悪役令嬢と動き出した事件 1
窓の外には、円に近づきつつある銀色の月がぽっかりと浮かんでいた。
下を見下ろせば、玄関から門までの道をオレンジ色のランプが照らしている。
広大な庭も、高い石壁に囲まれた門の外も、ランプを持った見張りの兵たちが数多く行き来しているのが見える。
窓には格子が打ち付けられているわけではないが、二階のこの部屋の窓から何とかして庭に下りれたところで、この敷地からは到底逃げ出すことはできないだろうと、優に想像ができる物々しさだ。
オルト公爵領にある王家の離宮。カイルは今、そこに幽閉されていた。
オルト公爵領の離宮が選ばれたのは、王都からほど近いところにあるからということもあろうが、なにより、王家ともゆかりのあるレヴォード公爵家の嫡男を幽閉するにふさわしい場所ということもあっただろう。
カイルが幽閉される離宮の候補に挙がったのは、オルト公爵領とヴォルティオ公爵領にある離宮であったが、ヴォルティオ公爵領は当主であるランドールとカイルが仲のいい友人同士であるということから、脱硝の危険を考慮され却下されて、オルト公爵領に決まった。
(油断したな……)
ソフィアが生きていたということは、カイルの耳にも届いている。その知らせに安堵した矢先、カイルは身に覚えのない罪で身柄を拘束されたのだ。
その原因について、カイルはなんとなくわかっていた。すべては、自分の油断が招いたことだ。
カイルはソフィアを海に落とした客室係セドリックの証言をもとに、彼に接触した金髪の女について探っていた。
探っていたというか――、カイルにはおおよその検討もついていたから、むしろ彼女がそうであるという証拠を探していたと言った方が正しい。
正直言って、カイルの目には「彼女」の行動はお粗末すぎた。
まあ、蝶よ花よとぬくぬくと温室で育てられた若い娘がすることだ。計画が完璧でないのも頷ける。
昔から何もかもを思い通りにしてきた彼女は、今回も思い通りになって当然だと思っていたのだろう。
叩けばいくらでも埃が出るような、お粗末な計画に、カイルはすっかり油断しきっていたのだ。
まさか、逆にはめられるとは思わなかった。
もっとも、嵌められたというよりは、証拠もないのに強引に罪を擦り付けられたのだが、それでも、カイルを陥れるだけの能力が「彼女」にあるとは思わなかったのだ。
いや――、今でも、疑っている。
彼女のほかに、彼女の裏に、ほかの誰かがいるのではないかと。
「だけどこんなところに閉じ込められたんじゃ探りようがない……」
処刑が決まったというのに、カイルは存外にその心配はしていなかった。
処刑の執行までは少なくとも半年以上の猶予がある。そしてカイルは、友人であるランドールや父であるレヴォード公爵の能力を信じている。彼らが黙っているはずはないのだ。
だから、どうしようもない状況になるまで、処刑の危険性は考えなくてもいいと考えている。だが、幽閉されて身動きが取れなければ、カイルの調べたことや考えを彼らに伝える術がない。
せめて、裏に誰かがいることと、ソフィアの命はまだ狙われているだろうことだけは伝えておきたいのに。
「まいったな。手紙を書いても内容がチェックされるし」
カイルは窓際から離れると、暖炉のそばの揺り椅子に腰かけた。
罪人ということになっているが、幽閉生活は意外と快適だ。部屋も暖かいし、食事もきちんと出る。暇つぶし用の本もあれば、望めばティータイムのお茶まで出てくる。
いくらカイルがレヴォード公爵家の嫡男でも、好待遇すぎた。推測するに、貴族裁判で有罪判決を下した人間も、ここでカイルを見張っている人間も、今回の判決が覆る可能性を考慮しているということだ。証拠がなく有罪判決を強行されたのだから当然だといえるが、逆に言えば、証拠がなくても有罪にしてしまえるだけの権力を持った人間が裏にいるということである。
幽閉されていなければ、彼女からだどって裏にいる誰かにだどりつくことだってできたはずなのに。
ぱちぱちと薪が爆ぜる。
何とかしてランドールと連絡を取る方法はないだろうか。
カイルが苛立ちまぎれに、暖炉の中に薪を放り投げた。新しい薪が入ると、炎は一瞬大きくうねって、暖炉の中に小さな火の粉が舞う。
そろそろ暖炉にくべる薪がなくなりそうだ。新しいものを用意してもらおうと椅子から立ち上がったカイルは、自分が明ける前に自動的に開いた扉に目を丸くした。
「よぅ」
片手をあげて気さくな挨拶をしながら部屋に入ってきた男に、カイルは驚いた。
「バーンズ将軍、どうしてここに……」
やって来たのは、長い黒髪をゆるく束ねた、琥珀色の背の高い男だ。隙あらば喉元に噛みつかれそうな、豹のような雰囲気のこの男は、ディートリッヒ・バーンズ。兵士たちの中でも特に花形と言われる近衛隊の将軍だ。現在二十七歳。将軍職を賜っている中で最年少の男である。
カイルは廊下にいた使用人に新しい薪を頼んで、ディートリッヒに暖炉のそばの椅子を勧めた。そして、自分は先ほどまで座っていた揺り椅子に座りなおす。
「思ったより元気そうだな」
「ええ、まあ。こう言い方をするのもなんですが、快適ですからね」
「囚人のくせにふてぶてしいやつだ」
カイルが答えると、ディートリッヒはおかしそうに笑う。
しかし、どうしてここにディートリッヒがいるのだろう。近衛隊の将軍である彼は、普段は城で王や王妃の身辺警護の指揮を執っているはずだ。レヴォード公爵家の人間相手とは言え、彼が囚人の監視の任務につくはずがない。
ディートリッヒは部屋の棚を見やって、「さすがに酒はねぇか」と残念そうにつぶやいてから、声を落としてカイルの質問に答えてくれた。
「陛下に頼まれてな」
ディートリッヒによると、国王はカイルが幽閉される前に何を調べようとしていたかに気がついているらしかった。もちろん、カイルが冤罪なことにもだ。けれども議会の判決を国王が権力で捻じ曲げるわけにもいかず、「カイルが動きやすいように」信頼するディートリッヒを使わしてくれたとのことだった。
「いっとくが、脱走は手伝わねぇぞ」
「わかってますよ」
カイルは国王の心遣いに深く感謝した。
「つーことで、俺はお前の監視の指揮官ってことになってるから、ま、いいように使えや」
ディートリッヒが味方ならば心強い。
カイルは前途に光明を見た気がして、ほっと息を吐き出した。




