咆哮と咆哮
少しだけ血が出ます。
苦手な方は終わり十行程度までスクロールして頂ければと。
開戦の狼煙は旦那さまが直線的に九尾へ駆けることで上がった。
咆哮。
悲鳴とも遠吠えともノイズともつかない音の威嚇。
旦那さまの数メートル後ろを走っているわたしにも届く音。
普通の人間やモンスターならこれを聞いただけで恐慌状態に陥り何も出来ず、あそこでニタニタと笑うようなケモノの血濡れた口に噛みちぎられるのであろう。
だがわたしたちは違う。
あらかじめ先頭を走る旦那さまには音のバリアをはってある。あれはそこにあたった音の中で害意や敵意を含んだ声に対して自動で逆位相を形成して相殺する効果がある。
つまりお前の咆哮は無意味だ。
というか音でわたしと勝負しようとは随分となめくさった真似をしてくれる。こちとらサエトリアンやぞ。
走りながら旦那さまに対して身体バフ全部のせを投げつける。
届けわたしのラブ。ぐふふ。
トシゾウは………っいた。
不規則な動きで敵に気取られない様にしているな。動きを予測して、彼のいく先へ置きバフ。
中身は同じでもトシゾウには義理バフなんだからねっと。
これで二人とも身体能力二倍になっているから後はなめた真似してくれている九尾をキャン言わせる作業ですよっと。
と思っているとバフのかかった旦那さまがすでに九尾に切り掛かっている。
最初のご挨拶なのだろう。宙に飛んだ後、特にひねりのないまっすぐな上段からの斬り下ろし。
九尾もそれをわかっているのか腰をスッと上げて尻尾を一本横なぎに勢いよく旦那さまに向かって振り抜いてくる。
太さだけで旦那さまの身長くらいある面の攻撃。
普通なら空中で面の攻撃を受ければ避けられないだろう。
が、相手はわたしの旦那さまだ。斬り下ろしの体勢だろうがなんだろうが、横から現れた尻尾に対してだろうが無策なはずはない。
向かってくるそれを足で蹴り、その勢いでさらに空高く飛び、そのまま天井付近で姿勢を反転させて天井を蹴る事で方向転換。そのままわたしの目の前に綺麗に着地した。
「さすがわたしの旦那さま」
一連の美しい動きにわたしは思わず声を漏らす。
「ありがとう。僕のサーシャ」
旦那さまも背中で応えてくれる。
「挨拶は終わったから狂化するよ。歌頼んで良いかい?」
「はい、お任せください」
わたしの了承と同時に旦那さまの身体が一気に膨らむ。
内包していた筋肉が全て解放される。
美しい銀色の。わたしだけの獣。
「美しいです。旦那さま」
狂化がはがれず、理性だけが復帰する歌を歌う。
「ありがとう」
旦那さまの背中に理性が戻る。しかし身体の内部では肉が血が荒れ狂っている。
咆哮。
今度は旦那さまだ。
さっきの意趣返しだろう。旦那さまはほんとに洒落た事をなさる。
それを受けた九尾は恐慌状態とまではいかずとも不快感は感じるようで鼻の頭に皺を寄せて口を歪めた。
そしてそこに気を取られている九尾に対してトシゾウがせっせとクナイを投げつけている。さっきのクナイとは違って尻の部分に細いワイヤーのようなものがついている。そのワイヤーで自由を奪っていく作戦らしい。
やるわねトシゾウ。
わたしも負けてられないわね。
身体に影響する直接的なデバフを九尾に対して投げかけながら走る。その走っている最中に壁に向かってケモノだけが聞こえる周波数帯で精神的にイライラする音を投げかけておく。ある程度壁にあたって減衰はするが、良い感じに反響して九尾の集中力を削げれば良い。
そんなふうに外周を走っているわたしの横にトシゾウがするりと並走してくる。
「サーシャ様! 九尾の力の源はあのモフっとした尻尾っす。そこを重点的に攻撃していきましょうっす」
「あいよ、トシゾウ。バフの具合はどう?」
「ほんとすごいっす。これなら冗談抜きで下位の騎士団辺りだったら無双できそうっすよ。あざっす。俺はこのまま尻尾に対してクナイで地面に縫い付けるようにしてくんで、サーシャ様とご主人の共同作業で削って欲しいっす」
「なに言ってんのよトシゾウ。共同作業なんて………ぐふふふ。まだ早いぃ」
