人になった魔物の話
辺り一面銀世界。
人も住んでいないような場所にその教会はあった。
そこには不思議なシスターが住んでいた。
紫色の長い髪に赤と青のオッドアイを持ったシスターが。
彼女の朝は早い。
日が昇る頃には教会の掃除を始め、人が来る前には終わらせる。
...尤も人なんて来ないのだが。
それから礼拝堂で祈りを捧げ一日を過ごす。
時々長椅子で昼寝をする。
そしてうとうとし始めると時々...浮く。
浮いて浮いて...落ちる。
そうなってはじめて居眠りに気付き祈りを捧げる。
まるで敬虔な使徒である。多分。
人も来ないこの聖堂はひどく緩い空気が広がっている。
だからといって居眠りをしていい訳じゃない。
していい訳じゃあないんだぞ。
このエストアニマには様々な種族が生きている。
主な種族としては最も数の多い人族、獣と似た特性を持つ獣人族、自然と共に生きる精霊族、翼を持ち空を駆ける翼人族、そして魔法に特化された魔族である。
その他魔物なり獣なり生きているが概ね【人権】といったものを持つのはこの5種族だろう。
さて、このシスターはどの種族に当てはまるのか。
まず【浮く】という現象が起こせるのは精霊族、翼人族、魔族のどれかであろう。
だが彼女には翼は無いので翼人族は除外される。
ならば精霊族か、魔族か。
それは外見からはわからないだろう。
あえてここで答えを言うとするならば、その2択はどちらでもない、が正解である。
彼女は元々ただの魔物だった。
自我もはっきりしない、魔物でしかなかった。
ここで語るのは、そんな魔物が人のようになったわけについて。
その奇跡について、聞いてもらおうと思う。
まあ雑な男の手記からの抜粋でもあるのだが。
◆雪の降る日、某日。
それはただ、そこにあった。
真っ黒だったと思う。
真っ黒な小さな塊。
小さくて、震えているだけの無害な魔物。
時折真っ赤な2つ目でじっとこちらを見ているそんな存在。
そんな魔物聞いた事も無かったけれど、辺境に追いやられた私がはじめて出会った生き物だった。
私は諸事情が重なって重なって重なりまくった結果辺境の教会に来た歳若い神父だった。
私は、なんて取り繕う必要ももう無いかもしれないが。
そうだな、俺は、人なんて来ない教会で一生を過ごす事になったただの男だった。
元より神父ではあったが、人も来ないならそんな肩書きなんて関係ないだろう。
これからは好きに生きるか、なんて思っていた矢先の出会いだった。
このエストアニマで最も大きな大陸で一位二位を争える程の国土を持つ国ディムガロン帝国。
そのほとんどの地域で雪の降るこの場所は厄介払いにはちょうどいいらしく俺はここに来ることを命じられた。
廃墟にでもなっていることを覚悟していたが思ったより教会の建物は丈夫だったのか住むには困らない。
...もしかしたら前の職場より綺麗かもしれない。
何故だ。
地下には菜園があり食うにも恐らくきっと困らない。
...肉も食べたいけれど。
と言うよりなぜ地下菜園がまるで豊穣の女神にでも加護を与えられた大地のように実っている事が不思議である。
この地には豊穣の女神...ではなく永遠を生きる女帝様の加護が与えられているとかいないとか。
外は銀世界、地下は豊作意味がわからない。
あながち間違いじゃないんだろうなと推測した。
案外何とかなるんだなあなんて呑気に考えていたところで、それと目が合った。
それは生い茂った葉の下に隠れるように落ちていた。
そこに居たっているより落ちていたの方がしっくりきたんだ。
まあ事実隠れていたのかもしれない。
ふるふると震えているまっくろなナニカ。
消してしまうのは簡単だが、この時俺はひとりぼっちの教会生活に愛玩生物が居てもいいんじゃないかと思った。
ほら、じっとこちらを見ているような赤い小さな目もかわいいものだろう。
ふるふる震えて可哀想じゃないか。
汝、隣人を愛せよってな。
とりあえず拾ってみると意外とふわふわでこれは大きくなれば触り心地抜群...!と期待できそうだ。
大きくなれよ、と祈りを込めてその生き物を懐にしまった。
◆雪の降る日、某日。
それはいつまで経っても小さかった。
性別も分からないふわふわは名前も付けにくく俺はいつも適当に呼んでいた。
それ、とかおーい、とか。
呼びかけるような言葉で誤魔化した。
名前をつけて愛着が湧いて手放せなくなるのが怖かったのかもしれない。
凶暴化すれば退治する、そんな未来もあるはずだったから。
でもそんな日は来なかった。
来ないまま、ヤツはよくわからない進化を遂げた。
...丸かった。
丸くてツルッとしていて宙に浮いていた。
意味がわからない。
こんな魔物見たことがない。
触ってみたら柔らかくて暖かい。
もちろん見た目通りツルッとしていた。
触り心地は...これはこれでアリだと思った。
攻撃することも無く辺りをふわふわ回り出す。
相変わらずの赤い2つの点は残っていた。
回りながらも俺の方を向いているようだった。
その日からヤツは俺の後をついて回るようになった。
特に何も困る事がないから好きなようにさせておく。
◆雪の降る日、某日。
あれから幾年か経ったあと。
早いし日付がわからないって?
