悪役令嬢、悪だくみに加担する? 2
ソフィアが目を覚ましたとき、そこは知らない部屋の中だった。
背中に触れる感触で、自分がベッドの上にいるのはわかったけれど、板を張っただけの天井には見覚えがない。起き上がろうとしたソフィアだったが、体が鉛のように重たく感じて失敗した。
「起きたか?」
近くで声が聞こえて首を巡らせると、そこにはダルターノの姿があった。
ダルターノは立ち上がり、ソフィアのそばまで歩いてくると、彼女の頬に手を当てた。
「熱は上がっていないな。宿まで運んだはいいが呼んでも起きないからさすがに心配したぞ。水は飲めそうか?」
ソフィアが頷くと、ダルターノが水差しからコップに水を移して渡してくれる。
ダルターノに背中を支えられながら上体を起こしたソフィアは、コップの水をゆっくりと飲み干して、大きく息を吐きだした。よほど喉が渇いていたらしく、飲んだ水が体にいきわたるのがわかる気がする。
ダルターノがコップにお代わりを注いでくれて、二杯目も飲み干したソフィアは、狭い部屋の中を見渡した。低い天井に、ベッドと小さなテーブルしかない狭い室内。窓の外からは、人の声が聞こえてくる。ダルターノは宿と言っていたが、彼が目的としていたリバデルの町だろうか。
「ここで落ち合う約束をしているんだが、あいつはいろいろ忙しくてな。少し遅れているようだ。気分はどうだ?」
「大丈夫です」
体はものすごく重たいが、休んでいたからか、気分は悪くない。ただ、頭のてっぺんから足のつま先まで、全身がべたべたして、ざらざらもして、気持ち悪い。海水につかったあと海岸で目を覚ますまで横になっていたから当然と言えば当然だが、できれば早く水を浴びて着替えたい。だが、もちろん着替えなんて持っていないから、どうしたものか。
ダルターノを見ると、全身さっぱりとしていた。服も違う。彼は先に湯を使って着替えたのだろうか。羨ましい。
ソフィアがじっと見つめていると、ダルターノは首をひねった。
「なんだ、飯か?」
違う。
お腹は確かにすいているが、何より着替えたいのである。しかしソフィアは無一文。着替えを要求するのは図々しいだろうか。いやだがしかし、これは当然の欲求といえる。ダルターノだって、ぐちゃぐちゃどろどろの女を連れ歩きたくはないだろう。
ソフィアは意を決して、湯を使って着替えることを求めようと口を開きかけて、突然バタンと開いた扉を前にそのまま硬直した。
「悪いな、遅くなった」
ちっとも悪いと思っていなさそうな口調言って笑った、肩よりも長い銀色の髪の男――
(うそ、でしょ……)
ソフィアは目を大きく見開く。
シリル・ヴェルフント――『グラストーナの雪』の攻略対象者の一人で、ヴェルフント国の第一王子が、そこにいた。
(ちょっと待って。どうしてダルターノとシリルにつながりが? ダルターノが義賊になるのはまだ先のはずだし、海賊と王子が知り合いって……)
突然現れた三人目の攻略対象者に、ソフィアは軽く混乱していた。
ダルターノは海賊。シリルは第一王子。義賊でないダルターノは、本来、王族であるシリルに追われる立場のはず。それがどうして、目の前で仲良さそうに談笑しているのだろうか。
けれども、ダルターノの正体も、シリルの正体も、ソフィアが知っていると知られると非常にまずい。だがしかし、いったいどういう反応を返せばいいのだろう。茫然としていると、シリルが紫色の瞳をこちらへ向けて、首をひねった。
「おい。まさかとは思うが、頼んだ女はこれか?」
これ、とはご挨拶である。
ソフィアはむっとしたが、シリルはじろじろとソフィアの全身を眺めたあとで、大きく息を吐きだした。
「なんだこの全身ぐちゃぐちゃなパッとしない女は。いくら何でもこれはないだろう。もっとましなのはいなかったのか」
ゲームをやりこんでいるソフィアはわかっていたことではあるが――、相変わらず、口の悪い王子だ。見た目はどこからどう見ても麗しい王子様中の王子様なのに、口を開けばこれである。もちろん彼は相手によってころっと態度を変える――猫をかぶるので、対外的には完璧な王子様であることは間違いない。が――、目の前にいるソフィアが、彼が王子だと知っているはずはないと思っているからか、最初から素を出してきた。性格が少々ねじ曲がっている彼は、腕を組んで、不躾にソフィアを眺めまわしてくれる。
「俺は誰もが黙る美人を用意しろと言ったはずだが」
「今はこんなだけど、ソフィア嬢は美人だぞ」
(今はこんなって、それって褒めてるのか貶してるのかわかんないわよ……)
ソフィアは反論する気も起きなくなって、がっくりと肩を落とした。確かに、今のソフィアは全身ぐちゃぐちゃのどろどろだ。「こんなの」と言いたくなる気持ちもわからなくもない。
(この様子じゃ、ダルターノが言っていた三倍にして返してほしい借りって、シリルが絡んでるのよね……)
嫌な予感的中。ソフィアにいったい何をさせたいのかはわからないが、これはちょっと厄介だ。なぜならシリルは攻略対象者で、ソフィアは悪役令嬢。どういうわけか、ダルターノはソフィアに批判的ではないが、ランドールの例がある。ランドールは本来ヒロインであるキーラに激甘で、ソフィアに対しては正反対に激辛。シリルもそうでないとは言い切れない。ここにはキーラはいないが、警戒するに越したことはないのである。
ソフィアはごくんと唾を飲みこんで、恐る恐る訊ねた。
「あの……、それで、わたしにいったい何をさせたいのでしょうか?」
シリルよりはまだましなような気がしてダルターノに訊ねたのだが、答えたのはシリルだった。
「お前が使えるかどうかはわからんがな。お前は俺の恋人のふりをしてもらう」
「はい?」
シリルは息を吐きだした。
「詳しくはまだ言えないが、俺は今、とある女と婚約させられそうになっているんだ。それをぶち壊したい」
ソフィアはゆるゆると目を見開いた。
まさか――
(これって、もしかしなくても――、シリルルート!?)