#015 現実に浸食する幻想 Ascension
吠えるような筋肉男の絶叫が上がる。
床に這いつくばっているのはセオリーではなく筋肉男の方だった。
手首が二の腕にくっつくまで折れ曲がり、セオリーの背後で筋肉は悶絶しのたうち回っている。
徐に頬骨をセオリーは手を当ててみると、掌に滲んだ血と一緒に蚊の死骸が付着していることに気付く。
「あら? 蚊を捕ってくださったのですね? ありがとう」
蹲る男へ振り返り、白々しくセオリーは微笑みかける。
「お、お前、どこのギルドのもんだっ!?」
「組合? う~ん、ガラパゴス漁業組合でしょうか?」
「ふざけてんのかっ!」
二回りほど肥大化した男の腕にセオリーは身体ごと鷲掴みにされ持ち上げられる。
「先ほどのからずっと見ていましたが、暁、凰華。オントロジーエコノミクスを使うにはまずは自分のルーティンを作るところから始めてください」
セオリーの身体は鈍い音を立てながら締め上げられていく。
「あらあら、駄目ですのよ? 女性の身体を触る場合にはちゃんと許可を取りませんと?」
「ど、どういうことだっ!? STR極振りの俺の攻撃にどうして平然としていられるっ!? VIT極振り? いやそんなわけがねぇっ! 誰も俺より上のレベルはいない筈っ! じゃあスキルかっ!? そんなスキル見た事ねぇーぞっ!」
「スキルですか? う~ん、資格という意味でしたら一応『博士号』を持っていますわ」
お道化ているように見えるが、セオリーには挑発しているつもりなど全くなく、筋肉男の言っていることが今一つ理解できない。
「ふざけんなっ!」
男は更に強く身体を締め上げていくが、「眠いですわ……」とセオリーは文字通り欠伸が出るほど涼しい顔をする。
「ほらほら、どうしましたの? 時には力強く女の子を抱き止めないと逃げて行ってしまいしまいますわよ?」
「うおおおおおおおお!」
渾身の力を込めて男はセオリーを握りつぶしにかかるが――
二度目の骨が砕ける音。そして男の絶叫。男の全指の関節が本来曲がらない方向へと曲がっている。
「セ、セオリー殿、その者はCCCのプレイヤーのようです。且又との繋がりを問いただしたいので、それ以上は……」
現実離れした光景にふと我に返った凰華に、セオリーは「あら、そうですの」と僅かに首を傾げる。
「道理で話が噛み合わないと思いましたら、やはり夢の国の住人でしたのね」
乱れた髪と服を整え、「男の子がみっともない悲鳴を上げるんじゃありません」と幼児を相手にするかの如く叱咤し、セオリーは蹲る男へにじり寄っていく。
「貴方が何故自分の指が折れたか分かっていないようですわね。人間が持ち上げられる限界の重量は凡そ500kg。それを越えると腕の骨の強度が耐えられません。つまり貴方の指は筋力に耐えられなかったのですわ」
セオリーの話はまだ終わらない。「遺伝子の授業をしましょう」と彼女は男の前に座り込む。
「例えばどの生物にも完璧な骨が無いのでしょうか? その答えは簡単、経済性です。骨を弱くする代わりに、そのカルシウムを乳に注ぎ込む事にことで子供の生存率を高めた方が種の存続には有利ですもの」
頬杖をしながら彼女は「私は単に適切な部位だけを強化しただけですわ」と語る。
オントロジーエコノミクスは遺伝情報の経済性を操作する。状況に応じてお遺伝子の環境を調整、最適化を行う。
「夢の時間は終わりですわ。貴方の遺伝子を全て元通りにしてあげますわ」
「待てっ! 何をする気だっ! 俺のスキルを奪うのかっ!?」
「奪う? まさか? どちらかと言うと壊すのですわ。言ったでしょう? 夢の時間は終わりですと」
セオリーの言葉の意味を漸く理解した男の顔は子供の様に泣きじゃくり始める。
「やめてくださいっ! 僕のスキルなんだっ! それがなくなったら僕は――」
「だ~め」
セオリーはサディスティックな微笑みを男へ贈る。
「ジーンオントロジーレストア」
セオリーの左腕を走る輝線が、男の身体を浸食する。
急激に筋肉が萎み、筋肉男の身体ガタガタと震えだす。
生き生きとしていた黒髪が次第にその生気を失い白く染まっていく。
男の意識も失い、本来の姿が露になる。
どこにでもいる高校生ぐらい男の子だった。女子受けしそうな中性的な顔立ちで、所謂可愛い系に入るような男子だった。
「『す、凄まじいな……』」
「凰華、刹那、凄まじいって何ですの?」
「アンタの性格が凄まじいって言ってるんだよ」
「それは心外ですわ。それはそれとして早くこの未成年を補導してくださいまし」
セオリーは男のポケットからくすねていた生徒手帳を暁へ投げ渡す。それは|私立霜綾園
《しりつそうりょうがくえん》の生徒手帳。
「……未成年だと?」
7月27日 6:17 警視庁公安部第四課取調室――
ガラス越しに見える元筋肉男の白髪の少年。名前は高坂眞治。私立霜綾学園に通う二年生。
俯いたままではあったが素直にしっかりとした口調で語り、相手が優しい叔父様という事もあり、取り調べはスムーズに進行していく。
