坊ちゃんとサエトリアン
わたしの治療を終えたマーサは小部屋を勢いよく飛び出し、旦那様のいるテーブル前までドカドカと音を立てながら進んでいくと勢いそのままテーブルを勢いよくバンっと鳴らした。
「坊ちゃん!」
「う、うん」
返事からして坊ちゃんである。マーサにかかっては辺境伯領主であろうとも世紀末領主であろうともただの坊ちゃんであり、坊ちゃんからするとマーサはこわいこわい母である。わたしのタニアみたいなものだ。わーかーるー。
「なんで怒られてるかわかってますか?」
「う、うん。なんとなく」
可愛い。旦那様可愛い。完全に坊ちゃんじゃないの。
「言ってごらんなさい!」
「女性を気遣えなかった」
「そう!」
「すまない」
少し領主を取り戻してるところもまた可愛い。初対面だと無表情なロボみたいな人間かと思っていたが中々に人間味の溢れる人間なんだとわかる。見た目だけでなく中身も案外いいかもしれない。今日のデートはないが。
「謝るんならお嬢ちゃんにだよ」
「うん」
「それから! ちゃんとお嬢ちゃんと話すんだよ! どうせうじうじしてちゃんと話をしてないんだろう? あたしにはわかってるよ。こんないいお嬢さん、坊ちゃんのお嫁さんにはもったいないくらいなんだよ! しっかりおし!」
「う、うん」
言うことを言うとマーサはわたしに軽く微笑んで、坊ちゃんのせいで料理を作るの忘れてたよ。待ってな! と言い残しサッと厨房に消えていった。かっこいい。ままー。
マーサが去ると旦那様は坊ちゃんの顔から領主の顔を取り戻し、正面に座るわたしに向かって深々と頭を下げた。
「あらためて、今日はすまなかった。まさか靴ずれができているとは知らず……」
「はい」
わたしは渋面をつくって、解けかけそうな怒りを表情に繋ぎ止めた。それを見てまた深々と頭を下げる旦那様。
「怒っているだろうな」
下げた頭がチラッと上を向いて目だけでわたしの表情をうかがってくる。
「そりゃあもう」
ほぼほぼ怒ってないですよ。痛かったし、辛かったし、つまんなかったけど。マーサと旦那様の掛け合いで消えかけてますよ。この渋面もいつまで保つかわかりません。
「このつぐないは必ず」
「何してもらいましょう?」
高い女ですよ。わたしは。
「私にできる事ならなんでもしよう。こう見えてもそこそこ資産は持っているんだ」
「……生々しいですね」
やめろ生々しい。VIP席にきた金満オヤジじゃあるまいし。あーよくきたなー。ボーイがきて、紗江さんVIP席のお客様がお呼びです。とかなー。わたしは歌手なんだよ。嬢じゃないんだよ。
とおっと意識が前世に飛びかけたわ。
「そうか、すまない。女性は喜ぶと聞いた」
唯一のカードを失った旦那様は少ししょげた。
この人、こんな王子様みたいな見た目して地位も権力もあってなんで資産しかカード持ってないのさ。
「旦那様。それを喜ぶ女には気をつけた方がいいですよ」
「そ、そうか。サーシャ嬢は喜ばないのか?」
喜ばない事はないけどさ。ないよりはあった方がいいものだし。でもそれを言われて喜ぶ人間はそれにしか魅力を感じてない人間だしね。んー。
「そりゃないよりあった方がいいでしょうけど、わたしは公爵家の忌み子ですからね。生まれてから今まで資産なんてない状態で生きてきましたからね。生きてるだけで喜びですよ」
「そう、なのか。生きてるだけで喜びか。……いい言葉だな。それはそれとして、サーシャ嬢は何をされたら喜ぶんだ?」
と言われるとそれはそれとして困るのである。わたしは少し考え込んで首を捻った。んー。
「そーですね。一緒にきた侍女のタニアってわかります?」
「ああ」
「彼女をからかってマジ怒りした時とか喜びますね」
「それは変わった喜び」
目の前の少々変わった人間にまで変わっていると言われる喜び。確かに変わっているか。大体その後に鞭でてくるしなー。しばかれると喜んでいるとも言い換えられる。違うかー。
「あー。後は公爵家の庭師にアルムっておじいちゃんがいるんですけどね。そのおじいに褒められると喜びますね」
「褒められると喜ぶのか」
本当は頭をなでられながら褒められるのが好きだが、それは恥ずかしいので内緒にしておこう。
今度はなんだか旦那様の顔が少し嬉しそうだ。変わった喜びではなく安心したのだろうか?
