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誘拐と救出

 あれから何週かわたしはモヤモヤサーシャな日々を過ごしている。


 何度も旦那さまを名前で呼んでみようと試みたけど、やっぱり無理だった。

 脳で旦那さまの名前を考え、肺から空気を出そうとするだけで無理だった。


 声帯も口の形もなにひとつ言う事を聞かなかった。


 なんなら脳が最初から拒否している。


 毎日聖域に来ては喋ることのないおじい(木)にもたれかかって、ぼうっとした日々を過ごしており、たまに一緒に来てくれるタニアと毛玉がじゃれているのをみる事だけが生活の変化だ。

 そんなタニアと毛玉は師匠の指示で週の半分ほど屋敷からいなくなる。


 正直さみしい。


 今日も二人がいない日だ。


 師匠もあの日以来見ていない。きっとどこかで何かを解決しているのだろう。


 ついつい普段は歌わない歌が口から漏れる。


 悲しい歌。さみしい歌。バラード。


 普段なら曲調がバラードでもそこに乗せる歌詞と魔力は肯定的なものだ。


 でも今日は何となく違う。


 ただ悲しさ、さみしさがのった歌だ。

 たまにはいいでしょう? 誰もいないし。

 きっと夏が過ぎ去ったこの秋の風景にも影響されている。


 よし! と思いたって本気でバラードを歌ってみることにする。


 立ち上がり、姿勢を正し、腹と尻に力を入れてから、一気に脱力。


 息を吸う。息を止める。腿を両手で叩く。右肩を拳で叩く。左肩を拳で叩く。

 軽く飛び跳ねる。


 ライブ同様の本気で歌う。


 わたしの悲しみ。わたしのさみしさ。

 あなたの悲しみ。あなたのさみしさ。

 誰かの悲しみ。誰かのさみしさ。


 それをそのままに。否定も肯定もない。ただそのまま。

 遠く広がる聖域のさらに遠く遠くへと届けるように。


 やっぱり思いきり歌うのって気持ちい。

 特に聖域は歌による影響を深く考えずに歌えるのがいい。誰にも影響を与えず、なににも結果をもたらさない。

 わたしだけの歌。


 サイッコー!


 な時間はそう長くは続かなかった。


 しばらく歌っていると聖域の奥の方から声が返ってきている事に気づく。

 はじめはどこかで反響したこだまかとはじめは思っていたがどうにも違う。


 ユニゾンしたり、ハモってきたりする。そんな器用なこだまがあるか!

 そしてその音は段々と大きくなってくる。


 大きくというか近づいてくる。


 朧げだった歌声ははっきりと。声に含まれている魔素が感じられるほどに。


 わたしはそこで歌を止める。


 何かやばい感じがする。


 わたしが歌を止めた事によって、声の主もその事に気づいたのであろう。


 途端。


 声が止まる。


 そして聖域の奥の方からすごい速さで何かが走って近づいてくる。それはあっという間に視認できる大きさとなり、そのままわたしの目の前まで走ってきて止まった。


「なんで歌をとめんだよっ!」


 声の主が大きな瞳をひんむいてわたしに訴えかけてきた。


 誰だあ?

 全く知らない子ですね。


 褐色の肌。ボブヘアに切り揃えられた栗色の髪。アイスブルーの瞳。意思の強そうな眉毛。

 全体的に中性的な顔立ちの、これは少女? か?


「え? そもそもだれ?」

「おまえサエトリアンだよな?」


 答えやしねえ。


「そうだけど?」

「おっしちょうど良かった! 行こうぜ!」

「は? 無理だけど?」


 全然無理だけど?

 新宿のキャッチでもここまで強引じゃないぞ。


「ん? 大丈夫大丈夫! 行こうぜ!」

「いやいや、だからあんたは誰なんだって聞いてるのよ」


 大丈夫じゃないのよう。

 しかもあんたがきた方角って完全に魔王国だし、大体お里が知れてるのよ。それに訳もなくついてくほどお子ちゃまに見えるってんのか、おん? せめて飴ちゃんくらい出せやゴラア。


「ん? じゃあ教えるから耳かして」

「おん? お、おう」


 軟化したぞ。なんぞ?


 右を向いて左耳を少女に差し出す。


 少女は内緒話をするように口に手を当ててわたしの耳に声を流す。


 聞こえないもっと大きくと心で思った。


 その瞬間。


 わたしの意識はすうと閉じた。


---------------------------------------------------------------


 僕のサーシャが消えた。


 忽然と姿を消した。


 まるで神隠しにあったように。


 サーシャがどこにもいない事が判明したのは晩餐の時だった。

 部屋にもいない。

 聖域にもいない。

 マーサの店にもいない。


 行き先を誰も知らない。


 その事実に辺境伯チームは騒然となった。

 タニアと毛玉は訳あって九尾がいたダンジョンに出張中だった。

 トシゾウは賢者殿の案件に貸出中だった。

 通常の暗部は聖域には立ち入らない。

 僕は仕事中だった。


 今は会議室にその全員が集合してサーシャの行方を話し合っているが、結論の出る話ではない事はわかっている。

 僕はただ机に両肘をつき、両手で顔を覆い、俯いている。皆の声が耳を素通りしていく。


 ここしばらくサーシャの様子がおかしいのは知っていた。


 公爵家であった事件でゆっくりとする時間が必要かと思っていた。

 自分の生家が取り潰され、兄と姉は犯罪者。父と母はサイコパス。

 色々と思う所もあるだろうと。


 特に問いただしたりしなかった自分をぶん殴った。


 ぶん殴りたいとかじゃない。

 今、顔から片手を離し、思いきり自分をぶん殴った。

 アッパー気味に顎に入れてやった。


 体は椅子から発射され、後ろ斜め上方向へ飛び、壁にあたってそのまま床までずり落ちた。

 もちろん周囲はドン引きである。

 会議室は静まり返った。


 ごめん。自分への罰。


 でもおかげで少し冷静になった。


 少し冷めた頭の考えるのネジを巻く。


 僕はサーシャを信じている。

 僕はサーシャを愛している。

 サーシャも僕を信じてくれていると言ってくれた。

 サーシャも僕を愛してくれていると言ってくれた。


 サーシャが自分の意思でここから消える事なんてない。


 そこに気づいた瞬間。


 頭の中に声が聞こえてきた。


『おじょうは魔族にさらわれた』

『おじょうを追ってわしは魔王国にいる』

『じゃが魔素が強すぎてわしの限界も近い』


 途切れ途切れな声が誰かなんてわかりきっていた。公爵家では会う事のかなわなかったサーシャの大事な人。


 賢者殿、タニアに匹敵するほどに大事な人。


 アルムおじいだ。


 帰りの馬車でいっぱい話を聞かせてくれたその人だ。

 どうやらおじいの声へ反応を返すすべは僕にはないらしく、声に対して答えても有意な反応は返ってこない。

 一方的な言葉はしばらくして聞こえなくなった。

 これで詳細な手がかりを得るすべを失ったわけだ。


 でも。


 最後のこの言葉があれば十分だ。


 この言葉だけで僕は走れる。


『おぬしがおじょうを助けるのじゃ』


 そうだ。


 僕がサーシャを助けるんだ。

お読みいただきありがとうございます。

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