悪役令嬢ともう一人の乗船客 1
「そういえば、ヴェルフントでの予定って決まってるの?」
翌日、ソフィアはランドールとともにレストランで朝食をとっていた。理由は、画家のラッカがソフィアとランドールを描きたいというからである。ランドールは嫌がったが、ヨハネスに押し切られて、二人そろってレストランに追いやられた。窓際の席に向かい合って座って朝からボリュームのある朝食メニューを時間をかけて食べている。
相変わらずランドールは自ら話題を振るということを知らないので、考えたソフィアは、そういえばヴェルフント国での行動予定を聞いていなかったことを思い出した。
「特に決めていない」
「え、そうなの?」
「ああ」
ランドールが率先して旅行計画を立てるとは思っていなかったが、何も決めていないというのはさすがに想定外だった。ヴェルフントでは二週間すごすことになっているのである。せめて観光地くらいはリストアップしていてほしかった。
ランドールはハムステーキを切る手を止めた。
「どこか行きたいところがあるのか?」
「そりゃ……、せっかくだし、観光したいわ」
「どこに行きたい?」
「え? そ、そうね……、例えばユリア湖とか、バルサーノ城跡地とか? ユリア湖ってあれでしょ? 湖の底に遺跡があるのよね?」
ソフィアはヴェルフントに新婚旅行に行くと決まった時に、ランドールがどこに連れて行ってくれるのだろうと、いろいろ観光地を調べておいた。市場みたいなところはきっと連れて行ってはくれないだろうけど、遺跡などなら連れて行ってくれるはずだと、いくつか下調べをしておいたのである。まさかランドールが何も考えていないとは思わなかった。
「そうか、わかった」
「え? 連れて行ってくれるの?」
「行きたいんじゃないのか?」
「もちろん行きたいけど……」
まさかこんなにも簡単に許可が下りるとは思わなかった。何も決めていないというから、観光する気はさらさらないのかと心配になったが、どうやら多少は付き合ってくれるつもりがあるらしい。
幸先が不安だらけだったソフィアだったが、ランドールが観光に付き合ってくれると言うのでちょっと嬉しくなった。これはもしかして、あまり期待していなかった「ラブラブ」度アップも期待できるのだろうか? ちなみに乙女ゲームをやりこんできたソフィアの感覚から言えば、ラブラブ度は今はゼロどころかマイナスだ。せめてゼロまでは持っていきたい。スタート地点くらいには立たせてほしい。
「あ、あとね! カサルス港は魚とトマトの料理がとてもおいしいんですって!」
クイーン・アミリアーナ号の停泊するヴェルフントのカサルス港は港町だけあって新鮮な魚料理が有名なのだ。それからトマトが特産で、ソフィアの情報では前世のイタリア南部のようなおいしい料理があるはずなのである。
「カサルスの町ならちょうど一泊する予定だった。船は昼過ぎにはつくだろうから、見て回る時間はあるだろう」
「本当!?」
「特に旅行の予定は立てていないから、気に入ったのなら二、三泊してもいい」
なるほど。ノープランの旅にはそういうメリットがあるのか。
給仕が持ってきたデザートのカスタードプティングを食べながら、意外にも優しい一面を見せたランドールに、思わず顔がにやけてしまった。
それを見たランドールは何を思ったのか、自分のところにやって来たプティングをソフィアの方へ押しやった。
「プティングがそんなに気に入ったのか? 俺のもやろう」
ソフィアは違うと心の中で叫んだが、プティングがおいしいのは確かだったので、ありがたく頂戴することにした。
(うう……、食べすぎた……)
調子に乗ってランドールのプティングまで平らげたソフィアは、重たい腹に軽い後悔を覚えながら部屋に戻るために廊下を歩いていた。
ランドールは、ソフィアがヴェルフントでの観光の希望を伝えたから、日程を決めるためにサロンでヨハネスと話をしている。
ソフィアもこれから、オリオンとイゾルテに、ランドールがヴェルフントの観光を許可してくれたことを伝えに行くつもりだ。ついでに二人の希望も聞いて、できることならもっと充実した旅行にしたいと考えている。
(ふんふん、旅行、りょっこう! 楽しい旅行!)
ソフィアは鼻歌を歌いたい気分だった。スキップは腹が重たすぎて今は無理そうだ。
せっかくだから、観光地ではたくさんラッカに絵を描いてもらおう。ヨハネスではないが、素敵な絵は旅の思い出として買い取りたい。絵を買うお小遣いを頼んだら、ランドールはくれるだろうか?
ソフィアの中で旅行への期待がむくむくと膨れ上がり、廊下に敷かれている赤いふわふわした絨毯の歩く感触をまるで雲のようだと浮かれていると、前から一人の青年が歩いてくるのが見えた。褐色の肌に赤茶色の髪をした、昨日のオペラのラフェル役の男優だ。
(わ! 早速会えた……!)
ソフィアは話しかけたくてうずうずしたが、さすがに失礼かとおもって、当たりさありなく「おはようございます」とあいさつしてみた。
彼はソフィアがあいさつすると足を止めて、朝の潮風のようにさわやかな笑顔を浮かべた。
「おはようございます。レストランの帰りですか?」
「あ、はい。そうです!」
「僕もこれから向かうところなんですよ。食事はどうでした? 実はレストランに行くのは今日がはじめてでね」
「分厚いハムステーキがおいしかったです! あとデザートのプティングも舌触りが滑らかで、絶品でした」
「そう、それは楽しみだな。ところでここにいるということはロイヤルスイートに泊まっている人ですよね? ヴェルフントへは旅行で? それとも帰るのかな?」
「旅行です」
「それは、素敵な旅になるといいですね。では、僕はこの辺で」
彼がソフィアの横を通りすぎると、シトラスとミントを混ぜたような清涼感のある香りがした。思わずうっとりと振り返ると、彼のさらに奥から歩いてきたランドールの姿が見えた。ランドールはソフィアのぽやんとした顔を見るなりぐっと眉を寄せて、
「そんなところでいったい何をしているんだ」
朝食の時は少し機嫌がよさそうだったというのに、まるでそれが幻であるかのように、ものすごくイライラした様子で言った。