悪役令嬢と「正しい夫婦」 5
ソフィアたちが夕食を食べ終えたころに、一等客室の客室係が宿にやってきた。
脱線事故を起こした汽車の車内から、ソフィアたちの荷物を回収してくれたそうだ。ヨハネスが荷物を確かめて、すべてあることを確認すると、客室係は次の客の荷物を持って、慌ただしく去っていく。
「もう夜なのに、大変ねぇ」
オリオンが同情のこもった声で言った。
仕事とは言え、汽車の中に残された荷物を回収しては持ち主のもとに届けて回るのは大変だろう。おそらく乗客全員分ではなく、せいぜい二等客室の客までの対応になるだろうが、それでもまあまあの人数だ。
ランドールは少し用事があると言ってヨハネスとともに外へ出たので、ソフィアは二階の部屋に戻り、イゾルテに手伝ってもらってドレスを脱ぐ。
濡れたタオルで体を拭き清めて、客室係が届けてくれた荷物の中から夜着を取り出して着替えると、イゾルテがふと心配そうにこんなことを言ってきた。
「こんなことになるのでしたら、もっと薄い夜着をご用意しておきましたのに、こちらで本当に大丈夫でしょうか?」
「え、なんで?」
冬の寒い時期に薄い夜着などを着たら寒いではないか。暖炉があるとはいえ、壁も薄いし、あまり防寒対策の取られた部屋でもなさそうだ。ソフィアがきょとんとしていると、イゾルテは目を丸くして、言いにくそうに付け足した。
「こういうことを申し上げるのは失礼かもしれませんが……、奥様と旦那様はそのぅ、本当の意味でご夫婦にはなられていませんよね?」
「え? 入籍したから本当の夫婦だと思うけど……」
「いえ、そうではなくって……」
イゾルテは部屋の中には誰もいないというのに、まるでいもしない誰かを警戒するかのようにきょろきょろと部屋中に視線を這わせてから、ソフィアに小さく耳打ちする。
「ですから、初夜はまだですよね?」
「しょ――」
「し! 奥様、この宿は壁が薄くてございます」
イゾルテに口をふさがれて、ソフィアはこくこくと頷くも、その顔は徐々に赤く染まっていく。
(なんてことを言うのよ――!)
初夜なんて。初夜なんて! そんなもの、まだに決まっているではないか!
ゆでだこのように赤くなってしまったソフィアに、イゾルテがやれやれと息をつく。
「奥様。わたくしは奥様の鈍くてぽやんとしているところは大好きでございますが」
(……にぶくてぽやん?)
「いいですか? 今夜はこの部屋に旦那様と二人きり。まあ、せっかくの初夜ですから、素敵な宿や、邸でベッドを整えての方がもちろんよろしいかと存じますけれども、旦那様も男性です。こぉんな可愛らしいわたくしの奥様と同じベッドで、なにもないわけがございません! ですので、夜着くらいきちんとそれらしいものがご用意できれば――、あら、奥様?」
イゾルテが拳を握り締めて力説しはじめたが、あまりの内容に、半分もソフィアの耳には入ってこなかった。
「しょ、しょ、しょ――」
「はい。初夜でございます」
「むり―――!」
ソフィアは思わず叫び声をあげた。イゾルテが再び、慌てたようにソフィアの口をふさぎにかかる。
(無理無理無理! 初夜、むり――!)
