喜びをうたおう
昼過ぎに乗った馬車は領都をでて一時間ほど走った先にある山の中腹で止まった。
ここから目的地までは十分ほど歩けば着くようだ。道は一本道で迷う可能性は皆無らしいから御者は馬車で待つという。つまりはわたし一人で行ってくださいってことだ。
声で危険性を確認してみるが特に問題なさそうだったので一人で山道を登る。
言われた通り十分ほど歩くと見晴らしのいい場所にでた。
「ふいー! 空気が美味しいわ!」
軽く深呼吸して体を伸ばす。
眼前に広がるパノラマは領都を見下ろし、その先には辺境伯の館、さらにその先には聖域までも望む。
「そういえばしっかりとこの領都を眺めるのって初めてかも」
公爵家から辺境伯家に嫁いできて。
初めはスパイ疑惑をかけられたり、聖域を浄化してみたり、ライブで身バレしてみたり色々あったわあ。
そこから聖域の問題が再発して。
賢者師匠が出てきて、なぜかいきなりダンジョン攻略させられて。
やっと落ち着いたと思ったら。
何だか旦那さまの様子がおかしい。
「人生ってままならないわあ」
そんな呟きと同時にガサリと背後で足音がした。足音だけで誰かわかる。
わたしは少し迷って振り向いた。
「待たせたね、サーシャ」
旦那さま。
銀色の髪をした。
赫い目をした。
細身な体に素晴らしい筋肉を秘めた。
わたしだけの銀色の獣。
失いたくないなあ。
身バレからの婚約破棄を覚悟した時よりも強く思う。愛しちゃってるんだなぁ。
「どうしたんだいサーシャ?」
旦那さまは自分の問いに応えずにぼうっと己を見つめる妻に不思議そうに問いかける。
わたしを心配しているようでも、やはり視線は定まらない。
こちらを見ては逸らし。逸らした視線を跳ねさせるようにこちらに向ける。
まあいい。
「いいえ、今日はお誘いありがとうございます。今日はどうしてこちらへ?」
「ダンジョン以来忙しくて、サーシャとしっかりと話ができてなかっなと思ってね」
隣に並ぶ。ふわりと旦那さまの香りが鼻の奥をくすぐる。
いつもなら脳が溶けそうになるこの香りも、嫌な未来を想像している今は甘さが逆に涙を誘う。
だって声には相変わらずわたしの知らない感情がのっているもの。揺れているし荒れている。
あー涙でそ。
ダメダメ。切り替えていこう。
すんと鼻を鳴らして旦那さまに応える。
「そうなのですか。眺めのいい場所ですね」
「うん、ここは先代の領主によく連れてきてもらった僕だけの秘密の場所だ。よく領都が見えるだろう?」
旦那さまはそう言いながら一歩前に出る。
そして眼前の景色を己が手で広げるかのように大きく両腕を開いた。
先代の話をしているせいか少し声に落ち着きがでている。
「ええ、とても見晴らしがよくていい場所ですね」
美しい銀髪が映える、たくましい背中に向かって応えた。
「魔素に覆われていた頃のここからの眺め。それとそれが解決してからの発展していく様を見て、自分の守るべき人々、自分が存在する理由である人々。その姿を覚えておけって父からよく言われたよ」
「いいお父様でしたのね」
お会いしたかったわ。旦那さまじゃないけれどもう少し早くわたしがここに来れていたら。
「ああ。父にもサーシャに会ってほしかった」
どうにもならない後悔。旦那さまにもわたしにもどうにもできなかった。
その感情を振り払うように旦那さまは言葉を継いだ。
「後はあのダンジョンでのお礼もサーシャに言えてなかったしね」
「お礼?」
なんの?
