エピローグ
ディルバ子爵は、サラドーラの商業船を襲って積み荷を奪っていた罪で捕らえられた。
嵐で一部の船が大破して、そこから出てきた金貨や宝石類が飛び出してきて、もはや言い逃れできない状況だったためか、最初は抵抗を見せていたディルバ子爵も、最後にはあきらめて兵に引きたてられていった。
船から押収されたもの以外にも、彼の家からもいくつものサラドーラの商業船から盗んだ強奪品が出てきた。驚くべきことに、彼の家の壁に無数に飾られていた絵の額縁の中に、盗んだものを隠していたらしい。
ダルターノには晴れて正式な義賊の許可証が発行されて、彼は仲間を連れて満足そうに海に出て行った。残りのセルキーの涙の回収作業に戻るそうだ。
ソフィアは――
「ったくあの小娘! 解毒薬を作ってあげるって約束したのはあんたじゃないわ! シリルたちはどこにいるの? ってごねまくってなかなか作りやしないのよ。あーっ、腹立つわ!」
オリオンはセルキーの涙をもって、魔女マーブルの娘であるフィリアのもとに行っていたらしい。
一足先にオリオンから渡された解毒薬を飲んだソフィアは、今までのことを振り返って顔から火が出るような思いだった。
オリオンはフィリアに解毒薬を作らせるのにそれはそれは苦労したそうで、これも全部ソフィアのせいだとなじってくる。
「えっと、いろいろごめん……」
まさかカーネリアがソフィアに惚れ薬を盛るとは思っていなかったのもあるが、油断していたのはソフィアが悪い。
オリオンにもヨハネスにもランドールにも多大なる迷惑をかけてしまった。もちろん、ヴェルフントの城に残してきたイゾルテにも。
ソフィアはヴェルフントの城に戻ったら真っ先にイゾルテに謝りに行こうと心に誓う。
オリオンに散々なじられたあと、ソフィアはランドールに誘われて海岸に向かった。
新婚旅行のつもりでヴェルフントに来たというのに、結局、新婚旅行らしいことはなにもできなかった。
ランドールに手を引かれながら、ソフィアはゆっくりと砂浜を歩く。
惚れ薬の解毒薬を飲んだあと、真っ先に、いつものようにランドールに怒られると思った。彼の口癖「ヴォルティオ公爵家に泥を塗るな!」がいつ飛び出してくるかとびくびくしていたのに、ランドールは奇妙なほどに静かで拍子抜けしてしまう。
さくさくと砂浜を踏みながら半歩先を歩く彼の横顔を見上げても、何を考えているのかがわからない。
(……まさか、今度こそ愛想が尽きて離婚とか?)
あまりに何も言われないので、ソフィアの思考も悪い方へと傾いていく。
彼はもともとソフィアと結婚したくて結婚したわけではないのだから、いつ離婚と言われてもおかしくない。その前になんとかしてランドールを攻略しようと思っていたが、さすがに今度の騒ぎは大きすぎた。
シリルの偽の恋人を演じたことも、惚れ薬を飲まされてしまったことも。お前みたいな女は由緒正しいヴォルティオ公爵家の当主の妻にふさわしくないと言われても、何も反論できない。
ソフィアが真っ青になって立ち止まると、ランドールが怪訝そうに振り返った。
「ソフィア?」
「ごめんなさい!」
ここは先手必勝、謝り倒す作戦である。というか、もはやソフィアにはその手段しか残されていない。
ランドールに見捨てられて、城に戻されるのだけは嫌だった。悪役令嬢としての破滅エンドも恐ろしいが、何よりあの城にはもう戻りたくない。
ここは謝り倒して、縋りついてでも離婚を回避しなくては。
「ランドールにはたくさん迷惑をかけたわ! 本当にごめんなさい! 反省してます!」
だから見捨てないでーっと、下げていた顔を上げると、びっくりしたようなランドールの顔があって、ソフィアの方が驚いた。てっきり冷たくあしらわれるかと思ったのに。
ランドールはしばらく黙って、それからそっとソフィアの髪に触れた。正確には、ソフィアが髪のサンゴの髪飾りに。
