鞭と辺境伯領
「お嬢様、マズいことになりましたね」
「ええそうね、タニア」
本宅から急ぎ戻った私は、タニアに今あった出来事を急ぎ伝えた。
「よりによって、ギネス辺境伯家とは……」
「よりによって、まさか本当に縁談とは……」
「え?」
「え?」
「お嬢様? ギネス辺境伯家ですよ」
「そうね。困ったわ。縁談よ」
「いえ、縁談はむしろ喜ばしい事です。問題は相手です」
「え?」
「え?」
「何言ってるの、タニア? その前に縁談の方が問題よ」
「何が問題なのです?」
「だって、私まだお尻から歌魔法歌えないもの」
「は?」
「いやー言霊ってあるのねーうかつな事言うものじゃないわ」
「──」
「さー今からすぐに練習しなくちゃ! 時間がないわよ、タニア」
「──」
「タニア? タニア──」
あ、やべえ。これあかんやつや。ガチギレや。
「サーーーーーーーーシャーーーーーーーーーーーーーーーーー」
ワタシガサイゴニミタモノハ──あふ。
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「うっ! 頭が」
「お目覚めですか、お嬢様」
「──タニア」
「ご無事で良かった」
「私は、なんで? いッつ! 頭が痛いわ」
「お嬢様はギネス辺境伯家との縁談にショックをうけ、倒れられてしまったのですよ。その時に頭をすこしうたれたのです」
「そ、そうなの? 私、なんだか怖い夢を見た気がする」
「ギネス辺境伯家との縁談と聞けば悪夢も見ましょう」
「あとね。何だかやらなければいけない事を忘れているような気がするわ」
「勿論です、お嬢様。かの狂人ギネス辺境伯に嫁ぐのですから、やるべき事は山積しております」
「そ、そうなのね。噂話には聞くのだけれどギネス辺境伯の事を私はよく知らないの。タニアが知っている事、教えてくれるかしら」
タニアが語るギネス辺境伯家は地獄だった。
まずは領地。
辺境伯という位なのでこのクリスブライト王国の中でも王都から最も遠く、かつ土地も痩せていて、魔獣、魔物が跋扈している。
隣接している国家もアレで。魔王国である。魔人の巣窟である。
魔人とは魔素と呼ばれる元素に適応した人間の事で、通常の人間より身体能力と攻撃性が高いらしい。クリスブライト王国では魔人は魔獣に準じる存在として、見つけ次第捕縛するという法がある。
捕縛といえば聞こえは良いが、生死を問うワケではないらしいので。まーあれよね。うん。
そんな国と隣接しているんだから自然と戦闘の回数は増え、強者は生き、弱者は死ぬ。
つまりは世紀末な土地である。
次に領主。
さっきも言ったとおりに世紀末な土地であるから。そこにいるのは自然、世紀末覇者である。
世紀末覇者、領主である。
未来の夫である。
しかしこれはこれで存外悪くない気がしている。
と言ってもわが未来の夫の中央での評判は最悪な状態だ。
野蛮人、ハーフ魔人、無粋人、貴族失格、狂人。
悪口のオンパレードだ。身を挺して国を護っている人間に言う事ではない気がするがどうなん? ただ建前が基本の貴族社会でここまで言われてしまうという事は、貴族的な人間でない事は推測できる。
どんな人物か逆に気になってきた。今回の縁談で唯一の楽しみだなー。……他にも楽しみがあったような気がするけど。ウッ! 思い出そうとすると頭が痛い。鞭で叩かれたかのように痛む。
「私が得ている情報は以上です。お嬢様」
「聞きしに勝るわね」
「やっとご理解いただけましたか?」
「とは言ってもね。私はどこに行ってもどこに居ても、やる事は変わらないのよ。タニア」
「しかしお嬢様」
「しかしって言われてもね。辺境伯領が厳しい土地とは言ってもね。私が育ったこの家も大概苦界よ?」
「そんなの比べものになりませんよ。お嬢様には今まで苦労した分、幸せになっていただかないと──」
まだ納得せずにブツブツと言っているタニア。頑固なんだから。でも全部それが私のためだってわかってるから、どんな言葉でも態度でも私はうれしい。
「だーかーらー! タニアがいるのだから、私はどこでも平気って言ってるのよ! 恥ずかしいから言わせないで」
「──ッ! おじょうさま」
タニアは嬉しさのあまりに言葉をなくし、身体をふるわせて涙をこぼした。
「あ、辺境伯領が怖くて来たくないなら早めに言ってね」
「また!」
怒りの表情を浮かべるタニアに私は言うのよ。
「それでも無理やり引っ張っていくから!」
と。