良い知らせと悪い知らせ
あの日のデートは昼食をもって解散となった。わたしの靴ずれがひどかったのと、旦那様のメンタルがもたない事が主な理由だった。
帰宅後に旦那様はデートの様子を見張っていたトシゾウにこっぴどく叱られたらしい。ざまあ。もっと怒られるが良い。わたしの足は痛かったのだ。
今日はそんなデートの翌日。
わたしとタニアとポンタは裏庭でまったりと日光浴をしている。タニアは木陰に座り、わたしはその膝を枕に微睡んでいる。ポンタは相変わらず蝶を追いかけている。あ、また食った。獣め。と。ほんとこんな日常がずっと続けばいいのに。あーほんとデートなんてなかった事になってあの日あの時聞いた事を全部忘れてしまえればいいのに。
なー。感情が溢れるわー。わわわわわー。
「やばいわー。タニア」
「またお嬢様。そんな汚い言葉遣いを」
座りながら本を読んでいたタニアは一旦本を閉じ、タニアに膝枕をされているわたしの顔を覗き込んで呆れ顔を向ける。いつもの事をいつもの様に注意してくるタニア。すきー。
「せやかてタニア」
「いけないものはいけませんよ」
「わかった。わかったからタニア聞いてよ」
タニアの膝枕から体を起こし、真面目な顔してわたしはタニアに向き合った。タニアは真面目なわたしに怪訝な表情を浮かべる。わたしだって真面目なんてなりたくない。しかしこの非常事態はタニアに頼らなきゃどうにもならんもん。
「なんでしょうか?」
「旦那様が領民だった」
「ギネス辺境伯は領主ですよ、お嬢様」
アホを見る顔。よく見る顔。
「ちゃう。わたしの領民だったんよ」
「お嬢様引っ叩きましょうか?」
「そんな壊れたレコードみたいな直し方してもわたしはそもそも壊れてないのよタニア」
「えっと。もしかしてお嬢様の領民というと、普通の領民の意味ではなく?」
やっと理解の顔をしたタニアに、わたしは不敵な笑みを浮かべた。
ふふふ。仕方ないな!
説明しよう!
「そう! サージェン家の忌み子、サーシャ・サーエとは仮の姿! しかしてその正体は!」
くるりと。
マントを翻す。
「仮面歌姫サエトリアーン! 参上ッ! 喜べ領民ども!」
ドゴーン。
後ろで火柱があがる。
「キマった」
「コピペはおやめくださいお嬢様」
「せやかてタニア」
「なんでしっかりとオリハルコンの仮面まで持ち出してるんですか」
「サイトーがくれた」
護衛の対価として渡したサエトリアンのマスクだったが、粋なサイトーは別れ際に餞別として渡してくれていた。
サイトースキー。サイトーサイコー。
「……はあ。あの人はまたそうやってお嬢様を甘やかす」
「んでまあ、お察しの通り領民ってのは要はわたしのファンだったって事よ」
わたしのファンの総称は『領民』だ。わたしに付き従う人間は皆わたしの領民なのだ。ふはははははは。
「よくそのファンの軍団の名称をサージェン公爵家の領地で通せましたよね」
「実際、領民なんだから問題ないでしょ。ダブルミーニングよダブルミーニング」
「終わった事だから何も申しませんが……」
「そんなことよりタニア。この件どうしよう?」
「どうしようも何も。お嬢様」
急にわたしの方に向き直り、真剣な顔でタニアが見つめてきた。タニアのこの表情ほんとに可愛いのよねー。惚れるわー。
「何よー?」
「良いお知らせと悪いお知らせ。どちらが聞きたいですか?」
「なによーそのききかたー! ぶー炎上しろー」
「なんですか炎上って? お嬢様はすぐに変なことを言うんですから」
