母と朝ごはん
「タニアー! おはよー!」
私は育ての親であり、この別宅をとりしきるメイド長であり、鬼の教官でもある、タニアに手を振りながら声をかけた。
「おはようございます。お嬢様」
「だからーお嬢様はやめてっていってるでしょ?」
「いえいえ、お嬢様はお嬢様ですので──」
「ふーん? じゃあ私もタニアの事、おかーさんって呼ぶわよ?」
「ですから、それはほんとうに困りますと、再三申し上げましたよね? 公爵家のご令嬢に母呼ばわりされてしまっては、あらぬ疑いが色々な所にかかりましょう?」
実際、タニアは別宅に幽閉されている私を、生まれた時から現在の十五歳に至るまで育ててくれたのだから、感覚的にはおかーさんと呼んで差し支えないのだが、貴族の世界は色々と難しいらしい。
「ふふん。じゃータニアもお嬢様呼ばわりはやめてちょうだい?」
「かしこまりました。お嬢──」
「ターニーアー?」
「ごほんっ──もといサーシャ様」
タニアはすこし意地悪気な笑みで、言外に親愛の情を示してくる。こんな所もすこしおかーさんっぽい。
「朝食の支度ができておりますのでお召し上がりください」
タニアが音もなくひいた椅子に私は腰掛けた。目の前には質素だが、実に美味しそうな朝食が湯気をくゆらせていた。
「うーん! タニアの料理はいつでも美味しそうで、実際食べるともっと美味しいのよね! いつも食べ過ぎちゃうわー」
「もっとお食べ下さい。サーシャ様は細すぎます。貴族なのですからもう少しふくよかでないと、貴族の質が問われます。良い縁談にも恵まれませんよ」
「何言ってんのよタニア。サージェン家の忌み子である私に貴族の質なんて無関係よ無関係。ましてや縁談なんてあるわけないじゃないの。あのフランツさんが縁談なんて持ってきた日にはお尻から歌魔法だしてあげるわよ! ぷぷぷ」
「お嬢様!!! またそのようなはしたない事を!!!」
どこから取り出したのか、鬼教官タニアの教鞭がしなって、空気を切り裂いた。その音だけでしっぽもまるまろうというものだ。しっぽないけど。
「キャンッ! タニアごめんっ! タニアの前でしかよういわんって!」
タニアは怒気をふーっと吐き出し、怒りとも哀しみともつかない声音で続ける。
「それにお父上をフランツさんなどと呼ぶのもよろしくありません」
「んー……。とは言ってもねー」
私はスプーンでゆで卵の黄身をほじりながら言葉を選んだ。
「まーそーなのよねー」
結局どの言葉もしっくりはこず、言葉を濁らせるしかなかった。それ以上はタニアも何も言う事はなかった。
湯気のたつ朝食を私は無言で堪能した。