よだれと枕
はえー。いい弾力。
わたしはとても柔らかくそれでいてとても反発力がある高級枕を手に入れていた。
頭を乗せているだけで癒され、幸せが押し寄せて来る枕だった。
ジュル。
おおっとついついよだれがこぼれた。
まあいっか。枕カバーを洗えば良かろう。
今は幸せに浸ろう。
枕に手を伸ばし自分に引き寄せよだれにまみれた頬をすり寄せる。
「さ、サーシャ」
わたしを呼ぶ声がする。
「まだ眠いの。この枕サイコーなの。あと五分お願いタニア」
これはタニアだろう。この幸せ枕とわたしを引き離そうとするとは悪の所業ぞ。あの九尾だってそんな事はしない。
ガッチリと枕をホールドしてスリスリと涎でマーキングする。
「さ、サーシャもうさすがに僕も」
僕も?
九尾?
ん?
「って九尾は!? 旦那さまは!?」
そうだ。サイコー枕によだれすり付けてる場合じゃねえ! 九尾にやられた旦那さまの治療中じゃねえか!
顔を上げたわたしの目の前にいたのは真っ赤な顔した旦那さまだった。
瞳の色より赤いんじゃないかな?
「あれ? 旦那さま。元気なの? てことは死にかけてたのが夢で枕は本当? わたしの枕は?」
「………」
旦那さまは答えない。
どうしたのかしら顔を真っ赤にして。怒ってるワケじゃなさそうだし。
どうしたの? とトシゾウを見る。
「枕ならそこにあるじゃないっすか」
旦那さまの状態には一切触れずに、トシゾウが指し示した先を見る。
何とそこには。
よだれにまみれた一糸まとわぬ旦那さまの………胸部が………。
ああ、こっちが夢かぁ。
やらかしたあ。
「あの、ごめんなさい」
「いや」
何も言えねえ。
お互いに何も言えねえ。
こんな時は助けてトシえもん。
「はいはい、それじゃあ一回状況をまとめましょ」
さすがトシえもん。このチームの常識人枠は伊達じゃないぜ!
「そ、そうだな」
何とか誤魔化しながら立ち上がる旦那さま。
「よろしくね。トシゾウ」
何もありませんでしたがなにか?
概ねわかっている話だが大体の流れはこうなっていた。
九尾は負けを覚悟した段階で最後の尻尾に己の魔素をあるだけ籠めた。それが理由で残り一本のなった段階で心臓も止まったし呼吸も止まっていた。また他の尻尾が弱かった理由もそれだった。
まんまとその作戦にはまったわたしたちは弱った旦那さまを一人置き、完全に油断した。その隙に九尾はゆっくりと旦那さまを蝕んだのだ。
なんというか自分が燃える声でヤッたことをそのまま返されている感じでいたたまれない。
目的を果たした九尾はそこで力を使い果たし塵に帰った。
のはいいけれど旦那さまが魔素により瀕死の状態。わたしが浄化すれどもすれども治らず、いよいよヤバいとなったところでスーパーパワーが発動して旦那さまは無事回復。わたしは力を使い果たし気絶した。
と。いうことにさせました。後半部分は特に念入りに。
圧倒的な眼力と指向性をもたせた声の脅迫で。
ファーストバイト事件は闇に葬ることにしたわ。墓場に持っていくわ。秘密を漏らすような暗部は墓に入れるわ。
結婚式でやることなのよ。ファーストバイトは。内容は大幅に違うけど、字面だけだったら同じでしょ?
結婚式か。やるのかしら? そもそもできるのかしら? なんだかんだ問題がひっきりなしに発生しているこの状況でドレスの発注やら招待する方の選定やら何やらかにやらある煩雑な事はできない気がするわ。ライブもあるし、楽曲制作もあるし、グッズの企画もあるし。
乙女の夢ではあるのだけれどねえ。
そのうちにできるようになるかしら?
「と言う事で! よろしいですか? サーシャ様?」
「え?」
脅迫して事実を捻じ曲げた後はいつもの妄想癖で全く聞いていませんでした。
トシゾウはいかにも聞いてなかっただろう? と言わんばかりの不満顔。
「う、うん」
とりあえず、うんって言っとけばええやろ。
「じゃ、いきましょうか?」
「どこへ?」
わたしがそう言った瞬間にトシゾウが渋面を作る。
「やっぱ聞いてなかった!」
「うへばれた」
ぐへ。秒でばれた。しまったしまった。よくわからずにうんって返事するもんじゃないな。よく海外のクライアントにイエスイエスって言っといて失敗したもんなあ。まあ無茶を聞くのは師匠だったから問題なかったけど。
「だーかーらー。九尾が消滅して隠し通路の入り口が開いたから行きますよっていってるんすよ!」
「キャン。トシゾウごめんて」
耳元で怒らないでー。なんだかトシゾウがタニアみたいな怒り方する!
でもすぐにトシゾウは思い直したように怒りをおさめた。
「まあいいっすよ。これを聞いてなかったって事はさっきのも聞いてなかったって事でしょうし」
「ん? なんなのよ?」
何か怪しい声の響き。表情はなんて事ないが声は怪しい。
「いやいいっすよ。さっさと秘宝ゲットしにいきましょう」
ごまかす響き。怪しい。
「トシゾウ? 何か隠してる?」
「隠してはないっすよ。サーシャ様が話をきいてなかった事を許しただけっす」
嘘はないけど。うーん。まあこの状況でグダグダ言うのも。
「まあ、そうね。いいわ。ところで旦那さまは動けます?」
ふと無言の旦那さまが気になり声をかけてみる。なぜか真っ赤な顔して無言で肯くのみ。
どうしたんだろう? まだ回復しきってないのかしら?
「はいはい、ご主人もサーシャ様もいきますよ」
先陣きっていつの間にかに開いていた入り口に向かうトシゾウを二人で追いかけた。
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「これが秘宝っすか?」
隠し部屋にあったのは石の台座に置かれた石の塊だった。
トシゾウの言葉からわかる通りとてもしょぼい。命をかけてここまでくる価値があったのだろうか。その辺の山でも川でもどこでも拾ってこれそうな代物だ。
三人でしょっぱい顔して見つめ合ってしまう。
「でもこれが必要なんでしょう?」
「賢者殿曰くな」
「賢者様曰くっすね」
二人して賢者に対して不審顔。
おい師匠。信頼度爆下げしてるぞ。どうする。
「とりあえず持って帰りましょうか」
これ以上不信感が増さないように、さっさと台座から持ち上げて師匠から渡された秘宝用のポーチにしまった。
「そうっすねぇ」
「持って帰って賢者殿の話を聞くしかないだろうな」
二人ともこの場でどうこう言っても仕方ないと思ったのか。一旦鉾を納めたようだ。
「これで行くダンジョン間違ってました。てへってやられたら俺はクナイを投げつけそうっす」
鉾を納めてクナイを抜いていた。
でも実際。
「師匠ならありうるかなぁ。結構ドジだから」
二つの仕事のオーダーでそれぞれの曲調の指定勘違いして真逆の曲わたした過去があるしね。なんでかクライアント大満足してたけど。
「僕は死にかけたんだがね。別のダンジョンに行けと言われたら今度は賢者殿に行ってもらおう」
「旦那さま、ナイスアイディア。さすがに次は師匠に行かせましょ」
帰り道、わたしたちは冗談めかして師匠の困った行動を愚痴り合いながら歩いた。
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