表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
60/73

おじいといっしょ

 どれくらいここにうずくまっていたのだろうか。


 辺りはすっかりと暗くなっている。

 月明かりもなく、荒れた裏庭は公爵家の屋敷の影になり、光がほぼ届かない。

 抱いている膝がかろうじて見えるくらいの明度。


 現実感がない。


 もしかしてわたしは子供に戻ってしまったのだろうか。


 もしかして今までの幸せが全部わたしの現実逃避でここで目覚めただけだろうか。


 もしかしてわたしはあの頃のままなのだろうか。


 誰もいない。

 誰もわたしを見ない。

 何もない。

 何もわたしに与えない。


 あの頃の。


 途端に息が荒く浅くなるのがわかる。


 危ない。


 そう思って思わず自分の手を見る。


「大きい」


 今は手荒れもなくなって、少しだけカサついたわたしの手。

 旦那さまがよく握ってくれたわたしの手。

 深く息を吸い。そして吐く。ゆたりと整える。


 夢じゃない。これは現実。


 よかったような。

 悪かったような。


 どっちともつかない気分。


 そのままぼうっと手を見つめている。


 そこに一匹のホタルがとまった。チカチカとお尻を光らせている。


「そっか。今は夏なのよね」


 海、楽しかったなあ。もうそれもできないのかあ。

 今までの楽しかった事、全部なくなるのかあ。


 嫌だなあ。


「ねえ。おじい。助けてよ」


 おじいという単語に自然と涙がこぼれる。


 ぽたり。


 ぽたり。


 見つめている手に落ちる音がする。それはまるでわたしの静かな慟哭のような音。


 気づくとわたしは声をあげて泣いていた。


 子供の頃のように。


 大声で泣いた。


 そして泣くだけ泣いたら、その後に決まった歌をうたう。


 昔からそう。


 こうやって歌っているといつもおじいが後ろから声をかけてきてくれた。


「またおじょうが泣いとる」


 そう。こうやって。

 だからわたしは答える。


「泣いてなんかないわよ。おじい」


 思いきり泣いてすっきりした頃に声をかけてくれるから。

 これで完全に泣きやむ合図になっていた。


「おじょうは泣き虫じゃのう」

「うそよ」

「ふぉふぉふぉ」


 いつもそう笑って隣に座ってくれた。ほら今だってガサリと音がする。


 ん?

 音?


 あれ? これわたしの回想よね?

 涙で濡れた手から視線をあげて音がした隣を見る。


 白くて。小さくて。柔らかい。光。


 そこにはおじいがいた。


「おじい!」


 わたしの驚いた声にただ無言で微笑む。


 え? ほんとにこれ現実。何も喋んないんだけど。あ、幻? 暗い中でぼんやり光っているおじいが幻じゃなかったらちょっとそれはそれで逆に怖いかも。


 おそるおそる。まっ白く豊かな髪を引っ張る。


「これ。抜けてしまうぞ、おじょう」


 さわれた! しゃべった! 本物だ!


「おじい!」


 なんでいなかったのよ! どこに行ってたのよ! 誰に聞いてもおじいなんていないって言うのよ!


 さみしかったのよ!


 全部の言いたい事がおじいのただ一言に詰まる。


 そんなわたしの頭を無言で撫でてくれているおじい。


「すまんかったのう」


 ぽつりと。


 それだけ。でもそれだけでいい。おじいがいてくれるだけでいい。


 今流れている涙がそれだけでとても温かくて心地が良くなるから。


「おじょうは泣き虫じゃのう」

「うそよ」


 しばらくして嬉しさの涙が止まるとおじいはわたしの頭を撫でながらそう言った後でまた笑う。


「ふぉふぉふぉ」

「もう! おじい! 笑ってるけどわたしすごく心配したんだから! 公爵家の人間は誰もおじいの事しらないし」

「そうじゃのう」


 頭を撫でられる。

 くうん。


「裏庭もこんなになってるし!」

「そうじゃのう」


 頭を撫でられる。

 はうん。


「もう! ちゃんと説明してもらうから!」

「うむ、そうじゃの。そろそろきちんと説明するかのう」


 頭を撫でながら、おじいは言葉を継ぐ。

 よし誤魔化されんかった。


「わしはな。人間ではない」

「人間じゃない? じゃあ何なの?」


 この状況でそれは薄々感じていた。暗闇の中うっすら光る老人が人間なわけがない。


「聖霊じゃ」

「聖霊」


 しらない子ですね。


「この世界の万物には魂があるんじゃ」

「ほう」

「その魂が持つ聖なる側面の代表者がわしじゃ」


 おじいが師匠みたいな事を言い出した。ちょっとみんなオカルト好きなの?

 うーん。いまいちわからないけども。


「正義の組織のお偉いさん?」

「そんなようなもんじゃ」


 静かに笑って肯く。

 おじいめ。諦めおったな。

 ふふふ。わかっているところを見せてやろう。


「邪もいる?」

「いるのう」


 やはりいたな。ニヤリと笑う。わかってるわかってる。

 聖がいて邪がいる。

 ということは?


