悪役令嬢ともう一人の乗船客 2
ラフェル役の彼の名前はマッキールというらしい。年は二十歳で、二年前からオペラ俳優としてヴェルフントで活躍している。俳優にはありがちだが、私生活は謎に包まれているらしい。
これらの情報は、ソフィアが部屋に戻ってきたときにイゾルテが教えてくれた。彼女もすっかりマッキールのファンになったらしく、ヴェルフント出身のサービススタッフに聞いたらしい。
「ランドールがヴェルフントでの観光を許してくれたから、もし旅行中にマッキールさんのオペラがあったら行く?」
「ぜひ!」
イゾルテが興奮したようにうなずいた。
ソフィアは用意していたメモしに「オペラ」と書きこむ。旅行の計画を立てるため、テーブルの上にはヴェルフントの地図が広げられて、ソフィアはオリオンとイゾルテの希望をメモに書き込んでいる最中だ。
ランドールとカイルは、シガレットルームにビリヤード台があるのを知ったらしく、そちらへ出かけてしまった。
「奥様。オペラをご希望でしたら、王都まで移動せねばなりません。カサルス港から王都までは馬車で一週間ほどかかりますから、少々細かく予定を決める必要がございますね」
そばで聞いていたヨハネスが穏やかな口調で言った。
なるほど、確かに移動ルートも視野に入れておかなければ、見たいところが全部回れなくなってしまうかもしれない。
旅行計画を立てたことのないソフィアは、腕を組んでうーんと唸った。最終的に調整はランドールとヨハネスがしてくれるそうだが、あれもこれも希望を言いすぎたらあきれられてしまうかもしれない。
(二週間……、長いと思ったけど意外と短いかも……)
せっかくランドールが観光に付き合ってくれる気になったのだ、せっかくだから思いっきりヴェルフントを楽しみたい。
「旅行日程を伸ばしたりとか……、できないわよね?」
ダメもとでヨハネスに聞いてみれば、彼は目じりに皺を寄せて微笑んだ。
「旦那様に聞いてみましょう。奥様のご希望ですから、私もお力添えさせていただきますよ」
(あ、たぶんこれ、強行突破するやつだ)
ソフィアはランドールがヨハネスに押し切られる様を想像して、また機嫌が悪くなるんだろうなと思ったが、これでゆったりと旅行が楽しめるとほっとする。
ソフィアはオリオンとイゾルテの希望の観光地をまとめ終えると、ヨハネスに渡して、今日の夜のマジックショーの時に着る服を選ぶことにした。
今夜のマジックショーは、観客参加型らしく、ショーをしているスタッフに呼ばれるとステージに上がることがある。それを聞いたイゾルテは張りきって、クローゼットから次々とドレスを持ってきた。
「奥様、どれにいたしましょう? ピンクはかわいいですが、ステージに上がった時に目立つのはこのサファイヤブルー……」
「イゾルテ、わたしがステージに呼ばれるとは限らないわよ?」
「いいえ奥様! マジックショーでステージに呼ばれるのは、奥様のように可憐かつお美しい女性に決まっています!」
イゾルテは鼻息荒く断言する。つくづく、イゾルテには目に特殊なフィルターがかかっているのだろうかと疑いたくなるほどに奥様びいきである。ソフィアはイゾルテの迫力に反論できず、「じゃあ、ブルーで……」と答えた。すると続いて髪型をどうするかの議論がはじまり、最後にメイク道具が広げられて、ソフィアが解放されたのは昼食の時間の直前だった。
イゾルテのおしゃれパワーにすっかり疲れ果てたソフィアは、お昼ご飯はルームサービスを頼んで、気分転換にプールサイドへ向かった。グラストーナを出航したころは肌を刺すような寒さがあったが、ヴェルフントに近づくにつれて寒さも和らいで、外に出ていてもそれほど寒さを感じなくなっていた。
プールサイドからは日差しを反射する海面を眺めていたら、ふいに隣に誰かが立って、ソフィアは顔を上げた。
「あ、マッキールさん」
「こんにちは、お嬢さん。また会いましたね」
隣に立ったのはマッキールだった。彼はまぶしいくらいの海面に目を細めた。彼は健康的な日に焼けた肌をしているからか海が似合う。
「お嬢さんは今夜のマジックショーには行かれるんですか?」
「はい。せっかくなので行く予定です」
「それはちょうどよかった。一つお願いがあるのですがね。今夜のマジックショーに、僕も行こうと思っているんですが、一人だと淋しいなと思っていたところなんです。よかったらあなたたちと同じ席で鑑賞させていただいてもよろしいでしょうか?」
「もちろんです!」
ソフィアは即答したあとでランドールの顔を思い出したが、さすがに「ダメ」とは言わないだろう。カイルも一緒に見る予定だし、一人増えたところできっと大丈夫。ランドールはいつも不機嫌だから、もしこれで仏頂面になったとしてもいつものことだ。彼の機嫌の悪くなる要因はソフィアには想像に難いことであるので、対処しようがない。
ランドールの不機嫌の原因が、ソフィアの周囲に寄ってくる男の陰であるとは露とも気がつかない彼女は、「いつも」機嫌の悪いランドールが、「今夜も」機嫌が悪くともいつものことだから別にいいだろうと思うことにした。
オリオンが聞けば腹を抱えて笑い出しそうなものだが、彼女は昼寝すると言って部屋にこもったのでここにはいない。サービススタッフが乗客の護衛を務めるロイヤルスイートに不審者なんて現れるはずがないと、オリオンは乗船直後から職務怠慢中である。ただ豪華な船旅を楽しんでいるだけだ。
「お嬢さんはほかでマジックショーをご覧になられたことは?」
「あ、ソフィアです。わたし、マジックショー、はじめてなんです。今からわくわくしていて」
前世のテレビでは手品やイリュージョニストのショーを見たことがあるが、目の前で行われるマジックショーははじめてである。どんなことをしてくれるのだろうかと楽しみなのだ。
マッキールは微笑んだ。
「今回のマジックショーは船のスタッフが行うらしいので、マジシャンたちのように大掛かりなことはしないでしょうが、練習しているところをちらりと見た感じでは、まあまあ楽しめそうでしたよ」
「練習を見られたんですか?」
「オペラの予行演習中にね。同じ部屋でしていたもので、こちらの休憩中にしているところを少し見ただけですが。たとえば――」
「あー! ネタ晴らしは駄目です!」
「ふふ、そうですか。では夜までのお楽しみですね」
マッキールは片目をつむって見せると、手すりに腕をついて、海を覗き込むようにした。
「今日は海が凪いでいていい日ですね。この様子だと明日も同じような感じかな。絶好の航海日よりですね」
今まさにその航海中である船の上で、マッキールが少し淋しそうに言ったのが気になった。マッキールはもしかして、嵐の方がわくわくするような過激なタイプなのだろうか? ソフィアとしては穏やかな船旅が楽しめるのは願ったりであるが。
マッキールはしばらく、まるで恋人を見つめるかのように焦がれた視線を海に向けて、それから「じゃあ、僕はそろそろ」とおもむろに立ち去った。
ソフィアはマッキールに手を振って、彼が見えなくなった後で海を振り駆る。
遠くで、イルカが跳ねたのが見えた。