こう書いとけば三日坊主もバレないってね。
謎生物との暮らしに慣れた頃訃報が届いた。
特になんの感情も抱かないような相手だった。
いや、嘘だ。
本当はもう少しすっきりするかと思っていた。
でも少しの感情も湧いてこなかった。
例の諸事情関連の男の訃報だったのだから。
なんでも部下に刺されたらしい。
...どうでもいい事なんだが、そんな知らせを受け取った。
そう、すこぶるどうでもいい情報に感じた。
今思えばこの生活に満足していたのかもしれない。
水は綺麗だし植物は美味しい。
肉はなかなか食えないが酒は作れるしまあいい場所だ。
このよく分からない黒いのもそばに居る。
その頃には黒い丸はまるで卵が孵化したかのような進化を遂げていた。
そう、よくわからない黒い獣になっていた。
あれ、獣は卵生じゃないような...と思ったがそこは謎生物。
常識なんてこの地に来た時に捨て去った。
まだ名前は付けていなかったがいつの間にかこの謎生物の事を俺は【黒いの】とも呼んでいた。
黒いのは相変わらず赤くて小さい目で俺の事を見ていた。
◆雪の降る日、某日。
それから訃報が立て続けに届いた。
わざわざ送らなくてもいいのにな。
全てが全て例の件絡みの人間で軽く目を通した後は暖炉に焚べて燃料にした。
俺のことも被害者であると思ってくれているのだろうか。
あるいは...。
いや、よそう。
今の生活は気に入っているんだ。
それにもう若くない。
山越えはさすがにきついだろうさ。
それから俺は手紙に目を通すこともなくなった。
黒いのにはいつの間にか黒い羽がくっついていた。
時々飛ぶ...というより浮くのだがすぐに落ちる。
よくわからないが楽しそうなので飛び方については放置することにした。
◆雪の降る日、某日。
その日は突然訪れた。
「すまない。」も「ありがとう。」も言えないかもしれない。
黒いのとの別れは突然だった。
教会関係者と思われる服装の男に刺された。
残り僅かな生命活動と引替えにこんな手記をそれも魔力を使って書いているなんて俺は馬鹿なんだろうか。
いずれ大きくなるアイツに拾った経緯でも知って欲しかったんだろうか。
さぁて、俺の知ることじゃないさ。
黒いのはきちんと約束を守って羽を隠していた。
恐らく小動物としか思われないだろう。
哀れな男が寂しさを紛らわす為に飼ったと思われるだろう。
悪いな、黒いの。
さよならだ。
意味は無いとわかりながら文字を残し終えた俺に近寄る影があった。
黒いのだ。
最期に会えたのは嬉しい限りである。
いつもじっと見つめるだけの赤い目はまるで泣いているようで。
黒いのが傷口に顔を埋めるように動いて痛みで少しだけ意識が浮上した。
薄れる意識の最後には紫色の髪の美女だけが残っていた。
はっ、最期に美女を拝めるなんて、悪かねぇな。
「黒いの...いや、エヴァ。
おまえのおかげで、まあ、いい生活だったよ。」
ずっと名前をつけようと思っていたんだ。
その名前を呼ぶのが最初で最後になるとは思わなかったが。
最後に見たエヴァの目はいつもの赤い色と俺と同じ青い目の二色になっていた。
俺の為に泣いてるなんて、少し胸が軋むような感覚だった。
そして。
もっと、一緒に居たかった、なんて。
柄にもねえことを、思って、しま った。
◆
私は朝起きたら掃除を始めます。
それは元々ここに居た神父様がやっていたから。
神父様は私を拾ってくれた方です。
雑で大雑把で...あれ?同じ意味?違うっけ?
まあいいや。
私はその人がとても大切でした。
だから神父様のように起きて、働いて、眠ります。
まあ睡眠自体真似事のようなものですが。
私は食事を必要としません。
大気中の魔素を取り込めればいいのです。
神父様は葉っぱをくれていました。
でも今は食べなさいと渡してくれる人がいないから私は何も食べません。
そういう欲求が無いのです。
でも一度だけ、自分で望んで口にしたものがありました。
それは人間の血液です。
お別れは、まだしたくなかったんです。
一緒になれば、一緒に居られると思ったのになぁ。
人生ってそんなに甘くないのです。
あの人の真似事をして私は暮らしています。
ただ、あの人の十字架だけは苦手です。
でもあの人はそれを握ってお祈りしていたので、一日に一回は同じ事をします。
でも十字架は私の手のひらを焼いてしまうから。
痛いけど、すぐに治るけれど。
あまりに繰り返すからか傷跡になってしまいました。
でも私は今日も生きています。
あの人の分まで生きるって決めたから。
あの人が私に、そういう名前を付けてくれたから。
私はエヴァ。
とある神父様に拾ってもらったシスターです。
あの人の分まで生きる事が私の願いなのです。
そうしていつか、また会えたら嬉しいな。