「闘っている?」

「いないのう。聖と邪などと名目上だけじゃ。ただそうあるだけじゃよ」


 なんと。


「いない?」

「そうじゃ」

「そっか」


 やっぱわからんわ。

 難しいことは別にいいか。わたしはおじいがおじいでいてくれるならそれでいい。

 うんうん。難しいことは後回し。


「そしてな。わしはずっとおじょうのそばに居った」

「うそよ」


 それは流石にうそよ。

 いたらわたしのエコーロケーションに引っかからないわけがないもの。


「ほんとうじゃ」

「うそよ。いなかったわ」


 聞き分けのないこどものようなわたしの頭を撫でて宥める。

 もうごまかされたりせんぞ。ほんとにおじいはいなかった。


「聖域の大木は知っとるじゃろう?」

「知ってる! むしろおじいはなんで知ってるの?」


 あの大木は癒されるからなあ。天地創造した時に真っ先に生えてきた子だし。

 思い出して口元がゆるむ。うへえ。


「あれがわしじゃ」

「あれがおじい? あれは木よ」


 あっちはざっといずうっどよ?

 こっちはぢすいずおうるどよ?


「わしは聖霊じゃ。この老人の形もおじょうがわかりやすい形、おじょうを助けやすい形をとっているだけじゃ」

「そうなの?」


 また難しくなってきた。

 自分でも首が左へと傾くのがわかる。


「あの地ではおじょうへの助けはそこまで必要なかったからの。見守るだけにしようと考えてあの姿にしたのじゃ」

「ほえーそっかあ。おじいがいてくれるならなんでもいいや。もう何もいらないや」


 もういいか。おじいがいてくれただけでいいか。難しいことはいいや。

 おじいはおじい。わたしはわたし。

 辛い事もこれで乗り越えられるよきっと。


「本当にそれでいいのかい? おじょう」

「え?」


 何が?


「おじょうがそれでよければ、おじょうを聖霊に昇華させて聖霊界で暮らす事も可能じゃよ?」

「え?」


 わたしが聖霊に? そもそも聖霊すらよくわかってらんのですがそれは?


「物質的な苦しみも、肉体的な死もない世界じゃ。どこにでもあり、どこにもない。おじょうはそれを望むかい?」


 そんなに急に言われても。

 苦しみも死もない世界。

 オバケは死なない的な感じだろうか?

 確かにそれはとてもいいものに聞こえる。

 今は特に。


 でも。


「ごめん、おじい。それはちょっと違うと思う」

「それはなんでじゃ」

「やっぱりわたしは歌をうたいたい。歌で色んな人を救いたい。わたしは歌で世界が救えると思ってる」


 世界は確かに苦しみに満ちている。

 痛い。辛い。悲しい。苦しい。昔も今もわたしにはそれが満ちている。

 でもわたしはそれを歌で変えてきた。

 それらを全部肯定して、丸ごと世界を肯定してきた。

 そんなわたしが辛いからって苦しいからって、聖霊になって一人何もない世界に幸せだけで存在するっていうのはちょっとそれはわたしとは違う。わたしじゃない。


「だからごめんね」

「おじょうらしいのう」


 小さく謝るわたしに全てをわかっているようにおじいは肯く。

 そうよ。


「おじい! わたし旦那さまを取り返したい!」


 立ち上がって振り向き、座っているおじいに言葉を投げる。

 同時にそれはわたしへの言葉。

 意思表明。


「ふぉふぉふぉ。それでこそおじょうじゃよ」


 おじいもそれをわかっているのだろう。


「冷静に考えたらおかしいわよね。旦那さまのあの状態もそうだし。そもそもロゼリアみたいな人間に旦那さまが正常な状態でなびくわけがないのよ。絶対何かやってるわ」

「あの娘には邪の力を感じるからのう。それじゃろうなあ」

「邪?」


 さっき出ましたね。

 やっぱり闘っている?


「指からのう。波動を出しよるんじゃよ」


 ああそれ! 出てた!

 変な波が出た途端、旦那さまが空から降ってきたもの。

 ということは。


「それで旦那さまが操られている?」

「そうじゃなあ」


 なら話は簡単では?


「それを破ればいい?」

「そう簡単にはいかんぞ。あの囚われ方はちと常軌を逸しておる」


 聖の代表者が言うほどの力。

 月並みですが。

 つよそう。

 でもね。


「大丈夫よ。わたしと旦那さまなら」

「そうじゃな」


 そこにおじいがいてくれるんだからもっと大丈夫。

 そうと決まれば。

 勝負は明日。

 それに備えて今日は寝るのみ。


「明日に備えて今日はもう寝るわ」


 懐かしの荒屋で。


 わたしは立ち上がって古巣に向かって歩き出す。


 しばらく行って後ろを振り返る。


 おじいはまだ無言でわたしを見送ってくれている。


 その顔を見てふと疑問に思う。


「おじい? わたしが聖霊界に行くって言ったら本当に連れて行った?」


 おじいは少し困ったように笑う。


「連れて行ったよう」


 そんな事言って。おじいはそんな事しないわ。

 だからわたしは言うの。


「うそよ」


 わたしは再び前を向いて歩き出した。

お読みいただきありがとうございます。

かなしいのおわり。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[気になる点] あの大木は癒されるからなあ。天地創造した時に真っ先に生えてきた子だし。  思い出して顔がにやける。 【若気る】(にやける) 男性が女性のようになよなよして色っぽい様子 鎌倉・室町…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