「また僕は君に命を救われたよ。本当にありがとう」
「ああ! それは当たり前じゃないですか。旦那さまはわたしの全てでしたから」
「でした!? なぜ過去形!」
旦那さまが耳ざとく言葉尻をとらえ、こちらを振り向く。
しまった。つい悲しくて。言葉に出てしまった。
こうなっては仕方ない。こちらから切り出すしかない。
ピンと背筋を伸ばして腹筋に力を入れる。
こう言う時こそ強くあれ。
師匠の教えだ。
「旦那さま」
「なんだいサーシャ」
わたしのめずらしく真面目な声に反応して、いったんこちらへと真剣な顔を向けるがすぐに視線が逸れる。
やっぱり。
「わたしの事を嫌いになりましたか?」
「は? いきなり何を言ってるんだ! そんな事はない! 絶対にない」
大きくかぶりを振る。
言葉に嘘はないが。
「嘘です」
「ウソじゃない! 誰がそんな事を言った? 僕の何が君にそんな風に思わせたんだ?」
「だってダンジョンから帰ってきてずっとわたしに対する感情がおかしいのです」
「う」
「ほら」
旦那さまの声が大きく動揺する。わたしがずっと最近の旦那さまの声に感じていたモノだ。
この感情をわたしは知らない。でもこれが原因でわたしを避けているのはわかる。
「違う」
「違いません」
違わないのです。わたしに嘘は通じません。
旦那さまが望むならわたしはどうとでもいいのです。ただ正直に言ってほしいだけ。
「違う」
「やっぱり放射熱線吐ける妻は嫌ですか?」
「嫌じゃないよ」
言葉に嘘はないけど。
「うそ」
「ウソじゃない」
うそよ。
「やっぱり胸をヨダレまみれにする妻は嫌ですか?」
「それはむしろ嬉しかった」
言葉に嘘はないけど。
むしろちょっと喜びが乗ったけど。
「うそ」
「ウソじゃないよ! 本当だ! 僕はサーシャが大好きだ! 愛している!」
言葉に嘘はないけど。
でもそれじゃああの感情はなんなのだ! それが原因で避けられていれば不安にもなるのだ。
わたしは旦那さまが大好きで、旦那さまの感情がわかってしまうのだ。
「じゃあなんで最近わたしに対する感情が変わっているのですか?」
「が! なんでそれが!?」
旦那さまの美麗なかんばせが大口開けて歪む。かわい。
ダメダメ。感情に流されるな。
「わたしはサエトリアンです。音に乗った感情は全てわかります」
「そんな事が! さすがサエトリアンだ! そうか。バレていたのか。いや………でも。どうしても言わなきゃダメかい?」
大きく開いた口を閉じた旦那さまは気まずそうに言いずらそうに視線を下に落としてモジモジとしている。理不尽に叱られた大きな犬がすねている様相だ。
「だめ」
「ぐう」
知りたい!
嫌われていないとしてもあの感情をわたしは知らない!
今後の夫婦生活に関わります。
まだ言いたくなさそうにしている旦那さまには最終兵器!
「言ってくれないともう旦那さまだけのために新曲歌わない」
その言葉に俯いていた顔は跳ね上がる。
「いう!」
「はいどうぞ!」
どうぞどうぞ。
「言う前に、トシゾウは墓場に送らないって約束してくれる?」
「なんの話ですか?」
いきなりなんだ物騒な。
なんでわたしがトシゾウを墓場におくるのよ。トシゾウめ、旦那さまに変な事言いおって、ほんとに墓場に送ったるぞ。
「約束して」
「はい」
まあいいですけど。
「実はトシゾウから僕が九尾の魔素から回復した経緯を聞いたんだ」
「殺す」
殺す。
あのやろう。わたしの汚点を。わたしすら自分にブレインウォッシュかけて封じてた記憶を。言われた瞬間思い出すように仕込んどいた記憶が蘇ったぞ!
