悪役令嬢ともう一人の乗船客 3
「お前はまた勝手なことを……!」
ランドールにマッキールのことを告げると、彼はやっぱり不機嫌になった。
でも別にこれは「ヴォルティオ公爵家に泥を塗った」わけではないはずだ。素敵なオペラ男優と一緒にマジックショーを見るだけである。ちなみにイゾルテは鼻血を出しそうなほど興奮し――、興奮がすぎでぶっ倒れた。
せっかくだからオペラの席では、イゾルテはマッキールの近くにしてあげようと、サービススタッフのセドリックにこっそり頼んである。イゾルテはいつも優しくしてくれて、なかなかお返しができていないから、せめてこのくらいの楽しみはあってもいいはずだ。
ランドールは腹を立てたようだが、すでにソフィアが快諾した後なので、最終的にため息をついて了承した。ちょっぴりランドールに勝った気がして、ソフィアが嬉しくなったのは秘密である。
「いいじゃないか、俳優なんてそうそうお近づきになれるものでもないし」
カイルがそんなことを言って、ランドールに睨まれた。
「お前のように当たり前のような顔をしてくっついてくるヤツよりはましかもしれないな」
「そんなことを言ってもいいのか? ベッドを半分貸してやっている俺に? いいんだぞ、部屋から追い出しても」
ランドールはむっつりと黙り込んだ。
カイルはそれににやにや笑いを返したあとで、ソフィアが着ているサファイヤブルーのドレスに目を止めた。
「それにしてもソフィア、今日はまた一段ときれいだね。もちろん、いつもきれいだけど。そこの仏頂面の男は素敵な君をきちんと褒めてくれたのかな?」
ソフィアは苦笑した。ランドールがソフィアの格好を褒めるはずがない。この話題を続けるとランドールの機嫌が更に悪くなるので、ソフィアがやんわりと話題を変えようとすると、倒れていたイゾルテが復活して参戦してきた。
「いいえ! まだいただいておりません! 今日の奥様は海上の女神のごとく美しくいらっしゃいますのに。旦那様は審美眼というものをもっと養うべきでございます!」
「おやおや、それはいけないね。こんなに美しいのに。俺だったら跪いてソフィアが飽きてしまうほどに褒めてたたえるのにね」
「紳士の鏡でございます!」
「………」
ほら。ランドールの不機嫌のパロメーターがどんどん上がって行ってそろそろ振り切れそうだ。ソフィアはハラハラしたが、イゾルテはともかくカイルはランドールをからかって遊ぶ気満々である。
ソフィアが助けを求めるようにオリオンを見たら、あきれたようにこう返された。
「あんた、特殊スキル『たらし』とか持ってんじゃないでしょうね?」
ソフィアには、オリオンの言いたいことがよくわからなかった。
マジックショーはマッキールが言った通りに楽しめた。
ショーは五人のサービススタッフが順番に行っており、その中にセドリックの姿を見つけてソフィアは驚いた。
今日のセドリックは、癖のある黒髪を撫でつけて、燕尾服を着て洒落た帽子をかぶっていた。彼はソフィアと目があうと小さく微笑んでくれたので、ソフィアも小さく手を振り返して応じた。
五人の中でセドリックは最後だった。ほかのサービススタッフが水を消し去るマジックや、何もないところから鳩を取り出すマジックなど、ソフィアも前世でテレビの中で見たことのあるようなものが続いていく。マジックと言うのは異世界であっても基本似たり寄ったりなものらしい。
四人目が去って、壇上にセドリックが出てくると、彼は目の前に大きな箱を用意した。
「今からこの箱の中に入った人を瞬時に消し去って見せます。この箱の中に入っていただく方は、観客の皆様の中からお一人選ばせていただきますので、お声をかけさせていただいた方は、壇上にお願いいたしますね」
セドリックはそう言っていったん壇上から降りた。ゆっくりと視線を左右に動かしながら、観客先の間を歩き、やがてソフィアたちの座るテーブル席へやってきた。
