた。
勝てないかも、な。
と。
勝利以外の方法でサーシャを助けるすべを探しはじめた時。
暖かい声が耳に染み込んできた。
聞こえるはずのない声。
それの主を視線だけで探す。
「サイトーの魔導具で声を届けてる。ルーティンから視線を外さないで聞いて」
今度ははっきりと聞こえた。
それは胸元から響いていた。なるほど。これが。
サイトーサイコー。
オーダーしたはいいけど、やけに高額だなと思ってごめん。お値段以上だった。
これで力が発揮できる。
魔王はダメって言ってたけど、対戦相手のルーティンが良いって言うんだから良いよね。
「凶化」
肉体と精神がドクンドクンと鼓動する。同時に視界も瞳と色と同じ赫に染まる。
目の前の敵を殲滅しろと脳が弾ける。そのために肉体が作り変わる。細胞一つ一つが一瞬で生まれ変わる。
僕だけであればここから意識が消え去る。
だけど。
「歌魔法セイレーン」
僕は一人じゃない。
甘く優しい声の主。僕のサーシャがいる。
心地の良い僕だけの歌が耳から入り込み、心を優しく包み込んでくれる。
そうやって赫かった視界が色彩を取り戻す。
まるで僕の人生みたいだな。
サーシャがいてくれて僕の人生は色を取り戻した。いや、初めから色なんてなかったからサーシャが色を塗ってくれたんだな。
さっきまで眼前で無駄話をしていたルーティンは僕の雰囲気が変わった事を察して、すでに大きく距離をとっていた。そのまま舐めプしてくれてたら一瞬で勝負を決められてたんだがなあ。
視線をルーティンに移す。
「使ったんだな」
「ああ、そっちが良いって言っただろう?」
「そうだな。邪魔しないとは言ってないけどな。歌魔法ゴブリンの狂乱!」
離れた場所から、僕に向かって歌を放ってくる。
音が波を作り、僕に向かってくるのが見える。これはサイレーンの効果を打ち消す歌だろうな。
でもサーシャの歌とは全く違う。
言ってしまえば未熟。
これなら。
「ガアアッ」
咆哮一発で消せる。
「な!?」
自分の歌をかき消された事に驚きを隠せないルーティン。
サーシャの歌なら僕の咆哮程度では消せなかっただろう。
「サエトリアンファンクラブNo.0の僕にそんな歌が届くわけないだろう?」
「そんなのあるのか!?」
「ああ、これが終わったら入会書類を渡すよ」
「じゃあお前をボコってもらうとするよ」
「できるならどうぞーー」
っと言いながら、剣を引きずるように持ち、ルーティンへ迫る。
ルーティンもそれは見えており、初動を同じくして僕の方へ向かう。
中央でお互いの間合いに入り、剣を打合う。
甲高い金属音とともに最初とは比べ物にならないほどの火花が散る。
剣は中央で刃を合わせたまま、静止している。
両者の膂力が拮抗している証拠である。
ここまできても互角。
次期魔王というのはこれほどまでに強いのか。
「(旦那さま。負けないで)」
「もちろんだよ」
自信はない。
むしろ魔素がある分、ルーティンが有利であり、このまま互角で打合えば先にスタミナが切れるのは僕だろうというのはわかっている。
ダメ押しがいる。
後一歩が。
膠着した剣を横なぎに払い、一旦距離をとる。
「サーシャ。お願いがあるんだ」
「(はい)」
これがきっと最後の一手になる。
「僕を名前で」
僕の名前を。
「呼んではくれないか?」
君で満たしてくれないか?