「しゃーなしよしゃーなし。じゃあいいお知らせを聞かせて。わたしはいい話の方が好きだわ」
「はい。サイトーさんたちが近々辺境伯領にいらっしゃいます」
「フー! サイコー! サイトーサイコー!」
ひとしきり喜んだ後、わたしの頭には疑問符が浮かんだ。
「ん? でもサイトーたちは無事に来れるの?」
来る時にも決死の覚悟で来てもらったこの辺境伯領だ。わたしたちはコネ団長騎士団の護衛付きで来られたからよかったけど、サイトーたちは? いくらプロモーターの割には強いとは言え対処できるのは魔狼が精一杯だろう。魔熊なんかが出て来られたら対処できない。というか死んでまう。会えるのは嬉しいが、訃報なんて絶対に聞きたくない。そこまで危険を犯すのはリスクとリターンがあっていない。
「そこに関してはですね。ギネス辺境伯様がここ最近積極的に魔獣を狩ってくれている事で街道が安全になったらしく。今では護衛なしで街道が往来できるようになったという話ですね。そのせいで魔獣とは別の魔人が出るなんて噂が出ているらしいですが……逆にそれが盗賊なんかも寄せ付けないといういい効果が出ているらしく」
タニアの説明はまだ続くが、わたしの思考は旦那様に飛んでいった。つまりはいつもの聞いてないやつー。はー。聖域の問題が解決途端に街道の安全確保とは恐れ入るわー。有能マジ有能。それがわたしの旦那様かー。ぐふふふ。イケメン、有能、女心がわからない。三拍子揃ってるわー。最後の一個で全部帳消しな気がするけど。ぐふふっふ。でも流石わたしの領民だ。ぐふぐふ。
「お嬢様! ぐふぐふ笑わないっ!」
「はっ!」
「途中から聞いてませんでしたね」
「ふふ。タニアただいまー」
「お帰りなさい」
「んで話を戻すと街道が安全になったのをサイトーが知ってこっちに来ると?」
「ええ、私が手紙でお伝えしました。元々サイトーさんたちもお嬢様と一緒に仕事がしたくて仕方がない人たちですのでいいタイミングでお声がけするつもりでしたので……」
「サイトーサイコー! フォー!」
「して、悪い話ですが」
サイトーとの再会の喜びに水を差すタニア。しびれるー。
「え? 聞かなきゃダメ?」
「こちらの話の方が大事ですからね」
「えー? じゃー聞くー」
しゃーなし。しゃーなし。今の喜びサーシャにはどんな悪い話もどんとこい!
「サイトーさんたちが辺境伯領で商いをする許可を得る条件がサエトリアンのライブを興行する事らしいです」
「は?」
「サエトリアンのライブを興行しないとサイトーさんたちは辺境伯領で商いができないと言いました」
「ふー。惜しいヤツを失くしたわ。サイトーいいヤツだったわ」
無理よ。
「辺境伯様から条件を聞いた時にはおかしな条件だと思っていましたが。今日のお嬢様のお話を聞いて得心が行きましたね。領民だったのならライブ見たくて仕方ありませんよね」
「やらないわ」
無理無理よ。
「せやかてお嬢様」
「おいタニア。それわたしのや」
「なんでやらないのですか? お嬢様ライブ好きでしょう?」
「あかんやろ。身バレの可能性しか感じない案件」
領民に身バレなどわたしにはできん。
「逆に」
「逆に?」
「目を閉じてください」
「はい」
素直に目を閉じる。チュー。
目を閉じたわたしはなぜかタニアに頭を撫でられてゆっくりと体を揺らされている。はーきもちいー。
「ほーら。こうやってるとだんだんと身バレなんてしない気がしてきませんか?」
「ほんとだー」
たしかにー。これなら身バレしないかもー。
「流石ですねお嬢様」
はっ!