ちょっと想像しただけで憤死しそうになったソフィアは、大慌てでベッドにもぐりこんだ。
「寝る! 今すぐ寝るから! おやすみなさい!」
ランドールが戻ってくる前に眠っておかなければとソフィアは急いで目をつむる。
ランドールの顔が至近距離にあるだけで心臓が壊れそうになるのに、彼と初夜なんて無理に決まっている。
(二次元! 二次元カムバックっ)
テレビとコントローラーを今すぐに用意してほしい。テレビの中での出来事であれば「きゃー、いやーん!」で耐えられる!。
あわあわしながらぎゅっときつく目を閉じるソフィアに、イゾルテはぽかんと口を開けた。
けれども、「寝る」と宣言したソフィアの部屋にいつまでも残るわけにもいかないだろう。
イゾルテは心の中で「可哀そうな旦那様」とつぶやいてから「おやすみなさいませ」と部屋を後にした。
ソフィアが頭の中で必死に羊を数えて眠りについて十五分後。
宿に戻ってきたランドールは、部屋の扉を開けて、部屋の中が暗いことを知ると、思わず「……もう寝たのか」とつぶやいた。
ベッドはこんもりと盛り上がり、ソフィアの規則正しい寝息が聞こえてくる。
何かを期待していたわけではないが、帰ってきたらすでに夢の中の様子の新妻に、少しばかり複雑な気持ちになる。
ベッドの端で眠っているあたり、ランドールのスペースは確保してくれているようだが――、普通、先に寝るだろうか?
「……お前は、夫婦という意味を理解しているのか?」
もちろん、ランドールも今までの自分の態度について反省していないわけではない。だから、ソフィアと夫婦としてやり直そうと心に決めたけれども、彼女の意思を尊重するつもりだ。まだソフィアも十六。彼女の心が追いつくまでは待つつもりだし、無理やり男女間の営みを強要するつもりはない。だが、しかし。
「……先に寝るか、普通?」
ランドールが遅く帰ってきたというのならばわかるが、常ならばまだ寝る時間ではない。それなのにさっさと眠りについているなんて、これは明らかな「拒絶」ではないだろうか? さすがに傷つく。
むっとしたランドールは、ベッドの縁に座ると、すよすよと眠っているソフィアの顔を覗き込んだ。
手の伸ばして軽く頬をつつけば、すべらかで弾力のある肌が指を押し返してくる。
「お前、俺が夫だって、わかってるのか?」
訊ねても、当然答えは返ってこない。
ランドールだってソフィアのことを妻らしく扱ってこなかったから、文句をいう資格はないだろうとはわかっているが、これが言わずにいられるものか。
最初を間違えたランドールは、こう見えても、やり直そうと必死なのだ。
だが、最初から間違えてしまったから、どうしていいのかがわからない。
ソフィアはどうもランドールのことを夫だと認識していない節があるし、嫌われてはいないようだが、あまり「男」扱いもされていない気がする。
なんとなくだが、ソフィアはランドールを見ながら、「別の誰か」を見ているような気がするのだ。最初はその「別の誰か」がカイルかと思ったが、どうやらそうでもなさそうで、ランドールはもやもやする。
けれども、ランドールが顔を近づけただけで頬を染めるソフィアは、ランドールを全く意識していないわけでもなさそうで、だからこそよくわからない。
ソフィアに「ランドール」を意識させるにはどうすればいいのか。正しくランドールが自分の夫だとわからせるにはどうすればいいだろう。
今度こそ間違えないためにも、ゆっくりと、ソフィアのペースで距離を縮めていこうと考えているが、正直言って、このままでは彼女との本当の意味での距離が縮まるのがいつになるのか、わかったものではない。
(せめて腕枕くらいしようと思っていたのに)
抱きしめたら警戒されそうだが、その程度なら許されるのではないかと考えていたのに、さっさと一人で夢の中に入ってしまうとは。
ランドールはもう一度ぷにっとソフィアの頬をつついてから、服を着替えると、彼女の隣にもぐりこんだ。
どうせ眠っているのだからと、端っこにいるソフィアの体を引き寄せて腕の中に閉じ込めて見ると、人の体温に安心したのか。ソフィアがふにゃりと頬を緩める。
ランドールは小さく笑って、ソフィアの額にキスと落とすと「おやすみ」とささやいた。
翌朝、ランドールより先に目覚めたソフィアが、彼の腕の中にしっかりと抱きしめられている状況に真っ赤になって悶えたのは、また別のお話。




