悪役令嬢の苦悩 2
愛すべきマルゲリータ人形が人間になったと喜んでいるカーネリアは、ごっこ遊びに夢中である。
ソフィアに「お姉様」と呼ばせて歓声をあげて喜ぶカーネリアから逃げてきたソフィアは、部屋に入って腹の底から安堵の息を吐き出した。
うっかり廊下を一人で歩くものなら、どこから嗅ぎつけてくるのか、目をランランと輝かせたカーネリアによって拉致られて部屋に連れ込まれ、延々とカーネリアの「楽しい妹とのお茶会」に付き合わされる。
勝負と言った割には勝負よりもおままごとに忙しいカーネリアなのだ。彼女の侍女のサーラは、申し訳なさそうな視線をこちらに向けてくるものの、助けるつもりはないらしい。
ソフィアはこの二日ですっかり、カーネリアの気配を敏感に感じ取れるというと釘を身につけた。彼女から逃げるには、事前に察知して逃亡するよりほかはないのである。
午前中は彼女の餌食にされたが、午後はどうにか逃げおおせることに成功したソフィアが、ぐったりとソファに横になったとき、部屋の扉が慌ただしく開いてシリルが飛び込んできた。
仮にも女性の部屋にノックもなしに入るとは不躾な――、とソフィアは少しむっとしたが、彼の表情を見たら文句も引っ込んだ。
「お前っ、グラストーナの王女だったのか!?」
シリルは驚愕にひきつった声で、扉を閉めるなりそう叫んだ。
ソフィアは何をいまさら――と言いかけて、そう言えば、シリルもダルターノもソフィアがグラストーナの第二王女ソフィア・グラストーナ=ヴォルティオであると伝えていなかったと思い出した。
オペラ俳優マッキールだったダルターノには、ソフィアはただ新婚旅行であるとしか伝えていない。
(うっかりしてたわ)
ソフィア自身、あまり自分で自分のことを「王女」だと思っておらず――、自覚に欠けるために対して気にしてはいなかったが、シリルのこの様子だと何かまずいことになったのかもしれない。案の定――
「今朝、父上のところに伝令が来て、クイーン・アミリアーナ号からグラストーナの第二王女ソフィアが海に落ちて行方不明と報告が上がった! どう考えてもお前のことだろう!」
ソフィアはたらりと冷や汗をかいた。
(うわ、わたしってバカ! そうよね、他国の王女が行方不明になったら王様に報告行くよね? ぜんっぜん考えてなかった……)
ソフィアはさっさとこの面倒ごとを片付けて、ランドールたちと合流することしか考えていなかった。普通に考えれば、王女が海に落ちたとあれば大騒ぎになっていてもおかしくない。これはまずい。
「も、もしかしなくても、わたしがダルターノの妹じゃなくて、グラストーナの王女だって、ばれた……?」
シリルは額を押さえて息を吐き出した。
「幸い、ソフィア王女の顔はあまり知られていないから、俺とダルターノ以外ではまだ気づいているものはいない」
「そうなの、よかった……」
「それがよくない」
「え?」
ソフィアはソファから起き上がった。
シリルが腕を組んで、じっとりとソフィアを睨みつける。
「お前の夫――、ヴォルティオ公爵と言ったか? そいつがこの城へ向かっている」
「なんで!?」
「当たり前だ! 王女が行方不明なんだぞ、我が国としても外交トラブルは最小限に抑えたい。当然、父上なら王女の夫である公爵を国に招く。うちとしても、王女捜索に最大限の努力をしたという姿は見せておきたいからな!」
「そ、そういうもの……?」
「お前、仮にも王女だろう。少しはわかれ」
そんなことを言われても、ソフィアは王女歴が浅いのである。しかも王族とはなんであるかという学習はまったくしていない。
(……わたしのこういうところが、ランドールを怒らせるのかしらねー?)
今まで能天気に「破滅エンド回避!」「ランドールとラブラブ夫婦!」しか考えてこなかったが、これは「グラストーナの王女」がなんであるかについてももっと考えなければいけないかもしれない。いつまでも転生前の乙女ゲーム大好きな高校生ノリのままではいられない。反省だ。
グラストーナに帰ったら、もっと王女らしくなろう。ヴォルティオ公爵夫人としても、ランドールが恥をかかないようにがんばろう。ソフィアはひそかに決意をしたが、今はのんびり未来の話を考えている暇はない。
「ランドールがここに来たら、わたしに気づく、わよね?」
「なに当然なことを訊いているんだ。探している妻が目の前にいて気がつかない夫がいるというのならば見てみたいところだ」
「そうよねー」
さすがに、ソフィアのことを毛嫌いしているランドールでも、わずか数日の間に顔を忘れるようなことはないだろう。会えば一発でばれる。そしておそらく――
(おーこーらーれーるぅー!)
ソフィアは青くなった。
海に落ちたはずのソフィアが、こんなところでシリルの恋人のふりをしてカーネリアと姉妹ごっこをしているとばれて見ろ。特大の雷が落ちる。間違いない。想像だけで震えそうだ。お決まりの「ヴォルティオ公爵家に泥を塗るな!」というランドールの怒鳴り声が聞こえてくるようである。
「どうしよう、シリル! 怒られるっ」
「怒られるだけなら甘んじて受けろ! こっちはカーネリアとの婚約だ! これからの人生死ぬまで地獄だぞ!」
「あ、案外楽しいかもよ? 退屈しなくて……」
「もしそれを本気で言っているのであれば女だろうと容赦なくその首を締め上げるぞ」
「ひい!」
すっかり据わってしまったシリルの目を見て、ソフィアは慌ててソファの背もたれの後ろに隠れた。
シリルはソフィアが背もたれ側に回ったソファに腰を下ろすと、背後を振り返る。
「このままではまずいのはお前にもわかるな?」
「はい……」
ソフィアがグラストーナの王女だとばれるのは非常にまずい。ランドールに叱責されるという恐怖を抜きにしてもである。ソフィアがグラストーナの王女だとわかれば、必然的にダルターノの妹であるのが嘘だとばれる。芋づる式にシリルがカーネリア王女との婚約を回避するために芝居を打ったことがばれて――、すべてが水の泡どころか、下手をすれば責任問題などに発展しかねない。まずすぎる。
「仕方がない。強硬手段だ」
しばらく二人そろって唸っていたが、突然シリルが顔を上げた。
強硬手段? 嫌な響きだ。絶対ろくでもないことに決まっている。
シリルはにやりと笑うと、ソフィアに指を突きつけてこう言った。
「いいか、お前は俺と出会ったときから『記憶喪失』だった。これでいけ!」
予感的中。
もともとお粗末な脚本だったお芝居が、もっとめちゃくちゃになった瞬間だった。