「って、あほー! そんなわけあるかー! いくら目を閉じても汽車は前に進んでるし、ライブをしたら身バレはするのよー!」
はて? この世界に汽車ってあるのかしら? レコードがあるくらいだから汽車くらいあるかしら? てごまかされんぞー! もうタニアはわたしをごまかすのがうまくて困る! 危うく身バレしない気になってきた。
「逆に」
「逆に?」
「こう考えてみたらどうでしょう?」
「ほう?」
あーなんか頭をなでなでされて胸にぎゅーってされてるー。はー。
「身バレしちゃってもいいや、と」
「そっかー」
ああ、そっかー。身バレしてもいいのかー。そうねーたぶんだいじょうぶかなー。
「流石ですねお嬢様」
満足げなタニアの声を聞いて正気に戻ったわたし。タニアの胸から顔を引っぺがし、首を左右に二、三度降って頭をすっきりさせる。ダメダメよ。危ないのよ。こんなタニアに誤魔化されたりせんぞ。
「タニア?」
「はい?」
「馬鹿にしてない?」
「敬愛してますね」
「だよねー」
へへへ。わたしもタニアすきー。そんなこと言われたらもう許すー。
「ですが、お嬢様。真面目な話、なんで身バレしたらいけないのですか?」
「え? なんで? 身バレってなんかやじゃない?」
いやでない方がおる?
「え? なんかとは身も蓋もないですね」
「いや、一応ね道理はあるのよ」
「そこを詳しくお願いします」
詳しく語るとちょっと長くなるけどしゃーなしか。
「んーっとねー。サエトリアンって偶像なのよね。そこにあるけど、そこにはない。目には見えるし、声も聞こえるけど、実像はない。そう言うものなの。サエトリアンにはサエトリアンという情報しかないの。それだから歌の力がそのままファンに届くの。逆にサエトリアンに実像があって、情報として実家で迫害されてて、辺境伯領に売られて、うんこして、おならして、それがたまに歌になったりするっていう情報が見えてくると、その事実が歌の力を歪めてしまうのよ。だから身バレはダメなの」
「なるほどそうですか。思いのほか理の通ったお話ありがとうございました。貴重なご意見は参考にさせていただきます。その上で興行の方法を考えますので」
「あの? わたしの話聞いてました?」
クレーマーへのテンプレみたいな返しやめてもらってもいいですかー?
「はい。もちろん聞いてました。が。サエトリアンのライブ興行はすでに決定事項ですので」
「は?」
「決定事項です(キラン」
「おーいー! ほーんにーんのいーけーんー」
メインがやだって言ってるのよー。
思わず頬も膨れようもんですわ。じとっとした目でタニアへの怒りを表現する。
「とは言いましてもすでにサイトー企画とギネス辺境伯領との共同出資で動き出したビジネスはお嬢様一人の意見如きでは止められませんので。ギネス辺境伯様の承認というか推薦というか強制もいただいたおりますので」
「悪徳プロモーターと悪徳マネージャーだー」
思いのほかまともな理由にこれくらいしか言う事ないやろう。このやろう。というか本人の承諾なしにビジネス進めるのやめてもらっていいですか? こういうとこから信頼関係が崩れるんだぞー。
「お嬢様。いつもおっしゃってるしゃーなしの精神ですよ」
「わたしの信条をぱくんなー! もうっなんだか今日はタニアと立場が逆転してる気がするわ。いやん。タチなタニアも素敵」
強気にせめられるとついつい押し負けてしまうサーシャ。くそう。
「わからない言葉で私を褒めてもなににもなりませんよ」
「もーいけずー」
まーしゃーなしかなー? しゃーなしだなー。サイトーにも会いたいし。サイトーとタニアが身バレしないようにしてくれるってんなら大丈夫でしょう。
なんだかんだ言ってライブは楽しみなわたしである。領民の熱狂がわたしに力をくれるのよ。
「あ、そう言えば話の腰を折るのもあれだったんで流しましたが」
やる気を出して両の拳を打ち付けて飛び跳ねているわたしに静かなタニアの声が這い寄る。
「ん?」
「うんことおならって言った事はお仕置きですよお嬢様」
どこからともなく現れたタニア愛用の鞭が、わたしの意識を遠くへ連れ去っていった。
「おひさまきれい」
見てくれる方が増えていくよろこび




