悪役令嬢と動き出した事件 2
王都へ戻ったその足で、ランドールは城へ向かった。
ソフィアの事件についての報告と、カイルの有罪判決について国王に話をするためだ。
あまり城に行きたがらないソフィアも、今回はついていくと言い出したが、ランドールは彼女をヴォルティオ公爵家へ残して一人で向かった。
セドリックの取り調べに立ち会ったカイルの話だと、セドリックはグラストーナで「金髪の女」にソフィアの殺害を依頼されたらしい。この国にはまだソフィアの命を狙っている人物がいると考えたほうが自然だろう。城はしっかり警備されているが、念のためあまり外に出したくない。
それに――
馬車の窓から外を眺めながらぼんやりと「ある可能性」に思考が傾いたランドールは、その考えを振り払うように首を振る。
(何を考えているんだ、俺は……)
カイルがキーラを怪しんでいたことは知っている。ソフィアの父親を騙ったガッスールの一件に、キーラの侍女が絡んでいたのも事実だ。金髪の女のきいてうっかりキーラの顔を思い浮かべてしまったランドールは、従兄失格だろう。キーラのことは実の妹のように大切で、彼女はランドールにとって天使そのものだ。キーラとソフィアの仲が悪いのはわかっているが、母親が違うとはいえ、血のつながった妹を害するとは思えないし、思いたくない。
それなのに、一度思考の中に現れた小さなシミのような疑念は、水にインクを落としたかのようにぼんやりと広がっていく。
(ありえない。バカなことを考えるな)
キーラは違う。そう思うけれども、この件にキーラがかかわっていると考えると、いろいろつじつまが合う部分もあるのだ。
まず、ソフィアの偽物の父親の一件にキーラの侍女が絡んでいたこと。
次に、セドリックの「金髪の女」という証言。
最後は――、証拠不十分という状況で、公爵家の嫡男であるカイルが有罪判決を受けたことだ。
カイルの有罪判決は、明らかにおかしい。貴族裁判を行う貴族院の連中が「公平誠実」とは言わないが、下級貴族ならまだしも、公爵家の嫡男であるカイルを証拠なしで有罪判決にするのは、普通はあり得ない。なぜなら、有罪が覆され無罪となったときに、判決を出したものたちには何らかの処罰が下るはずだからだ。今回のケースであれば、下手をすれば身分剥奪だってあり得る。
その危険を冒してまで判決を強行したということは、背後に、危険を冒してでも従うべき相手がいたということだ。例えば王族、もしくはそれに準ずる公爵などが。
(いやだが、キーラに貴族院を従わせるだけの力はないだろう)
ランドールは無理やり頭の中の疑念を外に追いやる。
もしもキーラを疑うにしても、それは確証を持ってからだ。
この疑念がただの杞憂であればいい。夫としてソフィアを最優先にすると心に誓ったけれど、十六年可愛がってきた妹のようなキーラを断罪することは、ランドールには難しすぎる。
ランドールは重たい溜息をついて、目を閉じた。
ランドールが国王の私室に向かうと、室内にはレヴォード公爵の姿もあった。
カイルの一件でレヴォード公爵もいろいろと心労がたたっているようで、どこかやつれたような面持ちだったが、ランドールが入室するとソファから立ち上がって微笑んでくれたので、ランドールは逆に心苦しくなってしまう。
「この度は、カイルをいろいろ巻き込んでしまって……」
ランドールがまず謝罪を述べようとすると、公爵は首を振ってそれを制した。
「あれが勝手にしたことですから、気になさる必要はありませんよ」
「しかし――」
「あれも馬鹿ではありませんから、何か手は考えるはずです。私としてもこのまま黙っておくつもりはありませんので、大丈夫ですよ」
ランドールはレヴォード公爵に頭を下げてから国王を見やれば、こちらもどことなく疲れた雰囲気だ。
ソフィアのことが気になるのか、どことなくそわそわしていて、ランドールはソファに腰を下ろすと、まずソフィアの無事を伝えた。国王はほっと息を吐き出して、何があったのかを詳しく訊ねてきたので、ランドールが順を追って説明する。
