40.「シスターメイ 1」
40話です。
孤児院のあの人の話です。
私の名前はメイ。
このくそったれな世界に来て4年になる。この真っ黒な孤児院でシスターをやっている。
私の本当の名は、黒沢 命。
そう、転生者だ。
私の昔話に付き合ってほしい。
~1985年 メイ 5歳~
母は、革命家だった。
45歳で私を生んだ母は、もう50歳だった。
この頃の母は、年を感じさせず、若々しく自身にあふれていたと思う。
「メイは革命の命、メイは命令の命、メイは命。あなたの命は、革命を成功させる為にあるのよ。」
それは、母の口癖だった。
幼い私には、母の言っている意味がほとんど理解できなかった。
私は、日本に生まれたが、父親が外国人だったらしく、私の髪は栗毛で目は青みが掛かっている。
父親とは、会ったことが無く、どこの国の人で、名前すらわからない。
母に尋ねても「メイの父親は勇敢な戦士よ。」毎回この答えだった。
日本で暮らしているが、母の仕事?のせいなのか転校と入学を繰り返し、友達と呼べる友達はいなかった。
~1995年 メイ15歳~
私は中学生になっていた。この頃、母たちのしている事が少しづつだけど、理解できてきた。
母達の主張は
人間はみんな平等であるべきだ。なのに、金持ちと貧乏人がいて、貧富の差がある事がおかしい。
それもこれも、政治が悪いのだ。自分たちの望む社会にする為には、一度日本という国を破壊し、自らの手で再生しよう。我々以外の大多数の国民は騙され、洗脳されている。我々が作る社会になれば、きっと良かったと思ってくれるようになるはずだ。だって、貧富の差もない差別もない理想の世の中になるんだから。一度この国を破壊しても、みんな理解してくれる。
そんな、考えだった。
このころの私は、母達のする事になんの疑問もなく「母が正しい。だって母なんだもん。」そう思っていた。
中学生になり母たちの状況も落ち着いたのか、転校が無くなった。
学業やスポーツに打ち込んだ私は、優等生の模範と言われ、容姿も整っていた事もあり、学校で一番の人気者になっていた。
「メイ。今度お友達を家に連れていらっしゃい。」
ある日母が言った。
私は嬉しくなり、5人の仲良しな男女を家に誘った。何度も彼女たちを家に招待し、繰り返し同じ遊びをする事で、彼女たちとは親友になった。次に彼女たちの母親、その母親の友達、その子供という風に親友は増えていった。
~2000年 メイ20歳~
私は大学生になった。同じ考え方をした大親友たちとは、違う大学に通ったが、母達が開催するセミナーでよく顔を合わせた。
私は大学でも人気になり、陰でメイ姫と呼ばれていた。
私の日常は勉強し、週末はセミナーに行く。毎回違う人を、セミナーに参加させるのが日課だった。
母達のグループは、セミナーへの参加者が増加した結果、資金も協力者も増えていった。
そしてきを大きくした、母達のメンバーは各地に散らばり、大規模な作戦を計画したようだ。
長くなったので、2回に分けます。
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