悪役令嬢の解毒薬 1
数日後。
ランドールたちは魔女マーブルの住むと思われるマゼラン山脈の麓に向けて出立することとなった。
シリルやヴェルフント国王は、軍を動かすと申し出てくれたが、ランドールたちはそれをやんわりと拒否して、自分たちの足で向かうことにした。
オリオンによると、マーブルという魔女は偏屈で、人間嫌いらしく、軍が向かえば姿をくらます可能性があるらしい。
ヴェルフントの王都アザルースから少し北に言った町から、サラドーラとの国境付近の町まで鉄道が走っており、馬車で移動するよりも遥かに早くたどり着くことができるため、ランドールたちは移動手段に鉄道を選んで、まずはアザルースの北の町へ向かうことにした。
鉄道産業はグラストーナでも近年注目されている産業で、例えば王都からアビリア港まで短い鉄道が走っていたりと、徐々に導入されつつあるものではあるが、ヴェルフントはその最先端を行く。
広域に渡り線路を敷いたりするなど、鉄道を敷く予定の地域の領主や領民の理解を得る必要があるなど、課題は多いが、普及すれば格段に国内の移動が楽になる。
現に、馬車を使えば一か月以上かかるアザルースからマゼラン山脈の近くの町まで、鉄道を使えば一週間足らずだ。
「鉄道に乗るのは、去年の開通式以来だね」
なぜかついてきたシリルが、鉄道の駅のある町へ向かう馬車の中で地図を広げながら言った。
ソフィアとダルターノは留守番で、イゾルテはソフィアのそばについているからついてきていない。
ヴェルフントを移動するうえで、道案内は確かに必要だったが、わざわざ王子自らついてこなくてもよかったのにと伝えたが、シリルはシリルで今回のことに責任を感じているらしい。確かに、もとはと言えばシリルがソフィアに恋人のふりをさせなければこんなことにはならなかったのだが、シリルの恋人役を探していたダルターノがいなければソフィアは海の底に沈んでいたかもしれなくて、ランドールは複雑だった。
「鉄道は一日に一本しか出ていなくてね。今からだと、明日の昼過ぎに出発する分に乗ることになりそうだな」
鉄道は寝台タイプで、予定では五日半ほどでマゼラン山脈の近くの町につくそうだ。
「でも俺にはマゼラン山脈までは案内できるけれど、そこから先――、マーブルという魔女の居場所はわからないが……」
「居場所なら、おおよその検討はついていますけど、……魔女は気まぐれなので、この時期にそこにいるかどうかは行ってみないとわからないですよ」
オリオンは肩を落とした。
そう――
前世で『グラストーナの雪』をプレイしていたオリオンは、ゲームがはじまる二年後に魔女マーブルが住んでいる場所しかわからない。それがマゼラン山脈の麓の森だ。だから、現在魔女がそこに住んでいるとは限らないのである。
しかし、本来、二年後のはずであったシリルとカーネリアの婚約騒動。それが今起こっていて、そして本来は二年後に使われるはずだった惚れ薬をカーネリアが持っていたことを考えると、マーブルがいる可能性は高いのではないかと踏んでいる。
(でもあの魔女、ゲームじゃキーラを嫌って、いろいろ無理難題を吹っかけてきたからなぁ。会えたとしても素直に解毒薬をくれるかどうか……)
しかしソフィアをこのままにはしておけない。
まさかカーネリアがシリルではなくソフィアに惚れ薬を盛るなど考えもしなかった。
(ソフィアが転生者だからなのか、それともランドールと結婚したからか……、本来のゲームのストーリーと変わってきてるのかしらね。それがいいのか悪いのかはわかんないけど)
クイーン・アミリアーナ号で命を狙われたことと言い、本来の悪役令嬢ソフィアには降りかからなかった破滅エンドが発生しはじめている――というのは、いささか考えすぎかもしれないが、ソフィアのことを消し去りたいほど疎ましく思っている人物がいるのは確かだ。そしてそれは――
(キーラ、なのかしらね)
これではまるで、ヒロインと悪役令嬢が入れ替わったみたいだと、オリオンは小さく嘆息した。
王都アザルースから馬車でおよそ十時間。
マゼラン山脈の近くの町イオネスを終着駅とする鉄道の駅のある町ラファエロに到着した。
鉄道は、ラファエロからイオネスを結ぶが、途中、三駅ほどを経由する。
ランドールたちはラファエロで一泊して、次の日の昼前に汽車に乗り込んだ。
シリルが事前に話を通していたようで、用意されていたのは一等客室だった。もちろん汽車の中なので、一等客室とは言っても狭い。しかし内層は豪華で、床にはふかふかの絨毯が敷かれ、壁にも断熱の役割をする分厚い布が張られていた。ベッドも、横幅は狭いが、縦に長く、背の高い男性が足を延ばしても充分な余裕があるほどである。
シリルはその一等客室を、オリオンとヨハネスの分も合わせて四部屋も用意してくれた。ソフィアのことで負い目があるとはいえ、なかなかの待遇である。
どうしても路面がガタガタするので、前世の新幹線ほど乗り心地はよくないが、オリオンはふかふかの座席にも内層にも充分満足した。なにより汽車に一等客室専用のサービススタッフがいて、食事はもとより、お茶やお菓子も用意してくれえるのである。
(これが旅行だったら最高なのにねー)
目的が目的なだけに浮かれてはいられないが、ソフィアがいたらさぞかし喜んだだろうと思うと切なくなるものがある。
アリーナが雇った画家のラッカも、ここにいたらさぞかしいい絵が描けると喜んだのではなかろうか。
画家のラッカは、ソフィアが海に落ちた騒動の時に、一足先にグラストーナへ帰国させたのである。ソフィアの生死すらわからなかったあの時に絵どころではなかったからだ。
しばらく嵐で船が出なかったために、カサルスの町で足止めは食っただろうが、今頃はグラストーナに帰っている頃だろう。おそらくアリーナにもソフィアの件は伝わったはずだから心配してるはずだ。
(まったく、次から次へといろいろ巻き込まれてくれるわよ)
オリオンは汽車のサービススタッフが用意した紅茶を飲みながら窓の外を見やる。
石炭を燃料にしていて、前世の技術を知っているオリオンには遅いくらいのスピードだが、流れていくのどかな景色を見るのは悪くない。オリオンはランドールやシリルたちに比べると冷静でいたつもりだったが、やはりどこかでこの状況に焦っていたのだろう。景色を眺めていると、ようやく深く呼吸ができるような気がしてくる。
オリオンは紅茶を飲み干すと、誰も見ていないのをいいことに、座席にごろりと寝転がった。
「マーブル、いるかなー?」
どうかマゼラン山脈の麓にマーブルが暮らしていますようにと祈りながら、オリオンは夕食までの間、ひと眠りすることにした。