国王によると、カイルからの報告は受けているそうだが、ソフィアの命を狙うものが国内にいるということは念のため伏せておいた方がいいということになり、セドリックと彼に接触したらしい金髪の女については、国王とレヴォード公爵しか知らないということだった。
「それで、そのセドリックというサービススタッフはどうなっている」
「ヴェルフントで裁かれるそうですが、状況が状況だけに、裁判は先延ばしにして投獄してもらっています。判決は処刑の可能性が高いですが、彼の命が失われたら証言も得られませんから、そのあたりはあちらのシリル王子がうまく調整してくださるそうです」
「なるほど。頭の痛い話だ」
ヴェルフント国とグラストーナ国の関係はいたって良好だが、国と国との付き合いは些細なことでこじれることがある。ややこしい状況だけに、慎重に対処したほうがいいだろうが、かといって、ことを公にしない限り、カイルの無罪の証明が難しくなるのも事実である。
国王はレヴォード公爵を見やった。
「どう思う?」
「まだ公にすべきではないでしょうね。少なくとも、セドリックという男に接触した人物の特定がすむまでは」
レヴォード公爵が父親ではなく公人の顔で答えると、国王は途端に難しい表情になった。
「やはり――」
「陛下。疑われるのは、時期尚早かと」
「何か、思い当たることがあるのですか?」
ランドールが訊ねれば、国王はレヴォード公爵と顔を見合わせてから、ため息交じりにこう言った。
「少し気になることがある。今回のカイルの有罪判決についてだが、最初に嫌疑をかけたのは、王妃だ。それまで誰もカイルのことを疑うような発言をするものはいなかった」
「……どういう、ことですか?」
ランドールが眉を寄せる。
「どうもこうも、カイル・レヴォードが怪しいと突然王妃が主張し、貴族裁判にかけろと言い出したんだ。私は止めたが、オルト公爵までもが王妃に賛同して、ほかの貴族まで巻き込みはじめたから収拾がつかなくなってしまってな。仕方がないからレヴォード公爵とカイル本人と相談して、裁判許可を出した。証拠不十分で有罪になるはずはないだろうということで。……それが結果、有罪だ。おかげで、私もレヴォードも、今更何も言えなくなってしまったと」
「しかし、どうして王妃が……」
「王妃の主張は、新婚旅行であるお前たちについて行ったというのが何より怪しという、わかるようなわからないような理屈だ。義理の娘の殺害未遂で王妃は非常に怒っている――、と本人が言っていた」
王の答えはどこか投げやりだ。
国王と王妃の関係性は悪くもないが良くもなく、互いに無関心という言葉がふさわしい。用がなければ会話をしない。だが、本人が言っていたということは、少なくとも今回の件について王と王妃の間に会話がなされたとのことだが、「怒っていると本人が言っていた」とは妙なセリフだ。おそらくだが、国王の目には王妃が本心から怒っているようには見えなかったのだろう。
(……まあ、それはそうか)
王妃はソフィアの「義理の娘」とは認めていない。
王妃がソフィアを疎ましく思っていることは、ランドールも知るところだ。彼女がソフィアに声をかけるところは見たことがないし、ランドールとソフィアの結婚式でも参列すらしなかった。それは王妃の産んだ第一王子ヒューゴも同様である。
その王妃が、ソフィアの件で怒っているというのはにわかに信じがたい。ランドールですらそうであるのだ。ソフィアと王妃をそばで見てきた国王は、それ以上に疑問を抱いただろう。
「……私には王妃が、今回の一件をカイルに擦り付けようとしているようにしか見えない」
「陛下」
レヴォード公爵が小さな声で国王を諫める。疑わしくても、口に出していいことと悪いことがある。部屋の中は人払いがなされているが、それでも万が一ということもある。
ランドールは国王が難しい表情を浮かべる理由がわかった。
