悪役令嬢、王子の偽の恋人になる 1
カーネリア・サラドーラは鏡の前で髪をとかしながら、憂鬱なため息を吐いた。
鏡に映るカーネリアは、亜麻色の髪に青い瞳をしたなかなかの美人である。たれ目がちな目元は十八という年齢よりも大人びて見えるような艶があり。ふっくらとした唇は薔薇の花びらのようにみずみずしい。
「せっかくわたくしが来たというのに、シリル様はどこへ行ってしまわれたの?」
婚約の話になかなか頷いてくれないシリルに業を煮やして、カーネリアは自ら彼の口から「是」をもぎ取るために、遠路はるばるヴェルフントまでやって来たというのに、カーネリアがいざ城についてみると、肝心のシリルがどこにもいないのである。
「陛下に言っても、この件はシリル様に一存しているとしか言わないし……、いったいシリル様はわたくしの何が気にらないのかしら? ねえ、サーラ、どう思う?」
カーネリアは、彼女のために紅茶を入れている侍女のサーラを振り返った。
長年カーネリアに仕えてくれているサーラは、紅茶をいれる手を止めて、彼女が一番欲しい答えをくれる。
「カーネリア様が気に入らないなんて、そんなはずございませんわ。カーネリア様は美しく完璧な王女殿下でいらっしゃいますもの」
カーネリアは機嫌をよくすると、そうよねと大きく頷いた。
「わたくしほど完璧な王女はいないわ。聡明で、気品があって、なによりサラドーラで一番美しいんですもの」
「まことにその通りでございます、カーネリア様」
「ありがとう、サーラ。わたくし、自信がでてきたわ。わたくしは完璧で美しい王女なのですもの、シリル様もきっといいお返事を下さるわ。そしてわたくしとシリル様は、世界一美しい美男美女夫婦として世界に名をとどろかせるのよ!」
「素晴らしいですわ、カーネリア様!」
侍女の合いの手を受けて調子づいたカーネリアは、立ち上がって「おほほほほほ」と高笑いである。
外で見張り番をしていた衛兵は、何やら騒がしくなった室内に、「またか」とそっとため息をついたのだった。
シリルはぞっと悪寒を覚えて、思わず背後を振り返った。
馬車の中である。
振り返ったところで、見えるには布の張られた馬車の壁だけで、何かがあるわけでもない。
「どうかしたのか?」
ダルターノが怪訝そうに訊ねると、シリルは「いや……」と首を横に振った。気のせいだろう。カーネリアの声が聞こえたような気がするなど、気のせいに決まっている。
ソフィアたちは今、ヴェルフント国の王都アザルースに向かって馬車で移動中だった。
リバデルの町から王都までは馬車で二日程度かかる。移動しながら、ソフィアはシリルから今回の計画について聞かされている最中だ。
(本当に、カーネリアだったなんてね……)
ソフィアはこっそり嘆息する。
できることなら関わりたくないところだが、ソフィアに逃げる手立てはないし、なによりシリルは馬車に乗り込んですぐに自分がヴェルフントの第一王子だと明かしてしまった。シリルが王子だと知っているソフィアを、彼が計画を遂行する前に手放すはずがないのである。
「いいか、カーネリアは頭のネジが数本飛んでいるとしか思えないような、厄介な女なんだ」
(うんそうよねー、知ってるー)
ゲームの中で出てくるカーネリアも、いろいろぶっ飛んだキャラだった。悪い人ではないのだが、かかわると面倒というか、とにかく、あまりお近づきにはなりたくないタイプである。
カーネリアはとにかく美しいものが大好きで、自分が国で一番美しいと思っている言わばナルシストタイプ。シリルと結婚したいのも、彼が麗しい完璧な王子様――カーネリアは猫をかぶっているシリルしか知らない――であるからである。完璧なカーネリアは完璧なシリル王子――と結婚して「完璧な夫婦」になりたいらしい。まったくぶっ飛んだ思考回路だ。
「あいつを黙らせるには、とにかく完璧な恋人同士を演じなくてはならない。あれで正真正銘の馬鹿なら騙しやすいが、馬鹿だが聡いという迷惑な女だ」
「……完璧な恋人同士?」
「そうだ。お前が俺のことを知っているのはもちろんのこと、出会いや初デートの場所など、どこでどんなことをしたのかという細かな情報まですり合わせておく必要がある」
なるほど。要は偽の恋人情報を入念に練り上げる必要があるということだろう。ちなみに、シリルの情報については問題ない。誕生日や好きな食べ物ももちろん知っている。ゲーマーなめんな。
「まず俺のことはシリルと呼び捨てにしろ。敬語も禁止。できるだけ親密そうに接するんだ。わかったか?」
「わかりました」
「………」
「わ、わかったわ、シリル」
シリルは「それでいい」と満足そうにうなずいた。
「それから、お前についてだが――、まさか人妻だと言えるはずもない。お前はダルターノの妹ということにするから覚えろ。ダルターノは――」
「俺は今は亡きフェルドラード国の公爵だ。お前はその妹。ソフィア・フェルドラード・マッキールということにする。年は十六。生き別れていた妹がシリルが恋仲になっていて、俺とはつい最近再開したという設定だ。こうしておけば、あとあとお前が旦那のところに帰ることになっても『似ていたからてっきり妹だと思った』とか言ってしらを通せるだろ。シリルとは別れたことにすればいい」
ソフィアは驚いた。
ダルターノは確かに、滅亡したフェルドラード国の王族で、フェルドラード国が存続していたら公爵の地位であるが、ゲーム『グラストーナの雪』の中でも、ダルターノルートの終盤までそのことは秘密にされていた。それをこんなにも簡単にしゃべっていいものなのだろうか。
「つーことだから、俺に対しても敬語を使うな。そしてお兄様と呼べ」
「お、お兄様……?」
「そうそう、それでいい」
ソフィアは頭が痛くなってきた。
この二人は真面目に言っているのだろうが、どうしてだろう、「ふざけてるの?」と訊きたくなってくる。
(こんないい加減な計画で本当にうまくいくのかしら……?)
ゲームの中でだって、カーネリアはなかなか引き下がらない。それどころか、ありとあらゆる手段でシリルとヒロインであるキーラとの仲を引き裂こうとしてくるのである。
願わくば、この世界のカーネリアが、ゲームの世界よりも「まとも」であることであるが、シリルの話を聞く限り、その願いはおそらく絶望的。
ソフィアは厄介なことに巻き込まれてしまった自分の不運を呪いつつ、何のトラブルもなく今回のことが終わりますようにと祈らずにはいられなかった。




