悪役令嬢、メイドになる! 4
カイル・レヴォードは我が目を疑った。
ソフィアに本当の父親を名乗る男が現れたという噂が流れており、それを聞いた母のローゼがひどく心を痛めており、カイル自身もソフィアの不名誉な噂に憤りを感じて、自ら調査に乗り出した矢先のことだ。
頭でっかちのランドールは、机に座っていそいそと証拠となる書類を集めているようだが、十六年以上も前のことがそう簡単にわかるはずもない。そんなくだらないことをするくらいなら、直接ガッスールの近辺を探った方が効率的に決まっていた。
もともと人を使うよりも自分の足で調べものをする方が性に合っていたし、レヴォードの家訓の一つに
「実際に自分の目で見て判断しろ」というものがあり、幼いころからそれを実践してきたカイルである。
店で浮かないように、庶民の服を着て、プラチナブロンドの髪を洗えば落ちる染料で黒く染めて、三日月亭の角の席に座って張り込みを続けていた。
そして、張り込みを続けて三日目のことだった。
今まで店主とその息子の二人で切り盛りしていた店の中に、突然、若い娘が登場したのである。
何やらふりふりした膝丈のワンピースを身に着けた彼女たちを見た瞬間、カイルはあんぐりと口をあけてしまった。
(あれは……ソフィア様じゃないか?)
ウィッグと眼鏡で変装しているが、カイルにはわかる。眼鏡の奥のエメラルドのように美しい瞳は隠せていないし、何より身から出る気品が違うのである。カイルは慌ててソフィアを捕まえようとして腰を浮かせかけ、「いや待て」と思いとどまった。
ソフィアはこのあたりで暮らしていたようだがそれは一年半以上も前のことである。この一年半の間にソフィアの雰囲気は洗練されてだいぶ変わっているはずだ。何より、カイルがここで下手に動いて悪目立ちするのはまずい。
カイルはしばらく様子を見ることにして、料理の皿をもって歩き回るソフィアを観察することにした。
(……かわいいなぁ)
注文の料理を持って行き、にこりと微笑むソフィア。かわいい。かわいすぎる。貴族の令嬢たちの多くは大抵猫をかぶっていて、裏では何を考えているのかわからない。その最たるものは、ランドールが「優しく清らかだ」というキーラであろう。ランドールは従妹のキーラを可愛がっているから目に変なフィルターがかかっているのかもしれないが、あれはとんだ女狐だ。できれば関わりたくない。
その点、ソフィアは市井で暮らしていたという過去を持つからかわからないが、驚くほど裏がない。会話の中に変な駆け引きもなく、はじめて会ったときなどはたどたどしくドレスの裾を持って挨拶をしようとするその姿に感動した。天使だ。かわいすぎる。……簡単に言えば、カイルは一目惚れだった。
けれども城に連れてこられたばかりの十四歳の少女である。七つも年上のカイルがいきなり求婚すると驚かせてしまうかもしれない。それにさすがに二十一歳の男が十四歳に求婚すればドン引きものだろう。数年は待った方がいい。カイルはそう考えて、領地で暮らしている両親に、いずれソフィアと結婚したいという旨をしたためた手紙を送った。両親は――特に母ローゼはものすごく喜び、あとはソフィアがせめて十六歳を数えるまで待って求婚しようと待っていたのに――、横からランドールにかっさらわれたのである。
あの時の悔しさと言ったらない。
ランドールにはそんなそぶりはなかった。むしろランドールはキーラを溺愛しているから、てっきりキーラを妻に迎えるのだと思っていたのに。
けれども、ソフィアがそれで幸せになれるのならばと、カイルは納得しようとしたのだ。ヴォルティオ公爵家と言えば一、二を争うほどの名門で、なおかつランドールは現王の甥。自分と結婚するよりもソフィアは幸せになれるはずだと、そう思おうとした。
それなのに、ランドールは結婚してからろくに公爵家へ帰らず城で寝泊まりして、ソフィアをないがしろにしている。それだけでも腹が立ったのに、極めつけは先月の終わりにあった王家主催のダンスパーティーである。
ランドールは皆が見ている中で、ソフィアを糾弾したのである。
理由は、ソフィアがキーラのドレスに赤ワインをかけたからというものだった。
もしもそれが本当だったとしても、あの場でソフィアを糾弾する必要がどこにあっただろうか?
それに、ソフィアがそんなことをするとは思えなかった。むしろキーラがソフィアのドレスに赤ワインをかけたと言われた方がしっくりくる。
あのときはソフィアのそばにいたアリーナ・レガート伯爵令嬢がソフィアの身の潔白を証明したが、もう少し遅ければカイルはランドールに掴みかかっていたかもしれない。
ランドールは友人だから、無理やり奪い取るような真似はしたくないが――、ランドールはソフィアの夫にふさわしくない。
もしも今回の件で、ランドールがソフィアにほかに父親を名乗る男が現れたという噂を鵜呑みにして、ソフィアを責めるようなことがあれば、どんな手段を講じてでも奪い取る気でいたが、まあ、今回の件に関して言えばランドールも不審に思っており、ソフィアを責めるつもりも離婚するつもりも無さそうであったので、よしとする。
(あー、あんなに持ったらこぼす……)
カイルははらはらしながらソフィアを目で追う。
もし、カイルがソフィアの父親を名乗る男を偽物と突き止めたのならば、彼女は自分に微笑みかけてくれるだろうか?
カイルはソフィアの笑顔を想像して、ぐっと拳を握りしめた。
(いい……!)
でもその前に。
「すみません。麦酒を一つ」
なぜか可愛らしいワンピース姿で給仕しているソフィアの笑顔をいただきたい。
カイルは小さく手をあげて、ソフィアに向かってニコリと微笑みながら注文を入れた。