悪役令嬢と海賊 3
潮の香りを含んだ風が心地いい。
日差しを反射して輝く波が、まるで宝石を散りばめたかのようだ。
アルト海の――特にカイザルーズの町の近海は、透明度が高くまぶしいほどのエメラルドグリーンの色をしていて、船から下をのぞけば、色とりどりの魚の存在が肉眼でもわかるほどだ。
「やっぱり俺には奪う方が性にあってるね」
ダルターノは甲板の上でソフィアの肩を抱き、高いところにある太陽を見上げる。
ダルターノの船――船乗りを海に引きずり込む女神の名を冠したセレーン号は、スピードを重視した小回りの利く帆船だ。
「俺の自慢の船はどうだ?」
「素敵ね」
美しい金色の髪を風になびかせながら、ソフィアが微笑む。
ソフィアは惚れ薬を飲んでしまって、その影響でダルターノに心を奪われているようだが、正直、ダルターノはそれが薬の影響だろうと本心だろうと関係ない。むしろ惚れ薬の影響で、ダルターノしか目に入らない様子のソフィアには満足すら覚える。
ソフィアのことは前から美人だとは思っていたが、こうして猫の子がなつくように、何の打算も疑いもなく微笑む彼女は、いっそうかわいらしかった。だから奪うことにした。それが海賊だ。
ソフィアを連れ去る際に、邪魔だったイゾルテを生かしたままにしておいたことだけが悔やまれるが、まあ、クローゼットに閉じ込めたイゾルテが騒いだところで、今更ダルターノを捕まえることはできないだろう。
「ソフィア、今から島に寄って、明日からお宝探しだぜ」
アルト海には、ダルターノが根城にしている無人島がある。小さいけれど、海から入り込むことができる、船を隠すにはうってつけの洞窟があって、なかなか便利な島だ。ダルターノはその島に奪った宝を隠しているが、洞窟の入り口が見えづらいところにあるおかげで、いまだかつてほかの海賊から狙われたことはない。
ダルターノはカイザルーズの町近海でセルキーの涙を入手したのちは、ほとぼりがさめるまではしばらく外海に出てのんびりするつもりだった。
「船長、そういやぁ、このあたりでサラドーラの海軍の船を見かけましたぜ」
「まじか! あいつらしつけぇからな。一応用心しとけ」
セレーン号は見た目は普通の帆船で、ほかの海賊のように「海賊だ!」と主張して回るようなおどろおどろしい柄の帆も張っていない。
そのため、見た目ですぐに海賊船だと気づかれることはないだろうが、ほかの国の海軍と違い、サラドーラの海軍はしつこい。それは、かの国の海軍が海賊の根絶やしを掲げているからにほかならず、正直ダルターノには迷惑な話だった。サラドーラの商業船などを襲っているのはダルターノではなくほかの海賊だというのに。
ダルターノが言えば、ツンツン頭の副船長は「イエッサー」と海賊特有の返事をして船内に消えた。
「さあてと、島につくまでもうちょいあるが……、ソフィア、甘いもんでも食うか?」
「うん!」
ぱっと顔を輝かせたソフィアにダルターノは満足そうにうなずくと、彼女を連れて船長室へと向かったのだった。
根城にしている名もない孤島を、ダルターノは「楽園」と呼んでいた。
海から入り込める洞窟の入り口に船を滑り込ませ、しばらく細い洞窟が続き、まるくひらけた吹き抜けの場所にたどり着く。
奥の岩肌からは湧き水も流れ落ちるここが、ダルターノたちが根城にしているところだった。
奥に行くにつれて、金貨や宝石、そのほかの財宝が無造作に投げてある。あちこちにハンモックなども吊り下げられて、いつ干したのかもわからないカピカピの洗濯物も揺れていた。
「ソフィアはしばらくは船の俺の部屋で寝泊まりしな。こんな汚ねぇところでむさくるしい男どもとの共同生活なんて嫌だろ」
「船長、むさくるしいはひどいですぜ!」
「一応これでも、三日に一度は水浴びしてますぜ!」
「掃除もちゃんとしてるし」
「船長がキレるから、ごみもちゃんと外に捨ててますぜ!」
男どもが口々にわーわー言いはじめて、ダルターノは鬱陶しそうに眉を寄せた。
「だとしても、お前らみたいなのとソフィアを一緒にできるか!」
「ひでえ!」
「うるせぇ! 泣きまねすんなっ、うぜえ!」
ランドールが怒鳴ると、男たちが口々に「ぶーぶー」と不満を漏らす。
ソフィアは思わず笑ってしまった。『グラストーナの雪』ではダルターノとその仲間たちのやり取りはさほど描かれなかったが、こうしてみるとずいぶんと仲がよさそうである。
(それもそうね。仲間の海賊たちはみんな、もとフェルドラード国出身で、ダルターノと一緒に亡命した人たちだもの)
「姐さん、つれねぇ船長は無視して、こっち来てこれ食べてみなよ! 女子供は間違いなく好きな味だぜ」
「あ、イエロースターフルーツ!」
「なんだ、食べたことあんのかい」
「ううん、食べたことはないけど、ヴェルフントの特産だって聞いたことがあって」
これはぜひとも食べてみたい。
ダルターノを見上げると、彼はやれやれと肩をすくめた。
「鬱陶しくなったら遠慮なく殴っていいからな」
どうやら彼らのそばに行ってもいいらしい。
海のように綺麗なエメラルドグリーンの色の髪をした男が、短剣で器用にイエロースターフルーツをカットしてくれて、ソフィアは断面が星の形をした柔らかめのフルーツを口に入れた。
じゅわっととろけるように口当たりのいいイエロースターフルーツは、マンゴーと桃をたしたような味がした。
「おいしい!」
「そうだろそうだろ、次はこっちはどうだい?」
次に差し出されたのは、ライチのように固い皮に覆われた拳大の真っ赤なフルーツだった。これも短剣で皮をむいてくれて、食べやすくカットされて差し出される。
「んっ、あっま!」
「だろう! シュガーフルーツって言うんだぜ! 名前の通り、砂糖を食ってるみてぇだろ」
「うん!」
その後も、次から次へと、まるで久しぶりに祖父母の家に遊びに行ったかのように、食べ物を渡されて、ソフィアはすっかりお腹がいっぱいになってしまった。
(美味しかった! ランドールにも食べさせてあげたか……)
ソフィアははたと首をひねった。
どうしてランドールに食べさせてあげたいと思ったのだろう。ソフィアがおいしいものを共有したいのはダルターノであって、ランドールではない。ダルターノはすぐそばにいるではないか。
「どうした?」
ソフィアが突然考え込んだからか、ダルターノが不思議そうな顔をした。
「まさか、腹でも痛くなったか?」
「あ、ううん、違うの。大丈夫よ」
「そうか? ならいいが。じゃあ、腹ごなしに洞窟の周りを案内してやるよ。ちょっと行った先に、熱いってほどじゃねぇが、ぬるいくらいの湯が沸き出てる泉があってな、風呂代わりに使うのにちょうどいいんだ」
天然の温泉ということだろうか? ソフィアはさっき感じた小さな違和感は忘れることにして、大きく頷くと、ダルターノと手をつないで洞窟の外へ向かった。




