クラークとトシゾウ
辺境伯執務室。
ペンの音がカリカリと響き渡るその部屋に一人の美丈夫と一人の美少年がいる。一人はデスクに向かい一心不乱にペンを走らせている。またもう一人はソファに浅く腰掛け、退屈そうに天を仰ぎながらあくびをしていた。
かれこれ一時間ほど二人はそうしている。二人にとっての普段の光景であった。暗部頭のトシゾウは常に主人であるクラークと共にある。いつもいつでも。
ふ。と思い立った様で、トシゾウは天からクラークに視線を移した。
「ご主人」
「なんだ」
「何でサーシャ様に会わないんっすか?」
「忙しいんだ」
カリカリとしたペンの音に一瞬雑音が混ざる。がすぐにそれを隠すようにそれはいっそうテンポを早めた。
「いや、聖域問題解決したんだから仕事減ったすよね?」
「辺境の魔物の討伐計画をたてなければならない」
カリカリカリカリとテンポは変わらない。
「それご主人の一人仕事っすよね」
「それでも計画はたてなければ」
ペンの音が雄弁に言い訳を騙っている。
「今まではご主人が一人で行ってザイぶっ放して適当に間引いてただけで問題なかったじゃないっすか」
「忙しいんだ」
もはやペンの音でしか言い訳を騙れない。
「気まずいんすよね?」
「忙しいんだ」
ペンの音はボソボソとした音に変化してきて、そちらですらも言い訳を騙れなくなってきた。
「聖域を浄化してくれたサーシャ様にいきなりブチ切れて怒鳴り込んじゃったから気まずくて会いたくないんっすよね?」
「忙しいんだ」
すっとペンの音は止まり、一緒にクラークも下を向いてしまった。
「壊れたレコードでももう少しマシな言い訳するっすよ」
「レコードは言い訳なぞしない……」
「サエトリアンのレコードで恋の言い訳してる歌あったっすよ。ご主人も好きっすよね、サエトリアン」
「っーーレコードなぞ聞かん」
「夜中に一人でサエトリアンのレコード聞いてるの知ってるすっよ」
「は!? なぜそれを!」
それまで俯いていたクラークの顎に強烈な言葉のアッパーが食い込み、それは顔を上げさせるには十分な威力だった。思春期のプライベートを暴露されたら流石のクラークの表情も変わる。
「夜中に窓の外からご主人を観察してたらニヤニヤしてレコードかけてるところみたっすよ」
「それは流石にダメだろ!!!」
クラークの椅子が後ろに勢いよくもんどりうった。しかしトシゾウは慌てない。
「ダメじゃないっすよ。ご主人、俺の職業忘れたっすか? 暗部の頭っすよ。ご主人の影っすよ。ご主人が光の道を歩こうが、闇の道を歩こうが常にあんたの足元にいるのが影の俺っすよ」
完全な理論武装である。これを言われて勝てる論理はどこにもない。愛の告白すら超越している感がある。
「それは、そうだが……」
「何であれ、サーシャ様の事はしっかりやってくださいよ」
浅く腰掛けていた姿勢を正し、しっかりと座り直したトシゾウは腕を組んでクラークを睨みつける。
「とは言ってもな」
どうにも煮え切らないクラーク。後ろに倒れた椅子を戻すこともせず、机に乗った両の手を見るともなく見ている事しかできない。進む事も戻る事も判断がつかない。今まで進める事だけが正義の人生だった。決断する事が自分の役割であり、決断そのものが自分の人生だった。だが今回はどうにも踏ん切れない。
「結婚式とか色々計画して準備しないとダメなんすから」
「けっ! 結婚式!?」
「そんな驚くとこっすか? するでしょう結婚式?」
「する、のか?」
今度はトシゾウが驚いた。まるで自分の主人がアホになったかの様に見えた。婚約した上で、その先の結婚が見えていなかったのだろうか? 辺境伯領の事業計画を十年、百年の計で見通す慧眼はどこに行ったのだろうか? 魔素低減後の都市計画を瞬く間になし、荒れた領都を風光明媚な都市に変えた手腕はどこに行ったのだろうか?
呆れて問いかける。
「え? 結婚しない感じっすか? もしかして婚約破棄? 聖域が浄化されたので婚約破棄します! 浄化なんてしなければよかったなんて言ったって今さら遅い! とかする気っすか? それはさすがに外道っすよ。 あの人、公爵家の忌み子ですよ。婚約破棄なんてされて家に戻ったら殺されるだけっすよ。わかってます?」
「婚約破棄などしない! するわけないだろう!」
「なら結婚式はするんすね?」
強気な言葉にトシゾウは少し安堵した。辺境伯領のためだけに生きていたこの主人であれば辺境伯領に必要無くなったからと本気で婚約破棄をしかねない可能性もある。なんせ辺境伯領のために自分の寿命まで投げ打つ一族だ。サーシャ様が公爵家のスパイであるリスクを捨て切る事ができない以上、辺境伯領にデメリットと判断する見方だってあるのだ。
「ああ」
「じゃあ、ちゃんと二人で話し合ってくださいよ」
「うむ。……とは言ってもな」
「いいっすね?」
まだグズグズとごねている主人に強めに圧をかける。
「う、うむ」
「うっす。じゃあ、明日デートのセッティングしとくんでよろしくっす」
これくらいの荒療治は必要だろう。クラーク様だけでなく、サーシャ様も存分に鈍そうだ。とっておきのデートプランをねる必要がある。これは急がねばならない。暗部の腕の見せ所だ。
「は!? デート! ちょっと待て!」
すでにデートプランをねる事に意識を向けたトシゾウにクラークの声は届かない。無意識で動作する暗部の動きですでに部屋から一瞬で姿を消していた。
「そんなの……無理だ……」
途方にくれたクラークの声は小さく書類に飲まれた。
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