公爵と平民
ダイニングに開いた穴。
それを通りやすいように大穴に変えてそこからダイニングに戻るとフランツさんが食事を終えて、コーヒーを飲んでいた。そしてわたしたちに面倒そうな視線を投げて開口。
「終わったか?」
こんな事をのたまう。
「は?」
「終わったのなら用件を進めたいのだが? 辺境伯様」
むっかちーん。
なに言ってんだこのクソ親父。血のつながり毎焼却するぞ。
こちとらまだ歌姫(物理)だぞ。
「おん? 用件が進んでいないのはお宅のお嬢様の問題なんですがねえ?」
「なんだ、お前の不始末で進んでいないのか?」
むっかちーん。
何だこいつ減らず口しか叩かんな。
「おう、良い度胸だ。この平民。もう親でも貴族でもないからな、やんならやんぞ」
「かまわんぞ。わしはお前に手出し出来んから無礼打ちにでも何でもするがいい。だがそうなると誰もこの公爵領をおさめられず、お前の領民が苦しむだけだがな」
「わたしの領民ではないが?」
もうわたしは公爵家を出た身だ。辺境伯家の人間である。
だからこの領の人間がどう、なろう、と。どうなろう、と。
かま、かま、かまかま。
カマカミーリーヤー!!!
もー! かーーーまーーーうーーー! むーりー!
みんな大好きなのよう。不幸になったら困るのよう。
しれっとした顔の下で大焦りである。
「『お前の領民』でもあろう?」
ちょい。待てその言い方。領民が強調されてるんだけど。
まさか。
「え? その言い方だともしかして全部バレてんの?」
「なんでバレないと思っていた? 領の活性化及び税収に寄与していたから放っておいただけだ」
バレてたー。
マジかー。
「みんな知ってる感じ?」
「いや、知っているのはわしとレイヤだけだ。グレッグやロゼリアに言っても悪化するだけだからな。隠蔽に万全を期したせいで思ったより身入りは良くなかったがな」
確かにグレッグやらロゼリアが絡んできたら失敗する未来しか見えない。
「意味がわからない」
「それはわしのセリフだ。忌み子が歌姫をやり出したという報告を聞いた時は、賢者からの不殺のお達しを無視して殺そうと思ったな」
賢者。不殺。
「ちょい待てそれも初耳なんだが?」
「何度か殺そうと思ったぞ」
「それは知ってるのよう! 賢者って話よ!」
「ああ、それか。お前のザイが判明した段階で本当は神の子に返す気だったんだがな。どこから聞きつけたか賢者が干渉してきてな……」
そっか。ここでもわたしは師匠に守られていたのか。
なおもフランツが何か言っているが。
もう。
「いいや。なんかもういいや。やめて」
わたしの静止に大人しく言葉を止める。
「そうか。では辺境伯様、話の続きをお願いします。昨日普通に話ができていれば昨日終わっていた話ですから迅速にお願いします」
「私からもサーシャの扱いに関して山ほど言いたい事がありますが、きっと貴方には何を言った所で通じないでしょうから一言だけ。サーシャはわたしが必ず幸せにします」
「お好きにどうぞ。わしには辺境伯様の言っている事がよくわからないのだ。わしはわしがすべき事をしている。王家にも天地にも恥じる事はない。わしは貴族として公爵としてすべきことをしている」
「そうですね。もう良いです。王家からの司令は全てこの書簡に書かれています。貴方の身分はこの公爵領改め王家直轄領の代官となり、貴族籍はありませんが、男爵相当の扱いとなります。よく治めるように」
「はっ。王家からのご下命とあれば謹んで」
恭しく頭を下げるこの男から感情を感じとれない。
その三歩後ろで立っている女からも夫の姿を全て受け入れ満足した顔しか見てとれない。
この夫婦はきっとこの二人で完結しているのだろう。
「旦那さま、もう帰りましょう」
「そうだな。僕らの家に帰ろう」
両親だった何かに背を向ける。
わたしは旦那さまと二人で開けた大穴を通って未来に進むのだ。
これで本当にお別れだ。
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二人が去った後のダイニングにはフランツが立つ。
その横にはいつの間にかレイヤが寄り添っていた。
だらんと垂れたフランツの腕に添えるように腕をからませる。
使用人が騒がしい声をあげてバタバタと動く音。
そこから馬のいななきが聞こえ、車輪がガタガタと音を鳴らし、それが消えるまで二人は微動だにしない。
音が消え、緑が風に揺れる音が耳に届くようになって、そこでやっとレイヤが口を開いた。
「随分な不器用な望月ですこと」
普段の声に含まれる狂信や妄信の色はなく、包み込むような優しい声音。
「言っている意味がわからんな。わしがやる事に間違いはない」
「そうですね。貴方はいつでも十全ですわ」
「であろう?」
真っ直ぐと大穴を見つめ、いまだに身じろぎひとつしない夫。
それを優しく見つめる妻。
今やただの平民となった二人はただ自然にそこに立っていた。
「やり方はどうあれ目的は達しましたね」
悪戯っぽく少し含みのある言い方でレイヤはフランツに視線を向ける。
「そうだな。我ながら綺麗に公爵家の幕を下ろせたよ。王家からはザイを提供する義務を解除され、跡取りは野心だけの無能。王家の血も薄くなり、この家はすでに公爵家の役割を果たせなくなった。もう終わらねばならんかった」
「いつからこれをお考えで?」
「忌み子を売ってからだな」
「まあ、さすがは我が望月です。実に短い期間で綺麗な画が描けましたね」
レイヤの褒め言葉にもフランツは真っ直ぐとただ大穴の先を見つめている。
そこには強い意志がある。
「何、グレッグははじめからわしの地位を狙っておったし、ロゼリアは社交界で跳ね回っておった。終焉のタネ撒き自体は終わっていて、わしはそれに栄養を与え、水を撒いただけだ」
「本当に器用で不器用なわたしの望月ですこと」
皮肉めいた視線と言葉。
「意味がわからんな」
「忌み子の事ですよ」
非難めいた視線と言葉。
「あれも正しい行動だ」
それを頑として跳ね返す硬い視線と言葉。
「あそこまで恨ませる必要はなかったのでは?」
レイヤは添えていただけの腕を強くからませ、フランツを己の胸に抱く。
単刀直入に言ったそれはフランツの言葉に反するものでそれはひどく珍しい。
「言っている意味がわからんな。わしはあの娘のザイだけを見てすぐに捨て、長じてから売った人間だ。恨まれない理由はない。あの娘にはまだ怒りが足りなかった。その感情も力だ」
「仕方のない方」
レイヤは諦めたように、強く抱いていた腕をするりと手放し、暖炉脇にあるチェストを開け、手慣れた様子で一枚のレコードを再生する。
針が少しの雑音を拾う。
プレイヤーはしばしの無言の後。
ゆっくりと『吐息』をこぼした。
お読みいただきありがとうございます。
サーシャの家族関連は一段落。




