悪役令嬢、メイドになる! 6
ソフィアが店内に戻ると、すぐにオリオンが駆け寄ってきた。
「あんたは出ない方がいい」
腕をつかまれて、カウンターの奥へ引っ張られる。
「すごい音がしたけど、何があったの?」
「なんて言ったらいいのか……、ガッスールが来て少しして、フードをかぶったやつが来たんだけど、そいつがガッスールと少し話したところでガッスールがいきなり怒り出して、テーブルの上のものをぶちまけたのよ」
カウンターの陰からそっと店内を伺うと、ガッスールがフードを着た人間につかみかかるところだった。
フードの人は逃げようとしたが、その前にガッスールに腕をつかまれて壁に押し付けられている。
華奢で身長が低いところを見ると、女性かもしれない。フードから覗く髪は赤茶色をしていた。
「てめぇ、この前の女じゃねーだろ! そいつを出せよ!」
酔っているせいか怒っているせいか――、ガッスールが赤い顔でフードの女に向かって怒鳴り散らす。
女は怯えているのか、小さく震えながら何かを返し、さらに怒ったガッスールによって襟を締め上げられた。
「オリオン、さすがにまずいわ!」
あのままだと、息が止まってしまうかもしれない。
店内にいた常連客も店主もまずいと判断したのか、ガッスールを止めに行こうとするが、怒り狂っているガッスールが怒鳴り散らして一定の距離を保ったまま近づくことができない。
アリーナとイゾルテも店の隅で茫然としている。
「仕方ないわね。ここで騒ぎを起こすと目立つんだけど……、ちょっと、そこの麺棒借りてもいいかしら?」
オリオンがテオに訊ねると、彼はぎこちなく頷いて麺棒をオリオンに手渡す。
「ちょっと短いけど、ま、大丈夫でしょ」
幼いころから武術は一通り叩き込まれているオリオンである。相手が男でも、ただ怒って暴れているだけの相手には負けはしない。
オリオンが麺棒を片手に、ガッスールに近づこうとした時だった。
女の襟を締め上げていたガッスールに、音もなく一人の男が近づいたか直後――、ガッスールは小さなうめき声をあげてその場に崩れ落ちる。
「はあ、予定が狂ったけどまあいいや。傷害罪で連れて行くよ。おっと――、君もだよ。事情聴取させてもらう」
やれやれと頭をかきながら男が言う。店の角の席で一人でお酒を飲んでいた男だ。何度かソフィアも給仕に行ったから覚えている。料理やお酒を持って行くと、にこりと微笑んでくれる愛想のいい青年だった。
(あの人、どこかで見たような気がするのよね……)
フードの女からガッスールの手が離れたことにほっとしつつ、ソフィアがカウンターの奥から出ていくと、イゾルテとアリーナが近づいてくる。
「このままここにいて騒ぎに巻き込まれるといろいろまずそうだから、今のうちに帰った方がよさそうね」
アリーナがそっと耳打ちしてきて、ソフィアも頷いた。ここへはランドールに内緒で来ている。ここにいることがばれたら大変だ。
店主は大変そうだから、テオに一言言って帰り支度をしようとしたソフィアたちだったが、店を出るより早くに思いがけない人物が店に来て、帰ることができなくなってしまった。
(ランドール……!)
喧騒に包まれている店に静かに入ってきたのは、ランドールだった。
従僕からソフィアが町娘の格好をして出かけたと聞いたランドールは、すぐさま馬車でガッスールが暮らしているというあたりに向かった。
その途中、ソフィアのあとをつけていた男と合流して話を聞くと、ソフィアはガッスールの家ではなく、『三日月亭』という飲み屋に入ったという。
酔っ払いの集まる飲み屋に若い女が四人――、ガラの悪い連中に絡まれるのは目に見えている。
「何故止めなかった!」
ランドールは思わずソフィアたちを尾行していた男に向かって怒鳴ったが、彼は肩をすくめて、ソフィアたちが飲食のためにその店に向かったのではないことを告げた。どうやら、その店で給仕をしているという。ランドールはますます驚いて、頭を抱えたくなった。
「……何を考えているんだ」
ランドールはぐったりしたが、のんびりはしていられない。給仕をしていても絡んでくる酔っ払いは多いだろう。この忙しいときに手を煩わせられることに小さな苛立ちを覚えながら、ランドールは店の扉をくぐって、目を丸くした。
店の中はただ飲んで騒いでいるのとは違う妙な喧騒に包まれていた。奥には床に伸びている一人の男とうずくまるフードを着こんだ女と思しき人間が一人。よく見ると床に伸びているのはガッスールで、そばに立っている男は――
「カイル!?」
髪の色が黒いが、あれはどう見てもカイル・レヴォードだった。
カイルはランドールの姿を見つけて驚いた顔をしたが、次の瞬間には薄く笑って、伸びているガッスールを指さした。
「ちょうどよかった。ここではいろいろまずそうだからね。運ぶの、手伝ってくれないか」
ランドールには、何が起こっているのかさっぱりわからなかった。