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海とキス

 夕方からのライブを終えてわたしとタニアが宿に戻った後もしばらく旦那さまは戻らなかった。

 就寝の支度を終え、わたしがベッドに入り、ウトウトと意識を手放しかけた頃にスイートルームの隣部屋で物音がした事に気づいた。旦那さまが帰ったのだろうかと考えつつも、夢うつつの状態から起きる事はできなかった。


 すまぬ旦那さま。ライブで完全燃焼してしもうてん。


 朝の支度を終えたわたしがリビングでお茶を飲んでいると、普段と変わらずピシリとした旦那さまが起きてきた。昨夜は遅かったのだろうと朝の挨拶そこそこに、旦那さまへお茶を入れてから、ソファに腰掛けて向かいに座る旦那さまに話しかける。


「旦那さま、昨日は遅く帰られていましたけどお仕事だったのですか?」

「そうなんだ。海で泳いでいたら幽霊船を見つけてね。その船から犯罪の痕跡が見つかったから領都の法務部と騎士団に連絡をとってこちらに呼びよせたりと忙しくてね。そのせいで夕方からのライブを見そこねたよ」


 仕事の疲れよりも犯罪の問題よりも夕方のライブを身そこねたことにガッカリしていそうな旦那さまがかわい。


「大丈夫ですよ。旦那さまには屋敷に帰ってからゆっくりとソロライブをしますから。ね」


 そんな旦那さまはこう言ってあげると喜ぶことをわたしは知っている。すぐに元気になるのだ。ぐふふふ。


「サーシャ。いいのかい?」

「もちろんですよ。旦那さま」


 案の定、旦那さまは目をうるませて喜びの表情でソファから身を乗り出し、わたしの両手を大きな手で包み込む。

 手元に目を落とす。

 ぎゅぎゅと優しくて柔らかく緩急つけた圧が心地良い。

 それが嬉しくて手元から旦那さまの顔に視線をうつすと、視線の先には少しモジモジしている旦那さま。

 何かと思えばふ、と意を決したように口を開く。


「じゃ、じゃあ。今回の衣装でライブしてもらえたりするかな?」

「ええ、もちろん。旦那さまが望む衣装でいいですよ」


 どうやら昨日の衣装が気に入ったらしい。わたしもしっかり見てもらえてなかったからうれしいかな。せっかく調整した足を見てもらいたかったし。


「そ、そうか」

「でも見たいなら昨日控室に来てくれればいくらでもお見せしたのに」

「それはちょっと。まだ心の準備ができてなかったんだ」


 衣装を見るのに心の準備はいらないと思うが。本当にわたしの旦那さまが可愛くて困る。


「ふふ、おかしな旦那さま」

「ははは、そうだな」


 手を握りあったまま笑い合うこの姿は旦那さまだけでなくわたしもおかしいかな?

 おかしかろうとこうやって二人で笑い合える時間をとても幸せに感じる。

 このままずっと時間が止まればいいのに。

 と願ったところでこのままずっと固まっているわけにはいかない。

 一旦手を離してお互いのソファに腰を下ろす。


 お茶。

 一息。


「ところでやはり今日もお忙しいんですか?」


 落ち着いたところで今日の予定を確認する。昨日あれだけ遅かったのだ。今日ももちろん仕事であろう。

 せっかくの夏フェスだが仕事とあれば仕方ない。妻として旦那さまの仕事を邪魔するなんて論外だ。

 が。寂しいものは寂しい。


「いや、今日は領都からやってくる法務官と騎士団待ちだからな完全にオフだ」


 なんと!


「ほんとですか!?」

「ああ」


 なんとうれしいことを!


「じゃあ、出店で一緒にご飯を食べたり、海に行って遊んだりできます?」

「もちろんだよ」

「うれしい! 早く支度していきましょう」


 ソファから立ち上がり、旦那さまが気にいりそうな出店を頭に思い浮かべた。


-----------------------------------------------------------------


「これは壮観だな」

「企画から頑張りました」


 海岸線にずらっと並ぶ出店の列を見て旦那さまは驚いて言い、わたしは自慢げに応える。


「一つずつ出店を見ながら何か食べたいものを選びましょ」

「そうだな」


 端から端まで歩くと三十分ほどかかる出店ロード。

 そこをこれが美味しいですよ。これもおすすめです。これだけは食べておいた方がいい。あ! これはマーサ考案の料理で絶対外せません。などと全ての出店に捕まりながら歩いて行く。

 いつの間にかにわたしと旦那さまの手には出店で買った品が増え続ける。


 そしてそれと同期するように。

 小さな子供領民が後ろをついてくるようになった。


 子供たちは口々にわたしに話しかけてくる。


「ねえちゃんサエトリアンだろう?」

「そうよう」

 肯定すると。

 一人増え。


「すげえ! 本物のサエトリアンだ!」

「サエトリアン参上!」

 ポーズを取れば。

 三人増え。


「昨日のライブ見たぜ!」

「倒れなかった?」

 五人増え。


「サエトリアンすっごく可愛かった! わたしもサエトリアンみたいに可愛くなりたい!」

「なれるわよ。貴女すっごく可愛いもの」

 十人増え。


「うたうめえよなあ」

「ふふん」

 数えきれない数が増え。


 子供の海となった。

 モーゼでもこの海は割れまい。


 こうなってはしゃーなし。

 出店の邪魔にならないように少し距離をあけてちびっ子領民を集める。


「ぐふふ。ちびっ子領民どもよ、もっと褒めたたえるが良いぞ! ほれコールアンドレスポンスいくぞ!」


 おー! と元気に飛び跳ねるちびっ子。


「サエトリアン?」

「サイコー!」


 結構いい声出すねちびっ子ども! だがまだだよ!


