悪役令嬢、豪華客船に乗る! 1
秋が去って、そろそろグラストーナ国の王都に初雪が降るのではないかと思われるほど大気が冷えてきたころのこと。
ソフィアとランドールが結婚して三か月がすぎようとしていた。
結婚してから城で寝泊まりを繰り返していたランドールは、先月からヴォルティオ公爵家へ帰るようになっている。
きっかけは、ヨハネスのこの言葉だった。
――カイル様は本当に奥様のことがお好きなのですね。先日は城下で流行っているというチョコレートのタルトを手土産にいらっしゃって。奥様はそれはそれは嬉しそうで……、うかうかしているとさらわれてしまうかもしれませんね。
レヴォード公爵の嫡男であるカイルは、ランドールの友人でソフィアに求婚しようとしていた男である。隙あらば奪うと宣言されたこともあり、それを聞いた瞬間ランドールは腹を立てた。
ソフィアはランドールの妻である。間男の存在を許し、あまつさえ横からかっさらわれたとあってはヴォルティオ公爵家の末代までの恥だ。ソフィアを野放しにしていてはろくなことにならない。そうだ、これは監視のためである。
ランドールは自分自身が納得するような理由を並べ立てて、「仕方なく」公爵家へ帰ることにした。
ヨハネスのにやにや笑いには腹が立ったが、妻の不貞を防ぐのは夫の務めである。何も間違ってはいない。
こうして公爵家へ帰るようになったランドールであるが、どうやらそれが国王の耳に入ったようで、ある冬の朝、出仕したばかりの彼は国王に呼び出された。
「そろそろ仕事もひと段落する頃だろう。して、どこへ行くつもりだ?」
ランドールには国王が何が言いたいのかがわからなかった。
首をひねっていると、国王はじれたように続けた。
「何をポカンとしておる。新婚旅行に決まっておるだろう!」
「は?」
「寒くなってきたからな。暖かいあたりがいいか。ヴェルフントあたりは年中暖かいからな。この時期にはうってつけだろう」
「新婚旅行……、ですか」
予想外のことに、ランドールの頭の中が真っ白になる。
すると、国王は眉を吊り上げた。
「まさかお前、行かぬつもりだったのか! 最近の若い者は結婚したら新婚旅行と称して旅行に行くのが流行っているのだぞ!」
中年のくせに、「最近の若い者」の事情をよくご存じである。
ランドールは内心で舌打ちした。舅のくせに新婚旅行を強要する気か。けれどもここで「行かない」と言えば伯父の機嫌が悪くなるのは明白だ。なぜなら国王は第二王女であるソフィアをそれはそれは溺愛しているのである。
ランドールはいかにしてこの話題から逃げようかと考えた。
「……仕事が山積みでして」
「嘘をつくな。お前が半年先の仕事まで片づけたのを知っているぞ」
くそったれ。ランドールは心の中で悪態をついた。
国王はふふんと鼻で笑って、押し黙ったランドールに向けて命じた。
「ソフィアと新婚旅行へ行ってこい。行先は船旅でヴェルフント国だ。船のチケットは手配しておいてやる」
ソフィアと結婚して何が一番厄介かといえば、この親バカな舅の存在であろうと、今更ながらにランドールは思った。
「え! ヴェルフントに新婚旅行に行くの? いいなぁ」
ランドールから新婚旅行に行くと告げられた二日後。遊びに来たアリーナ・レガートはソフィアから話を聞くとうらやましそうな顔をした。
ヴェルフントと言えば、攻略対象者であるシリル王子の国である。そして、アリーナはシリル推しだ。一緒に行きたいと言うが、さすがに伯爵令嬢である彼女が新婚旅行についてくるわけにもいかない。護衛であるオリオンや侍女のイゾルテは同行するが。
攻略対象者のシリル・ヴェルフントは、ヴェルフント国の第一王子で『グラストーナの雪』のゲームがはじまる二年後に二十二歳――つまり、今は二十歳だ。銀色の髪に紫色の瞳をした彼は、見た目は文句のつけようのない王子様然としているが、少々腹黒――というか、悪だくみが得意な王子である。ゲームの序盤でも、自分の都合でヒロインであるキーラを巻き込んで、いいように利用しようとするが、その過程でヒロインのことを好きになってしまうというオチだ。
親密度が上がるにつれて優しくなるシリル王子には、そのギャップがいいとコアなファンがついていて、アリーナも前世ではそのファンの一人だったようだ。
ソフィアもシリルのことは嫌いではなかったが――というか、攻略対象全員好きだったが――、ソフィアはなによりランドールのことが好きだったので、アリーナとは熱の入れ方が違う。
「でも、ヴェルフントに行くと言っても、旅行に行くだけで外交じゃないから、特に王族の皆さんに挨拶する予定もないわよ?」
ヴェルフントは海を挟んでグラストーナよりも南にある国だ。そして遺跡や自然など観光地もたくさんあり、旅行先としてはうってつけ。今回はあくまで新婚旅行で、外交ではないのである。もっと言えば、ソフィアは王女として城に引き取られてからも外交を行ったことはない。ソフィアの名前は国王が第二王女だと認知したことによって内外に知られているだろうが、その顔を知っているものは非常に少ない。知名度が低い王女などが行ったところで、誰も見向きもしないだろう。
「なぁんだ、残念。二十歳のシリル王子がどんな様子なのか教えてもらおうと思ったのに」
「二十歳すぎりゃ、顔なんてそんなに変わんないでしょ」
オリオンが言えば、アリーナはむきになって反論した。
「そんなことないわよ! もしかしたら髪型が違うかもしれないじゃない! 違わなくても、わたくしはあの美しい顔を拝みたい! シリルが生きて動いているさまを見たいのよー!」
「せめてカメラがあればいいのにね」
ソフィアも常々思うことである。ランドールのあの麗しいさまをファインダーに収めたい。しかし残念ながらこの世界にはカメラはないのである。
「それよ!」
アリーナはソフィアに向かって人差し指を突きつけた。
「カメラよ! カメラを作りましょう! そしてシリルの様子を遠くから盗み撮りして来てちょうだい! 名案だわ!」
「どこがよ」
「だからわたしは、ヴェルフントのお城には行かないって……」
ソフィアとオリオンがあきれ顔になるが、アリーナはすっかり盛り上がってしまった。
「そうと決まったらこうしてはいられないわ! 出立はいつ?」
「えっと、十日後よ。『クイーン・アミリアーナ号』で五日かけて船で向かうの」
クイーン・アミリアーナ号は、近年観光業に力を入れているヴェルフント国の豪華客船である。グラストーナ国の北西にあるアビリア港とヴェルフントの西のカサルス港を結ぶ外洋バレーン海の航路を、五日かけてゆっくりと航海するのである。
ランドールによると、チケットはすでにソフィアの父である国王が入手済みで、なんと船に三室しかないロイヤルスイートだそうだ。一等客室よりもさらに上の最上クラスである。
「わかったわ! 十日後ね!」
アリーナは本気でカメラを作る気でいるらしい。すたっと立ち上がると、「こうしてはいられないわ!」とあわただしく部屋を飛び出していった。
残されたソフィアとオリオンは顔を見合わせて、
「……カメラ、できると思う?」
「できないに一票」
「そうよねぇ」
ソフィアはなんとなく前世で小学校の時に作った、感熱紙を使った段ボールのカメラを思い出したが、この世界には段ボールも感熱紙もないし、しかも出立は十日後。まあ、無理だろうなと笑った。