悪役令嬢、悪だくみに加担する? 1
ソフィアが海に落ちた翌日、クイーン・アミリアーナ号はカサルス港に到着した。
あのあと、船長たちにソフィアがセドリックによって海に落とされたこと、彼女のあとを追ってオペラ俳優マッキールが海に飛び込んだことを伝えたが、夜の海に捜索隊を出すのは無理があると言われた。
カサルス港についたあと、ヴェルフントの軍に連絡して捜索隊を出すと言われ、実際に港に着いてすぐにヴェルフントの軍が動いてくれたが――、一夜明けた現在、ソフィアの生存は絶望的であると思われた。
ヴェルフントの軍とのやり取りのあと、ランドールはカサルス港の宿に戻ったが、もう動くこともできなかった。頭の中が真っ白だ。何をしていいのかがわからない。
ソファに座ったまま額を押さえて俯いたランドールに変わって、カイルが何か指示を出している声が聞こえる。
イゾルテの泣き声と、カイルとヨハネスが話し合う声。すべてが遠い。
どうしてこうなったのだろう。どうしてソフィアは海に落とされた。セドリックはソフィアに何の恨みがあったと言うのだ。
わからない。何もかもわからないし――、考えたくもない。
脳が動かないのに、手足が震える。周りの声より、自分の心臓の音の頬が大きい。
あの暗い海の中で、ソフィアは――
「あんたいったい、何してんのよッ!」
考えることを放棄したランドールは、パァン! という大きな音と、突然頬に感じた強い痛みに顔をあげた。
見上げると、目を真っ赤に腫らしたオリオンがランドールを睨みつけていた。
「ソフィアが海に落ちたって言うのに、そんなとこに座り込んで、何してんのよ! 嘆く暇があったらソフィアを探しに行きなさいよ! ふざけてんじゃないわよ! あんたソフィアの夫でしょう! それとも何? ソフィアがいなくなって嬉しい? いつもソフィアのことを邪険にしていたもんね? 嬉しいの? このままソフィアに消えてほしい? だからそこでソフィアの死が確認できるまでじっと―――」
「オリオン!」
ランドールにつかみかかろうとしたオリオンを、カイルが慌てたように羽交い絞めにした。
「落ち着け。頼むから。だれも、ランドールも、ソフィアがいなくなって喜んだりしていない。どうしたらいいのかわからないんだ。俺も含めて。とにかく、ヴェルフントの軍からの連絡があるのを待つしかない。俺たちが海に行ったところで、いったいどこでソフィアが落ちて、どこを彷徨っているのかも、何一つわからないんだ。俺たちが行っても足手まといなんだよ。わかるだろ?」
「でも――」
「わかってる。ただ待っているだけなのがつらいことも、わかっている。でも、今は待つしかないんだ」
オリオンは拳を大きく振り上げて、それから力なく下に下ろした。直後、カイルにしがみついて大声をあげて泣き出したオリオンを、ランドールは茫然と見つめる。
待つしかない――
カイルの言葉は、正しい。
けれども、待つというのはこんなにもつらいことだったろうか?
カイルがオリオンを連れて別室へ向かう。イゾルテもそのあとを追って、部屋の中は、ランドールとヨハネスの二人きりになった。
ヨハネスは、冷たい水で濡らしたタオルをランドールに差し出した。
「坊ちゃん、頬を冷やしてください。赤くなっていますよ」
ヨハネスの顔色は真っ青だ。昨夜、ソフィアが海に落ちたと聞いた時から、彼は一睡もしていない。
ランドールはタオルを受け取ったが、頬には当てずにじっとそのタオルを見下ろした。タオルの隅に小さな刺繍が入っている。これは、刺繍の練習をしていたソフィアが刺したタオルだ。知っている。ランドールは公爵家にほとんどいなかったが、ソフィアが何をしているのか、知っていた。ヨハネスが――、公爵家の使用人たちがいつも楽しそうに話すから。ソフィアが来て、ヴォルティオ公爵家は明るくなった。
「大丈夫、奥様はきっと見つかりますよ」
ヨハネスが力のない声で言う。
ランドールはタオルを握りしめて、小さく「ああ……」と頷いた。
ランドールにかわって、クイーン・アミリアーナ号のサービススタッフであるセドリックの事情聴取にはカイルが立ち会うことになった。
カイルも冷静とは言い難い状況だが、ランドールよりはましだからだ。
捕えられた直後、セドリックは口を引き結んだまま何も言わなかったが、カサルス港で軍に引き渡されたのち、ソフィアがグラストーナの第二王女であるとわかると態度を変えた。セドリックはヴェルフントの国籍だから、異国の法では裁かれないと高をくくっていた節があるが、相手がグラストーナの王族であれば話は別である。死罪どころか――、一家郎党すべてに責任が負わされる可能性がある。
取り調べをしているヴェルフントの軍も、他国の姫を自国の民が殺害しようとした――、そして今まさに「殺害」が確定しつつある状況に青くなっていた。間違いなくこれは国際問題だ。
「俺は脅されてたんだ!」
セドリックは悲鳴のような声で言った。
ヴェルフントの軍の人間が「嘘をつくな!」とセドリックを押さえつけようとするのを制して、カイルは冷静さを装って静かに訊ね返した。
「脅されていたとは?」
セドリックは、カイルが話を聞いてくれると思って、まるで味方を見つけたかのようにべらべらと喋りはじめた。
曰く――
セドリックは、グラストーナのアビリア港で、出来心から小さな盗みを働いてしまったらしい。船の仲間と賭け事に興じた挙句に懐が淋しくなった彼は、身なりのよさそうな女から財布を盗み取ったそうだ。
けれどもそれがばれてあっさり捕まり、罪に問われようとした矢先に、一人の女が現れたらしい。
女はセドリックに取引を持ち掛けた。
無罪放免にしてやるかわりに、ある願いをかなえてほしいと。願いをかなえてくれたらこのまま罪をもみ消し、さらに多額の報酬を支払うと言われたそうだった。
もちろんセドリックはそれに飛びついた。罪をなかったことにされるばかりか、報酬までくれると言うのならば、引き受けないわけがない。
そして、その女の願いと言うのが――、ソフィアを亡き者にしてほしいというものだった。
「ソフィア様が王女様だったなんて知らなかったんだ! 知っていたら俺は――」
「相手が王女であろうがなかろうが、人一人の命を奪おうとした罪は重いよ」
カイルが冷ややかな声を出すと、セドリックは途端に青くなった。
カイルは静かにセドリックに近づくと、取り押さえられている彼の襟元に手を伸ばして、容赦なくそれを締め上げた。
「言え。誰に頼まれた。どんな女だ。知っていることをすべて話せ」
セドリックは、まるで氷のように冷たいカイルの濃い青い瞳を見上げて、ガタガタと震えながら口を開いた。
「金髪の――、十六、七くらいの女だった……」
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前世が懐中時計の少女と、彼女を拾った伯爵とのラブコメです。
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