悪役令嬢の苦悩 3
「いくらなんでも無理があるわよ! 記憶喪失って、わたしが海に落ちたのは数日前よ? まだ一週間も経ってないのよ! 記憶喪失になってシリルと出会って恋仲になってダルターノと再会って、どれだけこの数日のうちに詰め込む気よ!」
「仕方がないだろう! これしかお前の夫をだます方法がないんだ!」
「だからって……」
確かに、手段を練っている暇もない中、ごまかす方法と言えばこれくらいしかないかもしれない。
(でも、ただでさえしがない演劇部員には演じるのがしんどいシナリオだったのに、さらに記憶喪失とか! わたしの演技力は限界よ!)
相手はランドールである。少しでも怪しまれたらすぐに気づかれる。それなのにシリルは「とにかく何も知らないふりをしていればいい」などと言ってくれるから、首を絞めてやりたくなった。
「とにかくダルターノとも話をすり合わせるぞ。呼んでおいたからそのうち来るはずだ」
「ちょ、ちょっと待ってよ! 記憶喪失のふりをしたところで、わたしが王女だってばれたら、カーネリア王女との婚約はどうするのよ!」
「そんなもの、俺はお前はダルターノの妹で恋人だと言い張るに決まってるだろう」
「はあ?」
「だから、お前は『知らない』ふりをしろと言ったんだ。お前の記憶は俺と出会ってからしかない。つまり、俺はお前が恋人だと言い張る。これで乗り切る」
「……それ、自信ある?」
「ない。だがやるしかないだろう。俺はカーネリアだけはお断りだ!」
ソフィアは頭を抱えた。
つまり、ソフィアは――
一、シリルと出会う前の記憶がない
二、シリルのことが好き
三、ランドールのことは当然知らない
というややこしい「ソフィア」を演じなくてはいけないわけだ。演じる期限はカーネリアがあきらめて帰るまでである。
(借りは三倍にして返せって言われたけど、これ、三倍より多いんじゃないの?)
後には引けないからやるしかない。しかし、ソフィアには一つ懸念点があった。
オペラ俳優マッキールの時とダルターノの時では、ダルターノは雰囲気を変えているから、知った人間が見ない限り、彼が同一人物であるとは気がつかないかもしれない。
だが、ソフィアが気がついたのである。間違いなく――、オリオンは気がつく。
ダルターノと海に落ちたソフィアが、記憶を失ってダルターノの妹として現れたら、聡いオリオンのことだ、怪しむに決まっていた。
(胃が痛いよー!)
いっそのことシリルがあきらめてカーネリアと婚約してくれさえすれば、こんな面倒ごとには巻き込まれないのにと思ったソフィアだったが、それは口が裂けても言えなかった。
ランドールたちが到着する予定の朝、ソフィアは避難場所にカーネリアの部屋を選んだ。
疲れるので、カーネリアと一緒にいるのは嫌だったが、ランドールたちと遭遇するのは極力避ける必要がある、なぜならソフィアの演技力に限界をきたすからだ。ランドールたちが城に滞在する以上、ソフィアがここにいるとばれるのは時間の問題だが、悪あがきでもしないよりはましである。
本当は心配していると思われるオリオンやイゾルテに無事を伝えたかったが、ソフィアの感情でこの計画をだめにしてしまっては、シリルにどれだけ恨まれるかわからない。
(カーネリア、早くあきらめて帰ってくれないかなぁ)
カーネリアさえあきらめてくれればすべてが丸くおさまるというのに、この王女様がしぶといのはゲームで嫌というほど知っていた。
「お庭に行きましょう、マルゲリータちゃん! わたくし、薔薇が見たいわ」
「えっ」
庭なんかに下りたら、ランドールに見つかる確率が上がってしまう。せっかく我慢してカーネリアに捕まることを選択したのに、庭に下りたら無意味である、骨折り損だ。絶対嫌だ。
ソフィアは指を組んでおねだりポーズをした。
「お姉様、ま、マルゲリータは、もっとここで、お姉様とお茶を飲んでおしゃべりがしたいです」
「まあああ、マルゲリータちゃん! なんてかわいらしいのっ」
「ぐえっ」
カーネリアに力いっぱい抱きしめられて、ソフィアは危うくつぶされそうになった。
カーネリアの腕の中で必死にもがいていると、遠くからこちらを見ている侍女サーラの視線をぶつかる。サーラはひどく同情的な表情をして、目じりににじんだ涙をハンカチでぬぐっていた。大方「おかわいそうに」と思っているに違いない。
(かわいそうだと思うんならちょっとは助けるとかしなさいよね!)
カーネリアは、ソフィアをぎゅうぎゅう抱きしめて、すりすりと頬ずりをすると、彼女の手を引いて立ち上がった。
「大丈夫よ、マルゲリータちゃん! お茶を飲みながらお喋りならお庭でもできますわ!」
(しまったああああ! もっと部屋の中でしかできないことを言えばよかった!)
しかし後悔してももう遅い。
ソフィアは鼻歌交じりのカーネリアにずるずる引きずられるようにして庭に連行されてしまったのだった。