殺す。殺す。殺す。
「待ってサーシャ! 約束しただろう?」
「シャー!!」
これが落ち着いていられるか。墓場まで持っていくはずの秘密を。
言っただろう。口の軽い暗部は墓の道ずれにすると。
「落ち着いてサーシャ!」
つよく。つよくつよく。
ぎゅうと抱きしめられる。
はふん。
「僕はトシゾウにその話を聞いてから、ずっとサーシャのくちびるを見てしまうんだ」
「ぎゃあ」
ぎゃあ。
なんやて。相変わらず旦那さまの声には知らん感情が乗っている。むしろ強くなっている。
「それが申し訳なくて気まずくてついつい」
「ほ」
旦那さまの声にのる感情が知らんソレだけになっていく。
「ダメだダメだと思いながらも、どうしてもくちびるが見たくてデザートを食べさせたりもした」
その時もその感情が乗っていた。
「一緒に視察に行っても隣にいるサーシャのくちびるしか見えなくて結局別の場所の視察をした後で戻ったりもした」
ずっと視線を感じていた。
うれしかった。
離れた時のさみしさもひとしおだった。
「でもそんなやましい気持ちを持っている自分に嫌気が差して仕事に集中するために執務室に逃げ込んだりもした」
確かにその感情があふれたと思ったら執務室に行ってしまった。
「も、もうやめて、旦那さま。うれしくてはずかしくて死ぬ。愛する旦那さまにころされる」
あの感情はわたしに対する良い感情だったのか。知らんかった。あれがあると態度がそっけなくなるから悪い感情かと思ってた。知らんかってん。知らんかってん。
もうやめて。
「やめない! 聞いたのはサーシャだ! 僕のこの気持ち。ずっと蓋をしてたんだ。サーシャに知られたら嫌われると思って! でももうダメだ!」
やめてくれなあい。
はい死んだあ。
「だ、旦那さま! 待って待って」
「待てない!」
待ってくれなあい。
はい死んだあ。
「じゃ、じゃあどうしたらいいのよう」
「君のくちびるが欲しい」
「ふぁあ」
くちびるぅ。
「目を閉じてサーシャ」
「はいぃ」
わたしの声にも旦那さまと同じ感情が乗ってるぅ。これ知らんのぉ。
抗えない感情に大人しく瞼をおろす。
抱きしめられていたわたしは解放されて、背中に回っていた手が肩に置かれた。
閉じた瞼越しにも顔に影がかかったのがわかる。
ゆっくりと気配が近づく。獣の気配だ。わたしだけの獣の気配だ。
獣がわたしのくちびるを奪おうと襲ってくる。
肩に置かれた手が震えている。
獣も怖いのだ。はじめての体験に弱いわたしの獣だ。
ちょっとだけ緊張が緩んだ。
その刹那。
脳に電撃が疾る。
くちびるの感触よりも先に脳が反応する。
衝撃が去った後、そこに訪れたモノがくちびるの感触だと理解する。
少しだけくちびるを動かしてその感触を味わう。
やわらかい。
ただやわらかかった。
あたたかい。
もうただあたたかった。
しっとりしてぷるぷるしてやわらかくてあたたかい。
幸せの感触。
ファーストバイトの時には全くわからなかった。
ただただ幸せが押し寄せてくる。
胸があたたかくて。ドキドキして。きゅうっとなって。
もっと欲しいと思った瞬間。
それは離れていく。
くちびる同士が意思を持ってはなれたくないと願っているように引き合いながらそれでも離れていった。
瞼を開く。
そこには幸せがいた。
銀色の。
赫色の。
はにかむように微笑む。
わたしだけの幸せが。
困ったように言うのだ。
「もう一度」
「はい」
言葉はこれだけでいい。
優しく。
ゆっくりと。
近づいてくる銀色の獣。
その赫い瞳。
閉じていく私の瞳の中にそんな貴方の瞳を浮かべながら。
今はただ。
こうやって二人だけの感覚に身をゆだね。
細胞全てからわきあがってくる。
この喜びをうたおう。
これにて第二章完結となります。
死にかけないとキスも出来ないような二人ですが読んでいただけてうれしいです。
次の章で最終章とする予定でおります。
書き溜めの様子を見ながら再開予定ですのでブクマをはずさずに少々お待ちいただければ幸いです。
閲覧、評価、イイネ、感想、レビューの全てから力をいただいております!
ありがとうございます!




