悪役令嬢、逃亡する 1
ダンスパーティーは晩餐のあと、一等客室の乗客と共用のホールで行われる。
アリーナが雇った画家のラッカが、絵を描くためにダンスパーティーに出席したいと言い出して、特別に許可を得てパーティーの邪魔にならないホールの隅に席を設けてもらった。
ソフィアは真っ赤なオフショルダーのドレスを着て、晩餐を終えたあとにランドールとともにパーティーに向かったが、どうやらランドールに踊る気はなさそうだった。
「やあソフィア、約束通り踊ってくれる?」
ソフィアたちから少し遅れてやって来たカイルは、ソフィアの手の甲に軽くキスをしながらダンスに誘ってきた。
「……ソフィア?」
ランドールがぴくりと眉を動かしてカイルを見れば、彼はにやにや笑って言った。
「ランドール、どうかしたのか?」
「――別に」
「ふふん。俺がソフィアと呼び捨てにしたことが気になるんだろう? やけるのか? ん?」
「馬鹿馬鹿しい」
「あーそうかい。ソフィア、こんな仏頂面の男は放っておいて、さ、踊りに行こう」
カイルに手を取られて、ソフィアは頷いた。ランドールは踊らないらしい。せっかく頑張ってダンスのレッスンを受けているのである。ソフィアだって踊りたい。
カイルと一緒にダンスの輪に加わり、ゆったりとしたワルツを踊る。ランドールもダンスが上手だが、カイルも負けていないくらいに上手かった。まだたどたどしさの残るソフィアをうまくリードしてくれる。
「ソフィア、あいつ絶対やいてると思うよ」
「ランドールが? ありえないわ」
「どうしてそう思うの?」
「だって、ランドールがわたしに興味を持ったことなんて、一度もないもの」
「なるほど、君はなかなか自己評価が低いみたいだ」
カイルはくすくすと笑って、ソフィアの手を引いてターンを決める。
くるりと回った時に壁際に腕を組んで立っているランドールが見えたが、眉間にしわを寄せてむっつりとした表情をしていた。
ソフィアの前でランドールンの機嫌がよかったことなんて、思い返す限りほぼないが、今日は一日この調子だ。ずっと不機嫌。どうしたのだろうか?
「あの馬鹿、早く自分の気持ちと向き合おうとしないと、あとあと後悔したって遅いんだけどね」
カイルが小さくつぶやいて、ソフィアの腰を支えて持ち上げ、くるりと回る。見ていた人たちから「わあっ」と歓声が上がって、ソフィアは何もしていないのに嬉しくなった。
ゆったりとはじまったワルツは、終盤にかけて少し早くなり、またゆっくりになって終わる。
ソフィアとカイルがランドールのそばに戻ると、じっとりとした視線を向けられた。
「ずいぶん楽しそうだったな」
「あ、うん。カイル、とてもダンスが上手なのよ。楽しかったわ」
「………」
「ぷっ」
カイルが突然吹き出して、腹を抱えて笑い出した。
ランドールが笑い続けるカイルを睨みつける。
(カイル、なんで笑ってるのかしら……?)
ソフィアは不思議に思ったが、ランドールに手を掴まれたハッとした。
「行くぞ」
「え? どこに?」
「ダンスだ」
「は?」
踊る気ないんじゃなかったの?
ソフィアは驚いている間にランドールに引きずられるようにしてダンスホールに連れていかれてしまった。
ソフィアにとって何が不幸だったかと言えば、今流れている曲が早すぎることだ。
(なんでよりにもよってこの曲の時に……!)
テンポが速いため、踊っている人も少なく、ここで失敗すれば否が応でも注目を集めてしまう。
けれどもランドールは何に怒っているのか、ソフィアの腰を掴むと、強引に踊りだす。
ソフィアは泣きそうになりながら必死になってステップを踏んだ。ランドールの巧みなリードのおかげでかろうじてついていっているが、いつ足がもつれて転ばないかと気が気ではない。
おかげでちっともダンスを楽しめず、一曲終わった時は息も絶え絶えで、へろへろになりながらホールの壁際に移動した。
(もう、なんなの?)
ランドールは相変わらず不機嫌で、カイルはにやにや笑っている。
喉が渇いたソフィアは給仕からシャンパンを受け取って、それを一気に飲み干すと、ようやく一息がつけた。
さすがにもう踊る気にはなれずに、ソフィアはカイルとお喋りを楽しみながら時間をすごして、参加客がばらばらと帰りはじめたころに部屋に戻った。
ちなみに画家のラッカはのちほど書いたラフ画をもとに、ランドールとソフィアのダンスシーンをそれは芸術的な一枚に仕上げて、ヨハネスがほくほくしながらそれを購入し、ヴォルティオ公爵家の壁を飾ることになるのだが、それはまだ先の話である。