悪役令嬢、逃亡する 3
「なんでそんなに大きなクマを作ってるの?」
翌朝、オリオンは部屋にやってくるなり、ソフィアの顔を見て瞠目した。
ソフィアは「なんでもない」と答えて、ルームサービスで頼んだ朝食をオリオンと食べることにした。イゾルテも誘ったが遠慮されてしまった。
ちなみにランドールは、朝起きてすぐに不機嫌そうに部屋を出て行った。
(……あんなに怒んなくたっていいのに)
昨夜、押し問答の末にランドールに無理やり寝室に連行されそうになったソフィアは、バスルームに逃亡した。バスルームは内鍵がかかるのである。ランドールは扉を叩いて怒鳴ったが無視し続けていると、あきらめたのか去って行って――、ソフィアは結局、湯を抜いた猫足のバスタブの中に入り込んで一夜を明かした。おかげで首も腰も痛いし、一睡もできなかったから眠たくて仕方がない。
そのせいで、ランドールは朝に顔を合わせても「おはよう」も言ってくれなかった。
(とりあえず昨日は何とかなったけど、ずっとバスルームはさすがにちょっと……。今日からどうしよう)
船は四泊五日の旅である。夜はあと三回めぐってくる。由々しき事態だ。
使用人部屋とソファと床がだめ。カイルと一緒もダメ(当然である。さすがにソフィアも冷静になったらこれはダメだろうと理解できた)。簡易ベッドを頼むという手段もとれるが、きっとこれもランドールが反対する。ランドールの「ヴォルティオ公爵家の恥」基準はよくわからないが、たぶんこれは該当する。
「で、昨日の夜はどうだったのよ」
オリオンがにやにや笑いながら訊ねてくるから、ソフィアは寝不足なのも手伝ってむかっとした。
しかし、ソフィアに名案は浮かばない。ここはオリオンの助けを受けるべきだ。ソフィアが渋々昨夜のことを説明すると、オリオンは大爆笑をはじめた。
「まじで! あんたバスルームにこもったの? よくやるわ!」
「だって仕方ないでしょ! ベッドが一つしかないのよ?」
「一緒に寝ればいいじゃん。あの様子じゃ、ランドールが手を出してくることはなさそうだし。ゲームじゃわかんなかったけど、ありゃツンどころか超堅物鈍感男じゃないの」
「堅物はまあわかるけど、どこが鈍感なの?」
「あー、あんたも鈍感だったわ」
オリオンはけたけた笑って、ふわふわとろとろのオムレツをスプーンですくった。
ソフィアはオリオンの言いたいことがわからなかったが、「ランドールが手を出してこない」には同意した。ランドールはソフィアに興味がないどころか「監視対象」というくらいに嫌っている。よこしまな感情を抱くはずもない。
(……ちょっと悲しくなってきた)
ラブラブはいったいどこにあるのだろう。誰かゲーム機とテレビを用意してほしい。勝手にストーリーが進んでいくゲームが懐かしい。たまに出てくる選択肢だけにドキドキしていたころが懐かしい。ゲームはセーブができてよかったなぁ……。
ソフィアは現実逃避したくなってきた。
寝不足のせいで食欲もわかず、せっかくおいしそうな朝食が目の前に並んでいるのに、ほとんど食べられそうもない。
「今夜からどうすればいいと思う?」
「つってもねー。ランドールがその調子じゃ、一緒に寝るしかないじゃん。ベッド広いんだし、真ん中にクッションで堤防でも作ってみたら?」
「すぐ決壊するじゃない!」
「そりゃまあ、クッションだし」
オリオンを頼ろうとした自分が馬鹿だった。
ソフィアは肩を落として、オレンジジュースを口に入れる。ちょっと酸っぱい。
ソフィアは今夜からのことを思って、朝から憂鬱な気分になった。
結果を見れば、ソフィアの心配は昼過ぎには解決することになった。
ソフィアがバスルームで眠るという強硬手段を取ったことで、ランドールが折れたのである。ランドールはカイルに交渉して、今夜から彼の部屋で眠ってくれるらしく、ソフィア一人で寝室のベッドを使うように言われた。首と腰を痛くした甲斐もあったというものだ。
けれども、ランドールの機嫌はちっとも直らなくて、居心地の悪さを感じたソフィアはオリオンとともにサロンへ向かった。
サービススタッフのセドリックが、紅茶とケーキを用意してくれる。
「この時期だとプールに入れないから、あんまり娯楽がないわね」
「この時間、ホールで船長さんがお話ししてるらしいわよ」
「船長の話なんて聞いた楽しい?」
「どうかしら? 好きな人は好きなんじゃない?」
「わたしはパス。まあ、笑えるような面白い話をしてるなら行ってもいいけど」
オリオンが言うと、そばに控えていたセドリックがぷっと吹き出した。
「船長は冗談が苦手ですから、面白い話は聞けないかもしれませんね」
「じゃあどんな話をしてるの?」
「そうですね……、いつもだと、これまでの航海の話や、このあたりの海の話、それから昔話ですかね? 若いころに海賊に襲われたことがあるらしいですよ」
「へー、海賊!」
「最近では、ヴェルフントの義賊が海を取り締まっていますからね、おおっぴらに荒らして回るような連中はいませんが」
義賊というのは、ヴェルフントが契約している海賊たちのことだ。彼らはヴェルフントから義賊以外のほかの海賊の船を襲う許可を得ており、それによって無差別に船を襲うような海賊が数を減らしている。海賊でありながら、ヴェルフントの海軍のような立場なのである。
海賊と言えば、『グラストーナの雪』の攻略対象者の中に一人いる。義賊のダルターノのだ。もっとも、彼が義賊になったのは今から一年後のはずであるから、新婚旅行中に出会うことはないだろう。
オリオンは海賊に興味を覚えたようだが、「冗談の言えない船長」の話はやっぱり退屈だろうという結論に至って、このままサロンでごろごろすると言った。
「そういえば今夜はオペラだっけ? わたしも行こっかなー。使用人枠ってあるの?」
「どうかしら? セドリックさん、大丈夫そうですか?」
「大丈夫ですよ。侍女を伴われる方もいらっしゃいますから、事前に教えて頂ければ席をご用意いたします」
「じゃあ、オリオンとイゾルテの分をお願いします。あとヨハネスにも確認するので、最大で三つ増やしていただくかも」
「かしこまりました」
セドリックが微笑んで頷いた。
「オペラか。どんな話なのかな。途中で寝ないように、あとでお昼寝しておこっと」
ソフィアは今からうきうきして、お茶を楽しんだ後はプールサイドのデッキチェアで仮眠をとることに決めた。