「褒められるのは旦那様も嬉しいですよね?」
「ああ、子供の頃だが、普段厳しいマーサに褒められると嬉しかったのは覚えているな。他にはないのか?」
「他にはーですねー。そうですねー。普通すぎてあれなんですけど。やっぱりなんだかんだ言って歌を歌ってる時ですかね喜びというにあれは日常というかって感じですけど」
「なに! サーシャ嬢は歌を歌うのか!?」
グイッと身を乗り出してきた。綺麗な顔面が眼前に迫る。近い近い。やめてまだチューは早いのよ。やぶさかではないけれどまだ早いのよ。
思わぬ食いつきに言葉に困る。
「エ? ええ」
「そうか、歌を歌うのか」
「お、お好きなんですか?」
「……」
「旦那様?」
乗り出した体を再び椅子に預け、顔を両手で覆ったそのまま旦那様は固まっている。どうしたのだろうか。さっきの勢いとは真逆だ。
しばらくそのまま固まっていたが意を決したように両手から綺麗な顔面を解放するとおずおずと話し始めた。
「誰にも言った事ないんだがな」
「はい」
「サエトリアンって知っているか?」
「し、シラナイコデスネ」
「そうか」
シラナイコデスネ。
そう言われた旦那様は露骨にガッカリとした。本当に露骨にガッカリとした。肩が落ちている。無表情なロボな旦那様はどこに言った。これでは飼い主の挙動に一喜一憂する犬ではないか。
「サエトリアンがどうしたんですか?」
「レコードを聞いている」
「レコード」
お金持ち用に数量限定でプレスした記憶がある。結構なお値段で販売したはずだ。流石資産があるとアピールしてくる男。本当に資産がある。
「ああ。誰にも話したことはないんだが、あの歌手には何度も救われた」
「救われた」
まさかのサエトリアンのファン(わたしの領民)だった。しかも結構重いタイプの。しかもこの人賢者に救われたり、サエトリアンに救われたり、実は王子様というよりはお姫様体質なのではなかろうか?
「この間話したが、私の人生は死ぬために生きている人生だった。魔素を一身に受けて、命を削られながら、それでも命を繋ぐ使命を持ち、生に喜びを求めるなどあり得ない事だった」
「……」
「そんな生活の中、ふと耳にした音楽が妙に耳に残った。賢者に魔素の問題を解決してもらってからレコードなどの文明の機械がこの領にも入ってきてな。そんな折だった。初めは気に入らなかった。何が気に入らないのかがわからなくて何度も聞いた。そのうちに気に入らないのは自分の人生を否定されているような気がしているからだと気付いた」
「人生の否定ですか?」
ーーそんな事した覚えがない。
わたしの曲はいつだって前を向いている。この世界の一般的な民は地域差はあれどギリギリで苦しい生活をしている。日々生きる糧を得るために朝から暮れまで働き、夜はくたくたになった体を休めるだけにある。娯楽はとても少ない。そして反面辛い事は多い。だからわたしはその人たちが歌を聞いている時だけでも生きる事に肯定感が持てる歌しか作らない。それがサエトリアンの信条だ。他人を否定などしない。どんな人生でもその人の世界に喜びを見せるのだ。
「ああ、私の人生は死ぬために生きている人生だ。言うなれば後ろ向きな生き方だ」
苦しそうに言葉がこぼれる。本当に死ぬためだけに生きていたのだろう顔をしている。
「立派だとは思います」
ーー愚かでもあるとは思う。
だがそれをもわたしの歌は肯定する。そういう魔力をこめている。
「でもサエトリアンの歌は違った。人生を生きるために生きている歌だった。死ぬために生きている私とは正反対だった。だから否定されていると感じてしまったんだ」
ああ、そうか。と腑に落ちる言葉だった。この人はわたしのメッセージを正しく受け取った上で、だからこそ自分の人生が否定されていると考えたのか。全てを肯定する事は難しいな。
「それで否定されてどう思ったんですか?」
「もちろん、彼女が私に向けて歌を歌っているわけはない事はわかっている。だから私を否定していない事もわかった。初めは受け入れられなかったが、それでも気になって何度か聞いているうちに段々と、生きるために生きているただそれだけでこんなに美しい歌になるのかと思うようになったんだ。生を尊んでいいと少しだけ思えた。だから死ぬだけの生をここまで腐らずに繋ぐ事ができた。だから婚約して子をなす事も少しだけ前向きになれた。私と同じ運命を背負うとしても、それでも生み出していいのかもしれないと思えた。生み出された子供からすれば身勝手な話だけど。話し合って本人が嫌ならやめればいいのだし」
「ほう。それで今回婚約なさったと?」
「いや。とは言っても普通の婚約なら断っていたよ。私が良いと思っているとしても、やはりただ死に向かう人生に何も知らない御令嬢を巻き込むわけにはいかないから」
「おーいー。わーたーしーはーよー?」
冗談半分本気半分で言いながら、バシバシとテーブルを叩く。旦那様は言われて気づいたようで。しまったという表情を浮かべている。貴族なんだから図星をつかれても表情に出さず、本音を隠した会話をちゃんとしなさいよと思う所もあるが、正直に感情を表現してくれる旦那様を好意的に思う自分もいる。
「……サーシャ嬢の場合は賢者の紹介だったので断れなかった」
「くそう」
また賢者か。
「すまない」
「ふふ。嘘ですよ。わたしの人生も大概でしたからね。そこから救ってくれて感謝していますよ」
「そう言ってくれると嬉しい。サーシャ嬢は前向きだな」
「そうですかね?」
じゃないと生きてこれなかったですからね。
「さっきも言ってたが生きているだけで喜びだったか? あれはサエトリアンの姿勢と同じだな」
「オナジデスカネ?」
ソウデスカネ。
「ああ、好ましい考え方だ。おっとマーサの料理が冷めてしまう。早く食べよう。私の母の味だ」
旦那様にうながされて食べはじめた料理の味はわからず。
美味しいはずのマーサの料理はなぜか身バレの味がした。
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