CCCは1年前ぐらいにやっていて、VRコミュニティ、カサンドラで出会ったエブリンと名乗る男からアプリEroding fantasyのベータテストになってくれと頼まれ、それと一緒にレトロウイルスベクター、『アセンション』なる薬を渡されたのだという。
アプリを操作すると、レトロウイルスベクターが反応して肉体に変化するよう仕掛けてあるとセオリーは見立てた。
取調室から出てきて早々険しい表情でしきりに頭を掻く影浦に暁は声を掛ける。
「どうした? とっつぁん」
「いや、どうにもこうにも、且又という男の事を聞いたが、私立霜綾学園の数学教師で、とてもいい先生と言うばかりでな」
懐に手を伸ばし、タバコを捕ろうとしたので、セオリーは「ここは禁煙ですよ」と口を挟む。
「ああ、そうだった、つい……エブリンと言う男がその且又じゃないのかって聞いても、『そんなことは絶対ない』『口調が全然違う』『先生がそんなことするはずがない』の一点張りだ」
高坂が未成年という事であまり猶予が無い、早々に身柄を検事に引き渡さなければならない。しかも罪状が非常に悩ましい。薬物使用云々で一応上げている。
証拠品も揃え、少年の供述も取ったが『アセンション』なる薬が麻薬取締違反に当たるか非常に判断の難しいところではあった。
「なぁ? セオリーの嬢ちゃん。あの少年の髪、治るのか?」
「ええ、一応は」
「そうかい、そりゃぁ。良かった」
影浦はそれ以上何も聞かなかったが、今度は暁へ神妙な面持ちのまま声を掛ける。
「なぁ、暁。四課が出来た理由を知っているか?」
「インドの経済発展を理由による組織編制で主に二課から切り離されたと聞いているが?」
影浦は「表向きはな」と言ってライターを弄り始める。元々外事は三課までだった。インドの著しい経済発展により情報犯罪も巧妙になり、複雑化した犯罪に対抗するため公安警察は大規模な組織編制を余儀なくされた。
「課長は今の複雑化した犯罪には攻性でないと対処できないと考えている。それについては俺も同意見だ。もし攻性に出られていたら、あんな子供が犯罪に巻き込まれることは無かったんじゃねぇかって」
現状、基本的人権の尊重により原則攻性に出る事が出来ない。穏田は恐らく四課をテロ準備罪の適用範囲内でなく、もっと広げて攻性に出られないかと考えているのだろうセオリーは察した
「とっつぁん……」
「ああ、すまん。単なる愚痴だ。忘れてくれ」
そう言い残して影浦は部屋を後にする。その背中は子供の犯罪に対して何か思うところがあることを物語っていた。
「とっつぁんは子供があのガキぐらいの時に強盗で亡くしてんだ」
「そうでしたの……」
セオリーはそんな気がしていた。取り調べの時も入れ込みようが尋常ではなかった。それが逆に功を奏して少年も話してくれたという事もあるが、刑事としては失格なのだろう。
一応セオリーは少年を元に戻す際に骨折箇所も修復しておいた。
それ以上に深刻だったのが、レトロウイルスベクターで無理やり成長されたことで、細胞分裂回数を司るテロメアを殆ど食いつぶされた事だった。
「テロメアを司る遺伝子の活性化は講じておきましたけど、正直寿命をどれだけ回復できるか、目算10年から20年と言ったところですわね」
「そうか。ところでアンタ、課長からの申出を受けるのか?」
「あんまり気乗りしませんけど」
遡る事1時間前、セオリーは穏田から来月17日、私立霜綾学園に生物学の特別講義を実施してもらえないかと依頼された。その実態は特別講義とは名ばかりの潜入調査。
現状、且又を重要参考人として任意同行させるには、まだはっきりとした事件の関与が認められない。その為の潜入調査だった。
正直なところセオリーは子供向けに教えるがあまり得意ではないが、暁の為にと思ってこそ二つ返事で引き受けた。
「気に食わないのはそれだけじゃありません」
首を傾げている暁の様子にセオリーは腸が煮えくり返る思いだった。
「私が気に食わないのは、暁が私への呼びかけがアンタやコイツに戻っている事ですわ」
「はぁ?」
「忘れたとは言わせません。あの子に襲われたとき、情熱的に私の名前を呼んでくれましたのに……」
子供の様に拗ねることなど普段のセオリーならしなかった。自分でもそれは分かっていたが、少し疲れていたことあり甘えたい気分が出てしまった。
そうセオリーは拗ねて見せていると、ため息交じりに暁が近づいていてくるのを感じる。
「アンタがくれた相手の動きがスローモーションになるあの力のお陰で助かった」
ありがとう。セオリー――
と、暁にそっと背後から耳元で囁かれ、セオリーはあふれ出る情欲に打ち震える。
「暁っ!!」
辛抱堪らず抱き着こうとしたが、既に彼の姿は無かった。
「ってアレ? ど、どこ行ったんですのーっ!!」
その時には暁は既に休憩室でコーヒーに舌鼓を打っていた。
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