九尾とバトル
九尾の狐。
ボス部屋への扉を開けた先にいたのはそうとしか言えないモンスターだった。
体毛は金毛とまではいかないがツヤツヤとした狐色で四メートル以上あるだろう身体を包み込んでいる。四足の脚は体全体から見ると細く見えるがその中にとてつもない膂力を秘めているだろう事は想像に難くない。
何よりも特徴的なのは複数の尾。
九尾の狐が九尾たる所以。
お座りした体勢で座している本体の後ろでまるで後光のように陽炎のようにゆうらゆうらと揺れている。
入り口すぐの場所にいる分には襲い掛かってはこないようだが、目線と尻尾で確実にこちらを挑発してきている。感情や知性があるのだろう。
「狐っすか」
「ああそうだな。ただの狐なら問題ないがあれは九尾だな」
二人の反応を見るに、九尾となると、この世界でも難敵という認識で問題ないらしい。さすが賢者師匠の試練は一筋縄ではいかない。
「ご主人にもそう見えます?」
「数は数えられるからな」
「ご主人、ちっさい頃はよく計算問題ミスってマーサさんに怒られてたっすけどね」
「ぐう」
「旦那さまにそんな可愛い頃が!」
「そっすよう」
普段通りのくだらない会話に聞こえるが、雰囲気は決していつものゆるいものではない。全員の視線は遠くに座している九尾の狐に注がれており、そこから動く事はない。
そのちぐはぐな感じがより一層皆の緊張を如実に表している。
その証左にいつもならダラダラと続く会話もトシゾウの言葉に誰も継ぐ事なくぶつりと切れた。
呼吸音。
心拍音。
筋肉の軋む音。
わたしの耳には全部が届く。
旦那さまがここまで緊張するモンスター。どの程度の強さなのだろうかと問う。
「九尾ってどのくらい強いんですか?」
「そうだな。王都の騎士団の第一から第三くらいまでのエリートを全員動員してなんとか退治できる感じかな」
「おうバケモノ」
王都の騎士団って超絶エリートじゃないですかやだあ。それが上から三個分の戦力でなんとかって感じだと………どうなんだろ? 正直王都の騎士団って知らないからちょっとピンとこないかも。バケモノとか言っといてなんだけど。
「間違う事なくバケモノだ」
そうか。旦那さまが言うならそうだ。
じゃあそもそもこっちとあっちでどれくらい差があるのかな? 正直旦那さまが強いとは聞いてるけどわたしは見た事ないし、あの筋肉は戦闘で使うのではなくわたしを抱きしめるのに使うべきだと思っている。だから今までは戦闘とか魔獣駆除とかはあまり興味がなかった。
「じゃあ彼我の戦力差ってどれくらいあります?」
「僕だけで言えば向こうが三に対して僕が一だ。もちろん狂化して、だけど」
ちょっと聞き捨てなりませんね。
「ん? 旦那さま。それを聞くと旦那さまが王都の騎士団一個分強いって聞こえますけど?」
「あー」
わたしの問いに旦那さまは口ごもる。
聞いてはいけない事だった? でも旦那さまから言っている事だし。
と考えながら旦那さまの顔を見ていると横からトシゾウが助け舟を出してきた。
「サーシャ様、それそのままっす。ご主人は第一騎士団全員相手に狂化使って相手に何もさせないで完全勝利してるっす。あれは見ものだったすね。田舎者だのなんだのってバカにしてた奴らがほぼ一瞬で床に叩きつけられてっすから」
「おうバケモノ」
シンプルに事実だった。
王都騎士団に対してそれって事は数をものとしない圧倒的な個の強さってことよね。それならシンプルに目の前のモンスターにもいい勝負ができるんじゃないかしら?
「それが原因で王都の人間には嫌われたっすから、あんまり言いたくないらしいんっすよ。自慢すればいいのに」
トシゾウに言われて、旦那さまは気まずそうな顔で頬をかいている。
「もしかして貴族界で聞く罵詈雑言はそこからきてたの!?」
なるほどタニアから聞いていた世紀末領主な印象と今の可愛らしい旦那さまの印象では異なっていたのはそこが原因か。確かに狂化している時の旦那さまは迫力あるものねえ。
「それだけじゃないっすけどね。それもあるって感じっす」
「ほえー旦那さま、強いんですねえ。て事はあれとやっても案外いけるんじゃない?」
「サーシャ様、それだとサーシャ様と俺も騎士団一個分強いってことになっちゃうっす」
「ぐふふ。実はわたしもそこそこ強い」
ぐっふふふ。普段はサエトリアンの活動に影響でないように使ってない声も色々あるのよ。
それを聞いて疑わしげなトシゾウ。
わたしの言う事は完全に信じているのか、うんうんと頷いている旦那さま。
「って言っても騎士団一個分はないっすよね?」
「どうだろう? 歌で身体強化しながら、音波で敵にデバフ撒いて、その合間に燃える音で敵にダメージ入れられるくらいかな?」
わたしが自分の能力を説明した所、そこで初めて旦那さまからの待ったが入る。
「待ってサーシャ、僕それ聞いてない」
「言ってない」
うん。言ってない。
あっさりとしたわたしの返答にびっくりしている旦那さま。
「え」
「え?」
そんなにびっくりする事ある?