「聞こえねえよ?」


 耳に手を当てて煽ってやる。

 ちびっ子どもはムキーとなって飛び跳ねるのでそれを鼻で笑ってやる。


「サエトリアーン!」

「サイコー!」


 いいねいいね! もうちょっと出してみようか?


「まだいけんぞう!」


 手でクイクイと煽ってやると嬉しそうに反応する。

 わたしは無言で肯く。


「サエトリアああああああン!!!」

『サイコー!!! フォオオおお!!!』


 何十人も飛び跳ねると子供とはいえ地面が揺れる。

 そしてその大勢が大声で一斉にサエトリアンを讃える。

 普段のライブでは味わえない感覚だ。


 よし満足じゃ。


「いいぞ! 優秀な領民どもには褒美をつかわそう!」


 そういって旦那さまの抱える食べ物を指し示す。


『やったー!!!!!』


 無秩序に群がる子供たちにわたしが声をかける。


「押すなー!」

 といえばゆっくりとなり押し合わず。


「ちびっ子を大切にしてやれよう」

 といえば年長の子供が小さな子の手をひく。


「一列になれえ。そう、そうだ。えらいぞう」

 といえば乱雑な状態から列を作る。


「ようし! さすが我が領民どもだあ」

 本当にすばらしい領民どもだ。ちょっと涙腺が緩みそうになるのを鼻を鳴らして止める。


 一つ一つ、一人一人に出店の料理を配る。


 小さな口から溢れる感謝と尊敬に心が温まる。こうやって領民全員に幸せを配っていければなあ。

 途中、足りなくなりそうな料理を旦那さまが補充してくれた。

 あらかた全員に出店の料理を配り終えると旦那さまの手に残っていたのは小さなイカ焼きのみだった。


 旦那さまの大きな手につままれた小さなイカ焼きに二人で少し笑った。


 その小さなイカを手に二人きりになれる静かな岩場に移動する。


「旦那さまありがとうございました。せっかくのお休みを二人で過ごすはずがなんかすいません」

「いや、いいんだ」


 なんだか考え事をしているようだ。

 やっぱり二人きりがよかったかな?


「旦那さま? やっぱり嫌でした?」

「違う。僕は感動してるんだ」


 かんどう?

 なんで?


「感動ですか?」

「僕はずっと城にこもって魔素を身に受けて、民のため、民のためと考えて執務だけをこなしてきた」

「素晴らしいですわ」


 旦那さまらしい愚直さ。とても愛らしい。


「でもどこか虚しかった。もちろん自分の使命はわかっているしそれを否定してる訳ではないんだ」

「わかります」


 そうよね。頭ではわかってても心で理解はできない。人間だから。

 どうして自分がって考えはどうしたって湧いてくる。


「でも今日実感できたんだ。僕はあの子供たちを守るために今まで生きてきたんだ」


 わたしは静かに肯くだけ。


「ありがとう、サーシャ」

「こちらこそ。旦那さまがそういうお考えの方でよかったです」


 本当によかった。タニアから聞いていた辺境伯のイメージはどこに行ったのだ。


 二人で微笑み合う。


 そこへタイミングよく。ぐううとわたしのお腹が鳴った。


「ぐえ」


 しまらない腹だ。


「これ食べようかサーシャ」


 旦那さまがイカ焼きを持ち上げる。


「ええ。旦那さまからどうぞ」

「いや、サーシャからだ」


 そう言って手に持ったイカ焼きをわたしの口に差し出した。

 アーンしてくれるのね。

 ふふふ。どうしたって思い出してしまう。

 わたしはからかうように口を開く。


「旦那さま? くちびる見てます?」

「見てる」

「そうですか」


 あっけのない返答に、言ったわたしが照れ臭くなり、差し出されたイカに無言でかぶりつく。

 噛み切るのに少し苦労しながらエンペラの部分を口内におさめ、もきゅもきゅと咀嚼する。

 旦那さまも自分の手にあるイカにかぶりつきもきゅもきゅと咀嚼している。

 交互にイカを食べ、それがなくなり、ただ無言で沈む夕日を見ながらもきゅもきゅと。

 しばらくし、咀嚼を終え、イカを嚥下した旦那さまが言う。


「綺麗だ」

「ええ。夕日、綺麗ですね」


 本当に綺麗だ。

 今日一日の終わりにふさわしい。


「いや、サーシャのくちびるだ」

「そっち!?」


 そっちかあい。

 なによう。

 興味なさそうにしてたじゃないの。いや興味はあったのか。見てるって言ってたもんなあ。


「そうそっちだ。ずっと見ていた」

「ぐえ」


 ストレートな言葉に言葉を失ってしまう。


「ああ、我慢できない。いいだろうか?」

「そういうの聞くのは野暮ですよ」


 わたしの愚直な旦那さま。


「そうか」

「はい」


 静かに見つめ合う。


 夕日に照らされた二人の真っ赤な顔が近づき重なった。


 それは夕日が沈み、一つの影が闇に溶けるまで離れる事はなかった。

お読みいただきありがとうございます。

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