ロゼリアに支配された記憶は思ったよりも、僕の心を消耗させていた。
支配された不快感が楔のように刺さっているのを感じている。
サーシャが名前を呼んでくれれば僕は全てを超えられる。
「(旦那さま)」
「ダメかい?」
「(いいえ。わたしも覚悟を決めてます。ここでやらなきゃどうせ旦那さまと別れになるのです。そしたらわたしは死ぬだけです。だったらここでやらなきゃ女が廃る! 女は度胸!)」
「ありがとう!」
遠く観客席でサーシャが立ち上がった。
胸元のペンダントを引きちぎり、ペンダントトップをマイクのように掌中に握りしめるのが見えた。
ルーティンも僕の視線の先にいるサーシャが突如立ち上がった事に気をとられ、距離をとったまま攻撃してくる事はない。
僕のマイクから小さな声にならない声が聞こえてくる。
それは段々と僕に語りかける言葉に変わる。
「(出会った頃はちょっとムカついてた)」
「僕も君を警戒してたよ」
「(聖域でやらかした時には怒られた。やだった)」
「あれは感情の行き場がなかったんだ」
「(でもあっという間に恋していたと思う。モヤモヤしてた)」
「僕もモヤモヤしてたよ」
「(初めてのデートは最悪だった。あれは今でも許すまじ)」
「ごめん。もうしない」
「(ライブで身バレもしとうなかった)」
「僕はあそこで君の奴隷になったんだ」
「(ぐふ。やめろ。うれしい。プロポーズ思い出す)」
「ああ、あれは幸せだったね」
「(一緒に九尾も倒した)」
「キスをしたんだ」
「(ぐふ。キスといえば。海にも一緒に行った)」
「……水着姿を領民に見せたのはまだ許してないよ」
「(あー。まあそれは置いといて。王様やグレッグとも一緒に戦った)」
「置かないでよ。あっ! あの時、足痺れたのバレてたよ」
「(ぐ、バレてたか。……その後、ロゼリアと浮気された)」
「あれは! その、ごめん……」
「(うそよ。いっぱい泣いたけど。あなたの大事さに気づいたの。大好き)」
「ありがとう。僕も大好きだ、サーシャ」
「(うん。なんか、勇気出てきた。やるわ)」
「ああ」
マイクごしに大きく息を吸う音が聞こえてくる。
空気も魔素も。
人間も魔族も。
全部吸い込んでいくような呼吸音。
一瞬の沈黙の後。
「大好きいいいいいいいいいいい!!!!!」
感情荒れ狂う爆音。
マイクから割れんばかりの大音声が響き、同時にサーシャを包んでいた消音結界が砕けるのが見えた。
その中から現れたサーシャが、再度大きく息を吸っているのが見える。
呼吸を止めて。
真っ直ぐと僕を見つめている。ローズピンクの瞳が僕を見つめている。
僕は小さく首肯く。
サーシャもそれに応える。
そうだ。
僕らならできる。
「クラーーーーーク! わたしの愛する人!!! 勝て! わたしを守れ! ゴラア!!!」
サーシャ(物理)の声が耳朶を打つ。
マイクごしではなく、久しぶりに聞く生声。
「クラーククラーククラーククラーククラーククラーク!!! 呼べたぜえ! ヒャッハー!」
妙なる声で僕の名前を繰り返し呼んでいる。変な踊りも踊っている。
ああ。
ああああ。
今まで感じた事がない全能感。
頭を拳で撃ち抜かれたあの時よりも激しい衝撃が脳天を疾る。
「ルーティン」
状況が飲み込めていないルーティンに声をかける。不意打ちして勝つ事だってできるがそんな小細工は必要ない。
僕の呼びかけに混乱した表情で、振り向いたルーティンは言う。
「お、おお。お前ら、決闘中に何してんだよ……これ命を賭けた決闘だぞ?」
「ごもっとも。まあそれは置いといて。再開しても良いかい?」
「お、おう。それは良いけどよ。おれは何みせられてたんだよ」
「何って?」
ルーティンの疑問に答えるならこうだろう。
「僕たちの愛の物語さ!!!」
「いや、意味わからんって!」
混乱するルーティンは放っておいて、僕は剣を地面に突き刺した。
この状態で剣を使ったらルーティンを真っ二つにしてしまう。それは本意でない。
地面が剣を刺されてざくりと音を立てた。その音を合図にルーティンの懐に入りこむ。ルーティンは入り込まれるのを剣で防ごうとするが、僕は拳でその剣の腹を小突いて破壊する。音もなく剣は中頃から砕けて折れる。そのまま留守になっている足を払い、尻餅をつかせて。
ルーティンの前に拳を突きつける。
ここまで一瞬。
自分が後ろに倒れた事ではじめてやられた事を認識したルーティンは目をパチパチとさせている。
折れた剣と僕の拳を交互に見つめている。
「続けるかい?」
「いや、気づいたら武器を破壊されてるし、圧倒されてるし、呆気にとられてるし、もうやってらんないよ。降参だ」
「レフェリー聞いたかい? 判定を!」
これで決闘は終わり、僕らは家に帰って、結婚式をするんだ。
そんな未来に思いを馳せながら、僕はレフェリーの勝利宣言を待った。
お読みいただきありがとうございます。




