第三話
白影の住居から人間離れしたスピードで帰宅した影介は、玄関でいそいそと靴を脱いでいた。
すると、ふと視線の隅に見慣れた靴が並んでいるのが目に入る。
間違えようもない、美加莉のローファーだ。
「む、帰ってたのか……ということは恐らくVRMMOやってるな。まあ、一応声だけ掛けておくか」
そう独りごちりながら自室の扉を開け放つと通学バッグを放り投げる。
ぼふんとベッドに着地するバッグに一瞥もくれず、パパッと家着に着替えた影介は隣にある美加莉の部屋に向かった。
「美加莉、起きてるかー……」
コンコンと扉を軽くノックして返事を求めるも返事が来ることはない。
影介の予想通りVRMMOをしているのか、寝ているのかのどちらかなのだろう。
「反応なし。さて、夕飯どうしよう。うーん、今は20時45分か。微妙だな、ログインして特典受け取ってからでもいい気がする」
なんてことを口にしながら自室に戻ると、ヘッドギア型のVRデバイスに手を伸ばし装着する。
今朝の時点でReal World Onlineはダウンロード済みなので後は起動するのみだ。
ヘッドギアにあるボタンをポチるだけである。
ちなみにパッケージに添付されていた説明書は読んでいない。
チラッと一瞥したところチュートリアルやら世界観やら読まなくても支障は無さそうなことしか書いてなかったので読まなかったのだ。
ついでに言うと、朝は眠くて文字を読む気力が起きなかったのも事実だ。
夜型の影介にとって朝は天敵である。
「……さて、と。行くか」
ボソッと漏らすとベッドに横たわる。
そして、迷いのない動きで右手をヘッドギアに添えてひょこっと飛び出たボタンを押したのだった。
§
『ようこそ、Real World Onlineへ。まずは提示された《役職》の中からお好みのものを選択してください』
機械じみた音声が脳内に響き渡ると同時に影介の意識は覚醒、活動を再開した。
「ここは初期設定エリアか?」
影介の視線に先に広がるのは果てしなく続く白一色の空間。
ぐりんぐりんと首を回すも景色が変わることはない。
目の前に表示されているウィンドウを除けば、だが。
—————《役職一覧》—————
《闇の勇者》全ステータスプラス補正
《愚者》全ステータスマイナス補正
※生産職は基本役職には含まれません。
————————————————
「幾らなんでも説明が雑すぎないか? それになんだ、この選択の幅の無さは」
(闇の勇者と愚者だけ? 剣士とか騎士みたいにもっとオーソドックスなものがあってもいいだろうに)
ぶつくさいいながら役職を一つ一つ眺めてみるも、影介にとってはどちらとも魅力的に映らない。
というのも、提示された2つの役職は両極端すぎるのだ。
カーストトップの英雄|《勇者》と、最底辺の愚か者|《愚者》。
中間の目立たない役職を寄越せよ、と叫びたい気持ちで一杯である。
「暗殺者、せめて忍者があればな……はあ、どうしよう」
そんな言葉が思わず喉を突いて出る。
暗殺を生業としている影介のVRMMOでの役職はいつも忍者か暗殺者なので、それがないとなるともはややる価値はゼロに等しい。
というより、モチベーションがなくなる。
「ステータス面で見ると圧倒的に《闇の勇者》なんだが俺には色々と荷が重そうだ。それに、蒼真達に笑われる未来しか見えない」
となると、残るは《愚者》になるのだが全ステータスマイナス補正というメリットの欠片も見られない役職に少々戸惑ってしまう。
恐らくはネタ役職に分類されるのだろう。
「まあ、《暗殺者》がない時点でモチベは地に落ちたも同然だし、この際ネタに走ってもいいかもしれないな」
ここは気楽にいこう、そう決心して《愚者》を選択すると脳内に機械音声が響き渡ってきた。
どうやら、次の行程に進むようである。
『次に、キャラメイクをしてください』
これは毎度のことだが、影介はVRMMOのキャラメイクをスキップしている。
自身の容姿に自信があるのではない。
単に面倒くさいのだ。
仮にキャラメイクをしたとしても暗殺業のために素顔を隠すことに変わりはないので、無駄な作業に終わってしまう。
「はいはい、スキップっと」
『——ニックネームを入力してください』
「《イクシード》っと」
こちらも即決。
影介。EISUKE。
逆に読んでEDを付け足すと《EKUSIEED》。
無理矢理感は否めないが、個人的には気に入っているネームである。
これも全てのVRMMOで共通だ。
『……以上で終了となります』
この様子だと仮想世界の説明やチュートリアルはないのだろうな、と少しばかり残念に思いながらフィールドに転送されるのを待つ。
『それでは、Real World Onlineをお楽しみください』
そして、なんの感情も篭っていない機械じみた音声の余韻を耳に残しながら、影介の身体は白く迸る光に包まれていったのだった。