悪役令嬢と「正しい夫婦」 4
リーベンの町は、ワインで有名な町である。
事故現場から三十分ほどかけてたどり着いたソフィアたちは、宿に入るとすでに事情を知っている女将に、スパイスと蜂蜜を入れて煮立たせたホットワインをふるまわれた。どうやらソフィアたちよりも早くにこの町にたどり着いた乗客たちも大勢いるようだ。
宿の玄関口でふるまわれたホットワインを飲んでいると、部屋を確認しに行った女将が「二部屋ならまらあいているよ」と教えてくれる。
「狭いしいい部屋じゃないけどね」
女将は明らかに金持ちとわかるランドールに、恐縮したように言った。だが、事故現場からこれだけ人が流れ込んできている中、二部屋も用意できるなら上々だろう。どこの宿も、おそらくいっぱいだ。
ランドールがその部屋で構わないと言えば、女将はぱっと顔を輝かせた。金持ちの客はしばしば部屋や内装にケチをつける面倒な客が多いが、どうやらランドールたちは大丈夫そうだと判断したようだ。
女将に案内されて二階に上がると、ベッドで部屋の半分以上が埋まっているような狭い部屋に案内される。
二つの部屋のうち、少し広い方をヨハネスとオリオン、イゾルテに使ってもらうことにして、ソフィアはランドールともう一つの部屋に入った。ベッドが一つと、暖炉、そして小さなクローゼットがあるだけの部屋だ。
市井暮らしのソフィアは質素な部屋でも大丈夫だが、ランドールは大丈夫だろうか? 心配になって見上げて見ると、意外にも彼は平気そうだった。
少ししたら一階の食堂で夕食をふるまってくれるそうだ。外に出たところに大衆浴場があるそうで、風呂はそれを使ってほしいと言って女将が去っていく。
風呂は使いたかったが、大衆浴場は薄い板で男女を区切っているものが多い。下手をすれば混浴だってある。そんなところにソフィアが行くのをランドールが許すはずもなく、ソフィアは今日はあきらめて濡らした布で体をふくのにとどめておこうと思った。
先ほどふるまってもらったホットワインのせいか、それとも暖炉で温まった部屋のせいか、体がぽかぽかしてくると歩いた疲れもあって、急に眠たくなってくる。
欠伸をかみ殺したソフィアはベッドの縁に腰かけて、それからハッとした。
(……ベッドが一つしかない)
クイーン・アミリアーナ号の中でもそうだったが、あのときランドールはソファで寝てくれた。けれどもこの部屋にはソファもない。さすがに床で寝るのには無理がある。さすがにこの状況で、一緒が嫌だなんて我儘は言えない。
ソフィアは急に恥ずかしくなってきた。ランドールはこの事実に気がついていないのか、それとも気づいていて平気なのか、平然とした様子でジャケットを脱いでクローゼットにかけて、窓際においてあった小さな丸い木の椅子を引き寄せて暖炉の前に座った。
緊張したソフィアは、自然と落ちた沈黙に息苦しさを覚えて立ち上がる。
「の、飲み物いる? 紅茶か何か、用意してもらう?」
「いや、先ほどホットワインを飲んだから、大丈夫だ」
「じゃ、じゃあ食べ物でも」
「もうすぐ夕食だと言っていなかったか?」
「それじゃあ――」
ほかに何かないか。ソフィアがぐるぐる考えていると、彼女が挙動不審なことに気がついたらしい。ランドールが小さく笑う。
「事故やいろいろあって落ち着かないのはわかるが、明日には馬車を手配できるし、安心していいぞ」
「……う、うん」
ソフィアが落ち着かない理由はそういうことではないのだが、ランドールはソフィアが事故のことで興奮していると思っているようだ。
ソフィアはすとんとベッドの縁に座りなおした。
なんだか、ソフィア一人が慌てていて、馬鹿馬鹿しくなってくる。だが、恥ずかしいものは恥ずかしいし、緊張するものは緊張するのだ。そもそもどうしてランドールがこの状況に何も思わないのかが不思議で仕方がない。
(同じ部屋で眠っても何も思わないくらい、わたしって魅力ない?)
少なくとも、ソフィアの容姿は整っているはずだ。なぜなら『グラストーナの雪』の悪役令嬢ソフィアは美人という設定だったし、鏡に映った自分の姿を見ても「さすがソフィア」と唸るほどにはかわいいと思う。悪役令嬢に転生してしまったのは喜べないが、かわいい顔に生まれ変わったことだけはラッキーと思ってしまった自分がいた。
(……年下は興味ないとか?)
だが、ランドールは攻略対象だし、ゲームのランドールルートでは彼はきちんとキーラを愛していたはずである。
(……十六歳は対象外?)
ゲームのはじまりではキーラは十八。二歳の差は大きいのだろうか?
いきなりドキドキ展開になっても非常に困るが、かといってまったく意識されていないというのも悲しくなる。
やはり悪役令嬢相手だからなのだろうか? ランドールは「正しく夫婦であろうと思う」と言ったが、それは仕方なく、我慢して、そうあるように努力するという意味だったのだろうか。
ほんの少し距離が縮まったような気がしたのに、それはソフィアの勘違いだったのだろうか。
「ソフィア?」
(でも、今は意識されていない状況の方がよかったのかしら? いきなりいちゃいちゃスチル展開みたいになっても困るし)
「ソフィア、聞いているか?」
(でもランドールっていちゃいちゃスチル少ないんだよね。デレるまでに時間かかるし)
「ソフィア、そろそろ夕食だぞ?」
(……ダルターノルートの壁ドンスチル、ランドールルートでもあればよかったのに)
「具合が悪いんじゃないのか?」
(あーでも、おやすみチュースチルはよかった……)
「ソフィア!」
「ん?……きゃあっ」
ゲームのランドールルートで手に入る「おやすみチュースチル」を思い出してでれっと笑み崩れそうになったソフィアは、大声で名前を呼ばれて顔を上げ、至近距離にランドールの顔を見つけて思わず悲鳴を上げた。
大好きなランドールの顔のドアップに、あっという間に顔が真っ赤に染まる。
「な、ななな、なに?」
「何じゃない。さっきから呼んでいるのにどうして気づかない。やはり具合が悪いんじゃないのか?」
「悪くないわよ、全然、まったく、大丈夫! ちょっとぼーっとしてただけ」
まさか妄想に浸っていましたなどと言えるはずもなく、ソフィアは赤い顔のまま笑って胡麻化す。
「ならいいが……」
ランドールはまだ訝しそうだったが、ソフィアが大丈夫だと繰り返すとそれ以上は追及してこなかった。
「そろそろ夕食だぞ」
「あ、もうそんな時間?」
夕食は一階の食堂でと言われていたから、ソフィアがランドールとともに部屋を出ると、ちょうど隣の部屋からオリオンたちも出てきたところだった。
「……あんた、顔が赤いけど大丈夫?」
オリオンがぼそりと耳打ちしてきたので、ソフィアはランドールに聞こえないように小さく答える。
「大丈夫じゃないかも。ランドールがかっこよすぎる!」
「訊いたわたしが馬鹿だったわ」
オリオンはあきれたように息を吐いた。