「よろしかったら、ソフィア様。壇上へ上がっていただけますか?」
「え?」
まさか本当に自分に声がかかるとは思わず、ソフィアが驚いていると、隣からランドールが口を挟んできた。
「悪いが断る」
「………」
勝手に断らないでよ、とソフィアは少し残念に思ったが、おそらくランドールのものさしで「ヴォルティオ公爵家に泥」に該当するのだろう。がっかりしていると、同じ席のマッキールが笑って言った。
「じゃあ、僕がかわりに立候補してもいいのかな」
「それは……、マッキール様がよろしければ」
まさか俳優が壇上に上がってくれるとは思っていなかったのだろう。セドリックは驚いたように目をぱちくりさせて、マッキールが立ち上がると慌てたように彼の紹介をはじめた。
「皆さま! 箱の中に入っていただくのは、こちらのマッキール様に決まりました。昨夜のオペラを鑑賞された方も大勢いらっしゃることと存じますが、そう、ラフェルを演じられたマッキール様です。皆様、盛大な拍手をお願いいたします」
大げさに紹介されて、マッキールは苦笑しながら拍手に答えるように手をあげた。さすが俳優。注目されることには慣れている。
セドリックがマッキールと一緒に壇上へ上がると、こちらへは聞こえない小声でマッキールにいくつかの指示を出して、やがて彼が箱の中に入る。
「三つ数えたあとで、この箱にこちらの大きな剣を刺します。三本です! もしも箱の中にマッキール様が残っていたどうなるか……、おわかりですね?」
セドリックはわざと怖い声を出して観客を脅し、大きな剣を見せびらかせるようにして持って壇上の端から端を歩く。
「では、いきますよ。さん、にぃ、いーち。刺します!」
セドリックは宣言すると、一本目の剣を箱の中央に突き刺した。二本目と三本目を、一本目にクロスさせるように刺していく。
箱の中にマッキールはいないとわかっていても、ソフィアははらはらした。もしもマジックに失敗していたら、マッキールの体に三本の剣が突き刺さっていることになる。
ソフィアは無意識に拳を握りしめていたらしい。ふと暖かい何かを感じて横を見ると、ランドールがソフィアの拳の上に手を重ねていた。視線は壇上に注いだままで、ソフィアを見てはいないが、固唾を飲んでいたソフィアを気遣ってくれたのだろう。
ソフィアは嬉しくなって、顔がにやけそうになった。
壇上ではセドリックが突き刺した剣を引き抜いているところだった。三本の剣をすべて引き抜き、カラーンと床に放る。
「音からして、あの剣は本物ではないね」
隣からカイルがつぶやく声がした。横を見ると、にっこりと微笑まれる。
「剣は偽物だし、血も付着していないようだし、マッキールさんは大丈夫だと思うよ」
ソフィアはホッとした。わかっていても、やはり不安になるものだ。
セドリックは剣を引き抜いた箱の蓋をあけて見せた。中には、確かに入ったはずのマッキールの姿がなく、客席からはどよめきと拍手が巻き起こる。
ソフィアも夢中になって拍手をしたが、マッキールはいったいどこに行ってしまったのだろうかと気になった――、そのときだった。
突然、背後の扉が開いた音がして振り返ったら、マッキールが手を振りながら立っていた。
壇上の箱に入っていたマッキールがうしろの入口から登場し、客席はさらに湧いた。
マッキールが席に戻って来ると、ソフィアは興奮気味に訊いた。
「マッキールさん! いったいどうなっていたんですか?」
「そうだね。うーん……、マジックの種は、セドリックのためにも、内緒かな?」
マッキールは困ったように小さく微笑んでから、壇上でまだ声援にこたえているセドリックに視線を向けた。
どうしてだろう――
マッキールがセドリックに向けた視線は、どこか険しいような気がして、ソフィアは小さく首をひねった。