王が疑っているように、今回の件に王妃が絡んでいたとする。そうなれば、カイルの無罪を主張するには、王妃に嫌疑をかけてなおかつ彼女に有罪判決を下す必要が出てくるということだ。
国王が当初予想していたとおり「証拠不十分で無罪」というカイルの判決が出ればこんなことにはならなかった。
「陛下、私は反対ですよ」
レヴォード公爵が静かに言う。
今回の件に本当に王妃が絡んでいた場合は非常に厄介だ。一国の王妃を断罪しなければならないのである。当然、国としては醜聞だ。だからこそ、これ以上は深入りするなと、レヴォード公爵は言うのだろう。だが、しかし――
「そうなれば、お前の息子はどうなる」
国王が問えば、レヴォード公爵の瞳が揺れた。公人としてはこれ以上王妃に疑いをかけるのをやめろと言いたい。けれども父親としては――
「……私の息子は、自分で何とかするはずです。そして、最悪の覚悟もしているはずです。そういう育て方をしました」
「ただ見ていると?」
「そうは言っておりません。私としても息子がかわいい。できる限りのことはするつもりです」
レヴォード公爵はそういうが、犯人を用意せずに判決を覆すのは至難の業だろう。セドリックの独断ということにできれば一番簡単だが、ヴェルフントが絡んでいる以上それは不可能であるし、レヴォード公爵もカイル本人もその方法は拒否するに違いない。
けれども、ランドールには解せないこともある。
もしも本当に王妃が関与しているのであれば、どうして王妃はソフィアを亡きものにしたいのだろうか。疎ましく思っているという理由だけでは説明にはならない。ソフィアはランドールと結婚し、城では生活していないし、王妃と会うこともほとんどない。命まで狙う必要が、どこにあっただろう。
よくわからないことだらけだ。
どちらにせよ、カイルをこのままにしておくことはできない。レヴォード公爵は「公正」であることを良しとする人物だ。けれども今回裏に王妃がいる気配を感じ取って、公正と国政の間で身動きが取れなくなっているようにも見える。王妃に嫌疑をかけるということは、並大抵の理由がない限り不可能だ。万が一王妃が無実だった場合、王妃につく貴族たちによって国政が荒れる。最悪な事態を想定するならば、貴族たちによって国王が退位に追いやられることになるだろう。王が退位しても、第一王子は国を担える年齢だ。年齢だけの話だが。
(……どうしたものか)
カイルは今回の件についてどこまで調べが進んでいたのだろう。カイルは有能な男だ。何も調べていないはずはない。
カイルは今、オルト公爵領にある離宮にいるという。彼と連絡を取る方法があるといいのだが。
ランドールが思案顔でうつむいたとき、国王が何かを思い出したように言った。
「そうだ。カイルのもとにディートリッヒをやったから、連絡を取りたいならあいつを使うといい」
「バーンズ将軍ですか?」
ディートリッヒ・バーンズは近衛隊の将軍だ。ランドールとも面識はあるが、さほど親しくはない。けれども、彼が王の信頼の厚い人物であるということは知っていた。
国王はどこか疲れたような顔で笑った。
「今回の件については、私もレヴォードも下手に動けない。だが、お前なら自由が利くだろう」
ランドールは軽く目を見張った。
王は動けない。王妃に嫌疑もかけられない。けれどもランドールとカイルのコンタクトを取る手段まで用意したということは、今回の件を調査して、もしも本当に王妃の関与が認められる何らかの証拠が出てきても、問題ないということだ。
疑わしいというだけでは王妃をさばけない。けれども確固たる証拠が出てきた場合、やむなしと言うことだろうか。
陛下、とレヴォード公爵が咎めるような声を出す。王は首を横に振った。
「レヴォード、私はよほどのことがない限り王妃のすることに口を出さない。けれども、もしも今回の件に王妃が関与していたのであれば、さすがになかったことにはできない。国の威信どうこうの前に、そのような人物が国の中枢にいることが問題なのだ」
答えた王の声は、ただ、静かだった。