「お前には赤が似合うな」
「……へ?」
「船の中で着ていた赤いドレスも、似合っていた」
ソフィアは自分の耳を疑った。ランドールは今何を言った? 赤が似合う? ドレスが似合っていた? ランドールがソフィアを褒めた? どういう風の吹き回し――、いや、そもそもいったい何の話をしているのだろう。
「今度は赤い花を贈る」
「え……っと……」
ソフィアは困惑して小さく首をひねる。
(今度は? ってことは――)
「離婚は、なし?」
思っていたことがうっかり声に出てしまい、ランドールが驚いた顔をしたのちに急に不機嫌そうになった。
見慣れたランドールの不機嫌な顔に「うへっ」っと首をすくめると、つないでいた手を握る彼の手の力が強くなる。
「離婚したいのか?」
まるで離さないと言わんばかりの力だった。痛くはないが、絶対に振りほどけない、そんな力。
ソフィアはなんだか怖くなって、ぶんぶんと首を横に振った。
するとランドールはほっとしたように表情を和らげて、それから言った。
「これからは、正しく夫婦であろうと思う」
(正しく夫婦? なにそれ?)
ソフィアとランドールは、大聖堂で挙式をして、婚姻届けにサインをしている。グラストーナの法に基づいて、正しく夫婦として認められた関係だ。これ以上の「正しい夫婦」とはいったいなんだろう?
「ソフィア」
「は、はい!」
ランドールが真剣な顔をするから、ソフィアは緊張してしまってびくりと背筋を正した。
ランドールとつながれた手が妙に熱い。
ランドールは一度深呼吸をすると、絞り出すような声で言った。
「……今まで、すまなかった」
「え……?」
「つらくあたって、すまなかったと、言った」
「あ、えっと……、う、うん」
頷きながら、ソフィアの頭の中は「?」だらけになる。
目の前にいるランドールは、「正しく」ランドールだろうか? ソフィアのように妙な薬を飲まされたりしていないだろうか?
(ランドールが、謝った……)
あれほどソフィアのことを「偽物」と言って避けていたランドールが、ソフィアの目を見て謝った!
驚きを通り越して茫然としてしまったソフィアを見ながら、ランドールが続ける。
「お前がクイーン・アミリアーナ号から落とされたとき――、もう二度と会えないかもしれないと思ったとき、心臓が凍りついたようだった」
「う、うん」
「お前をヴェルフントの城で見つけたときは、お前はシリル王子の恋人のふりをしていて、苛立つとともに心が苦しくなった」
「う、ん……」
「お前が惚れ薬を飲まされてダルターノに心を奪われたときは、どうしようもなく焦って……、お前は俺のものなのにと、思った」
「そ、そう……」
「つまりは、そういうことなのだと思う」
そういうことってどういうことだろう?
ソフィアは問い返したかったが、とても疑問を口にできる雰囲気ではなかった。
ソフィアの頭の中はやっぱり「?」ばかりだが、ランドールはソフィアが理解したと思っているのか、薄く笑って再び歩き出した。
ランドールに手を引かれながら、ソフィアは静かに考える。
(よくわかんないけど、前より仲良くしてくれるってことでオッケーなのかしら?)
正しい夫婦が何なのかはいまだに謎だが、仲良くしてくれるというのなら結果オーライだ。
ソフィアはどうやら離婚は回避できたらしいと安堵して、ランドールとともに歩きながら、ふと海に視線を向けた。
凪いだエメラルドグリーンの海の奥で、何か黒い影が動いたような気がする。
もしかしたら、カラナかマラナだろうか。
ソフィアは笑って、海に向かって小さく手を振った。
これにて第五話終了となります。お読みいただきありがとうございました!
第六話はあの人がピンチに陥ります。連載再開まで少しお時間をいただきますが、引き続きお読みいただけると幸いです。
よろしかったら下記☆☆☆☆☆にて作品評価を頂けると嬉しいです(#^^#)