悪役令嬢とカラナの妹 1
カラナの妹のアザラシの皮を奪った男は、カイザルーズの町にいるらしい。
カラナによると、このままでは花嫁を奪われた龍神が怒り狂い、嵐が起こって、やがて大きな津波にカイザルーズの町が飲み込まれてしまうという。
聞いてしまったからにはそのままにしておけず、ソフィアはダルターノが戻ってくるとすぐに彼に相談した。
ダルターノは驚いていたが、ソフィアの説明を疑いはしなかった。
「カイザルーズの町なら、ここから船で少し行ったところにある港町だが、あそこはまあまあ広いし人も多いぜ? セルキーのアザラシの皮を奪った男を探すったって、そう簡単に見つからねぇだろ。それに、むやみに人の多いところには近づきたくねぇ。俺とお前を探してるやつがいるだろうしな」
「そう……よね」
ソフィアを連れ去ったせいで、ダルターノはお尋ね者になっているかもしれない。人目につくのはまずいかもしれない。
ソフィアがしょんぼりと肩を落とすと、ダルターノはがりがりと頭をかいた。
「あーもう、んな顔すんな! わかったよ! 俺もさすがにカイザルーズの町に住むやつらを見捨てるのは気分がよくねぇし。準備するから一日だけくれ。そうしたらカイザルーズに向かってやるよ」
「本当?」
「ああ。その代わりお前も変装しろよ」
「もちろん!」
ダルターノはやれやれと肩をすくめる。
できれば今は目立つ行動はとりたくないが、カイザルーズはダルターノも頻繁に訪れている町で顔なじみも多い。聞いてしまったからには見殺しにするのは寝覚めが悪い。それにここまで知って見捨てたら、ソフィアは一生気にするだろう。そんな思いはさせたくない。
「そのカラナっていうセルキーが言うには、アザラシの皮を奪い返せば、龍神の嫁は海に帰れるから、龍神の怒りも解けて嵐は起きないんだな?」
「うん、そう言ってた」
「はあ、なんだかね。自分の嫁なら自分で探しに行きゃいいのに、神様は怠惰だねぇ」
もしもダルターノならば、自分の嫁が攫われたのなら何としても自分で探し出して連れ帰る。奪った側の――ソフィアを攫ったダルターノが偉そうなことは言えないかもしれないが、奪われたのなら全力で取り返せ。それをせずに怒りだけぶつけようとしている龍神はいかがなものだろう。まあ、神様の考えることはわからないが。
「つーことで、俺らはちょっと野暮用ができちまったから、セルキーの涙の回収は任せたぜ」
ダルターノが仲間の海賊たちに告げると、彼らは口々に「あいあいさー」と頼もしい答えを返してくる。
「ありがとう! ダルターノ!」
微笑むソフィアの頭を撫でながら、こういうのを惚れた弱みっていうのかねぇとダルターノは苦笑した。
二日後。
黒いウィッグをつけて町娘風のワンピースを着たソフィアは、ダルターノとともにカイザルーズの町を訪れていた。
ダルターノは「俳優マッキール」の姿をして、その上から眼鏡をかけ、帽子をかぶってている。
カイザルーズにはオペラの講演で何度も訪れたことがあるらしく「俳優マッキール」の知り合いも多いらしい。そのため、マッキールの姿をしていたほうがいろいろと聞き込みしやすいそうだ。
「ソフィ、先になじみの女将のところに行って荷物をおいてこよう」
ダルターノは「マッキール」でいいが、ソフィアは念のため「ソフィ」と名乗ることになった。
ダルターノにはオペラ俳優としての仕事のときによく使う宿があるらしい。町の高台にある、見晴らしのいい白い壁の宿だ。ダルターノとともに宿を訪れると、小麦色の肌をした三十歳くらいの女将は、目を丸くした後で満面の笑みを浮かべた。
「これはマッキールさん。講演かい?」
「いや、今日は私用ですよ。部屋は空いてますか?」
女将はちらりとソフィアに視線を向けて、にんまりと笑った。
「おやおや、ついに特定の恋人を作っちまったのかい」
「特定のって、お願いですから遊び人みたいに言わないでくださいよ」
「これは失礼したね、でも、いつも女の子に騒がれてたろ?」
「俳優が物珍しいから騒いでいるだけですよ」
「そうかねぇ? そうそう、部屋だったね。それがねぇ、悪いんだけど、いつもの一番いい部屋は先客で埋まっちまっててねぇ。普通の部屋になっちまうがいいかい?」
ダルターノは「それでいい?」と訊ねるようにソフィアに視線を向けた。
ソフィアが頷くと、女将が微笑んで「じゃあ部屋に案内しようかね」とソフィアが持っていた着替えの入った鞄を持ってくれる。
案内された部屋は、小さいけれどもかわいらしい部屋で、白と薄いグリーンを基調としていて、海が一望できる窓からは風に乗って微かに潮の香りが漂ってくる。
「マッキールさんの部屋は左隣だからね」
女将が言うと、ダルターノは頷いて勝手知ったる家のように部屋を出て隣に向かった。
女将はソフィアの荷物の片づけを手伝ってくれながら、共用のバスルームや食事の時間を教えてくれる。一番いい部屋には専用のバスルームが用意されているが、それ以外は一階にある大浴場を使うらしい。近くに温泉が出るところがあるそうで、大浴場にはそれを引いているから肌がつるつるになるよと言って女将は笑った。
「お茶を入れたければそこの暖炉を使ってもいいけど、暖炉をつけたら熱いだろうからねぇ、呼んでくれたら用意するよ」
「本当ですか? ありがとうございます!」
「あと、洗濯物があるなら直接あたしんとこに持ってきてくれたらいいからね」
ほかに何か用があったら気楽に声をかけなと言って、女将が部屋から出てこうとしたその時だった。
何やら階下が騒がしくなって、どうしたのだろうかと、ソフィアは女将とともに廊下に出て手すりから下の階の玄関のあたりを見下ろした。
玄関の当たりでは、太鼓のように丸い腹をした背の低い男が、顔を真っ赤に染めて何やら怒鳴っている。
女将は「おやまあ!」と目を丸くした。
「ありゃ、領主様の息子のディルバ子爵じゃないかい!」
女将は大慌てで階段を駆け下りていく。
ダルターノも騒ぎを聞きつけて部屋から顔を出し、ソフィアの隣から階下を見下ろした。
「なんだありゃ」
「さあ? ディルバ子爵っていう人らしいわよ。このあたりの領主の息子なんですって」
「へえ。その子爵様がいったい何の用なんだか。ゆでたタコみたいに真っ赤な顔をしてるが」
「ほんとね。って、ゆでたタコって、タコ食べるの?」
「ああ、魔物だとか言って食べるやつは少ねぇみたいだけどな、俺は好きだぜ、ダコ」
ソフィアは驚いた。どうやらこの世界ではタコやイカを食べる文化がないようで、グラストーナ国でも海底の悪魔だと言われて、漁であがってもすべて捨てられていた。ちょっぴり残念に思っていたソフィアだったが、食べる人もいたなんて。
(ダルターノにお願いしたら食べさせてくれるのかしら?)
すっかりディルバ子爵からタコに興味が移ったソフィアが、頭の中でタコの刺身やたこ焼きを思い浮かべたそのときだった。
「ソフィア!?」
驚愕にひきつったような声が聞こえてきて、ソフィアが振り返ると、そこには目を見開いたオリオンと、それから――
「ラン、ドール……」
どうしてだろう、胸の奥にちくりとした小さな痛みが走った。