「いや、逆になに言ってんすか。マジで優勢とはいえ油断しないでほしいっす」
「おっと危ない。気をつけるわあ」
返事を聞かずにトシゾウは消えていた。
消えた先の動きを目で追う。
すご。なんかあの子分身してるわ。暗部頭ってのも伊達じゃないわね。
「さてわたしも久々に口から熱線吐きましょうかね」
デバフを撒くために走り回っていた外周部分から、徐々に徐々に内周へと移動し、九尾との距離を縮める。
正面には旦那さまが陣取り、九尾のヘイトを完全に引きつけている。
さすが旦那さま。そのままお願いします。とわたしは後ろに回り込む。
「尻尾ねぇ」
回り込んだ先には人の背ほどの太さがある九本の尻尾が右へ左へと忙しく動いている。
どうやら一本一本異なる性質を持った尻尾なようだ。
手始めに熱に弱そうな草っぽい尻尾に対して放射熱線で攻撃してみる。
歌に乗せて高周波で振動する音を尻尾の根元に向かって投げかけた。
尻尾は攻撃に使われているのであちらこちらと不規則に動き回る。当然わたしもそれを追尾して歌を投げ続ける。しばらく投げ続けないと効果が出ないのがこれの弱点よね。
最初は違和感程度の攻撃。
それは段々と内部の細胞を蝕む攻撃。
気づいた時には細胞が熱を持ち、身体の内部から発火している。
そんなイヤらしい攻撃。
「ほいきた」
九尾が攻撃されている事に気づいた時にはすでに尻尾の根元から発火していた。突然その身を襲った火に九尾は混乱した。己の力の源が燃えている。それは人間が想像するよりも重大な事象だった。
身をよじり、地面に身体をこすりつけ、尻尾についた火を消化しようと暴れ回る。
しかしその火は消えない。
細胞を蝕む火。
普段は絶対に使うことのない攻撃だ。
ついこの間、賢者師匠を隠滅するのに使いかけた事はなかった事にしてほしい。
九尾はついに消化を諦め、火のついた尾を切り離す判断をした。
尾の根元にその牙を刺し、思い切り引きちぎる。
尾の根元から鮮血が舞う。
尾を咥えたままわたしに視線を向ける。
いやな音を出すだけのとるに足らない人間。
から。
己のアイデンティに傷をつけた敵。
に。
認識が変化したのがわかる。
咥えていた尻尾をわたしに向かって放ってきた。
宣戦布告であろう。
処刑宣告かもしれない。
わたしは目の前に落ちた巨大な尾にさらに熱線を放ち消し炭に変える。
そして相手を睨みつけた。
良いだろう。受けてたつ!
と言っても。
わたしは人間だ。
ずるい人間だ。
睨み合いは短時間で終わりを告げる。
「ギュオオオオオ」
九尾の叫び声で。
お前が戦っているのは一人じゃないぞ。
叫び、驚き、地面をのたうつ九尾。
その後ろでは一刀の元に二本の尾を斬り落とした旦那さまが己が剣の血を払っていた。
修羅よねえ。
ああ美しい。わたしだけのケモノ。
そしてここからは完全にワンサイドゲームだった。
命の取り合いにワンサイドもないものだが、生存競争というのはいつだって残酷だろう。
九尾は必死の抵抗をしている風だが、決して攻撃はわたしたちに届く事はない。
どちらかに注意を向ければ尾を刈り取られる。
両方に注意を向ければ正面から攻撃を受ける。
九尾としては完全に詰みである。
残りの尾が五本、四本と減っていく度に九尾の動きは精彩を欠いていく。
残りの尾が三本、二本と減っていく度に九尾の身体から生命がもれていく。
残りの尾があと一本という状態になると九尾の全ては動きを失った。
生きているのか死んでいるのか。
遠くからでは判断がつかないわたしたちは恐る恐る全員で近づいて確認する。
聞こえる音としては、呼吸音もなく、心臓の拍動音もしない。
一般的には、死んでいる。
たぶんだいじょうぶ。
わたしは左右に並ぶ二人へと静かに肯いた。
二人の緊張がほどけるのがわかった。
同時に誰からともなく安堵の言葉がもれる。
「終わったな」
「終わりましたねえ」
「ほんとに三人でやっちゃったっすね」
血溜まりの中、わたしたち三人は力を抜き、完全に安心していた。
お読みいただきありがとうございます!
バトルはこれにて終了となります。