「言ってほしい」
両手を掴みわたしの瞳に映る、赫々とした瞳。わたしの全てを知りたがる旦那さま。かわい。
だがそれはそれとして。
「でも口から燃える声を吐ける婚約者って嫌じゃないですか?」
口から放射熱線吐ける婚約者っていやでない? ガッジーラな花嫁もらいたい男性おる?
「サーシャなら嫌じゃない。むしろ僕はサーシャの全てが知りたい」
ここにおった。
ほんとに旦那さまったら知りたがりなんだから。女は秘密のドレスをまとった方が魅力的なんですよ。ぐふふ。
でもすきい。
「おい、そこ! それ以上はストップ! むしろ燃える声ってなんすか? そんなん聞いた事ないっすよ」
例によってトシゾウストップが入る。ナイストシゾウストップ。
燃える声かあ。便宜的に言ってるだけで別に声が燃えてるわけじゃないのよねえ。
ちょっと旦那さまに手を握られながらトシゾウに説明するスタイルが辛いのだけれど。
仕方ない! もっと説明しよう!
「燃える声って言ってもね。超振動の音波を対象に放ってその細胞を振動させるのよ。そうすると細胞が熱を持つからその熱で燃えるって感じね」
「はいっす?」
「わかんなかった?」
「はいっす」
だよね。
全くわからなかった顔してるもの。
だがトシゾウ! ショタ顔のほうけた顔で可愛がられようとしてもダメだぞ。わたしは旦那さま一筋なのだ。
仕方ない! もっと簡単に説明しよう!
「えっと簡単にいうとねえ。木を擦ると熱くなって擦ってるとこに燃えやすいもの置いとくと燃えるでしょ?」
「ちっさい頃やったっす」
「それっす」
「それが声でできると?」
「そうっす」
「燃えるモノもなしで?」
「そうっす」
「おうバケモノ」
「え」
なにそれひどい。
頑張って説明したのに。乙女をバケモノ扱いするとは。
でも旦那さまもバケモノだし。バケモノ夫婦って事でいいかしら。
ちょっと良いわね。バケモノ夫婦。ゲゲゲの鬼太郎の父さん母さんみたいな感じ? ミイラ男の旦那さまとか可愛いかも。あ、でも旦那さまは狂化して狼男がハマり役よねえ。わたしは何かしら? この見た目じゃあ洋風なバケモノにしかならないわ。
そんな風に思考を飛ばしてぐふぐふしているわたしの手を相変わらず握ったまま離してくれない旦那さまはわたしがどうであろうと全てを受け入れてくれる。
「さすが僕のサーシャ」
ほらこの通り。
「なんかほんとに行けそうな気がしてきたっすよ。ご主人の狂化に、サーシャ様の燃える声、俺のクナイ………って俺のクナイいります!? いらないっすよね? ねえねえ」
一人でふって一人でおとしているトシゾウが自分のクナイを旦那さまとわたしに見せつけてくる。素人のわたしから見ても、刃がきらりと光り、キチンと手入れがされている事がわかる良い道具だ。
「いるいるー騎士団一個分の仕事して貰わないと」
「無理っす」
わたしの言葉を冗談だと思っているのか、トシゾウは即答で否定してくる。でもわたしはそう思っていない。
「えーいけるよ。わたしのバフ受けたら全身体能力二倍くらいになるし」
「なんすかその破格」
ぐふふふ。なんだかトシゾウ、ダンジョンに入ってからずっとこんな顔している気がするわ。常識人は大変ね。
「さすが僕のサーシャ」
ほらこうなってしまった方が楽なのよ。旦那さまは聖域の時にすでに免疫を獲得しているから今はなにがあっても大丈夫になっているじゃない。
「ご主人! さっきからサーシャ様にさすがって言うマシーンになってるっすよ」
「だって実際そうじゃないか」
「そうっすけど! もういいっす! 死を覚悟した自分が馬鹿らしいっす! いつまでも手を繋いでないで! さっさと行くっすよ」
「そうだな」
「いきましょうか」
トシゾウも旦那さまも勝算が見えてきたのか肩の力が抜け、それでいて良い緊張感を保ちつつ戦闘モードに入ったようだ。場を和ませた甲斐があったというものだ。
結果論だけど。
旦那さまは剣を構え、トシゾウはいつの間にか消えていた。
わたしの喉も万全。
さあバトルの時間だ。
お読みいただきありがとうございます。
もう少しバトルにお付き合いいただけると嬉しいです。




