悪役令嬢、メイドになる! 2
「ガッスールに城の門番として雇われていた経歴はなかったわ」
アリーナはやって来るなり言った。
「ガッスールが王都に引っ越してきたのは今からおよそ一年と三か月前。それまではレヴォード公爵領の端のあたりにある小さな町で温泉を掘る仕事をしていたみたいね。当時から不真面目で酒ばかり飲んでいたことで有名で、ガッスールを雇っていた男から首にされたあと借金をしながら生活をしていたみたい。仕事を探す目的と借金取りたちから逃げるために王都へ移り住んだようよ」
ソフィアは驚いた。
「よくそこまで調べられたのね……」
「簡単だったわ。雇用記録なんてなくても、人って意外と覚えているものだもの。念のためソフィアのお母様が侍女として働いていたころから門番をしているお年寄りがまだ城に努めていてね、ガッスールが門番をしていたことがあるかと聞いてみたら、そんな記憶はないと言っていたわ。門番はここ二十年くらいで三人しか入れ替わっていないらしくて、三人とも年を取ってやめたみたいで、ガッスールが言ったように若くして離れた人はいないみたいね。割がいいんですって、城の門番。誰もやめたがらないって言っていたわ。――でもね、ここからが少し問題」
アリーナが声を落としたから、ソフィアたちは緊張したように居住まいを正した。
ソフィアの部屋にはほかにオリオンと、この件に関して是非にとも仲間に入れてほしいというイゾルテがいる。イゾルテは侍女として大切な奥様を脅かす存在を許してはおけないのである。
「つい最近――、それこそガッスールがソフィアの前に現れるちょっと前のことよ。彼のもとに不審な人物が訪ねて来たらしいの。その人はフードつきの外套を着こんで、まるで姿を誰にも見られたくないようだったそうよ。ね? あきらかに怪しいでしょ」
「うん、怪しい」
「確かに、まだ今回の件に関係があるかどうかはわからないけど、調べてみる価値はあるわよね」
「でしょ? 二人は『三日月亭』という飲み屋で密談していたらしいわ」
「三日月亭?」
ソフィアは目を丸くした。三日月亭はテオの父親が経営している飲み屋である。テオも、ガッスールが店の常連で、そこでソフィアの話を聞いたと言っていた。
ソフィアは先日、幼馴染のテオが訪ねてきた話をアリーナにした。するとアリーナは、きらきらと顔を輝かせた。
「まあステキ! ふふ、運はこちらに味方しているわ。いい? ガッスールはたぶん、すぐにソフィアが自分のもとを訪ねてくると思っているはずよ。でもソフィアはまだ一度も彼のところに行っていない。そして、そのフードをかぶった不審者も今回の件に絡んでいるなら、そろそろ焦れてくるころだわ」
「もしかしたら――、その不審者がソフィアのことでガッスールを訪ねてくるかもしれない?」
「ご明察」
オリオンが先を引き取ると、アリーナがぱちりとウインクをする。
「三日月亭はソフィアの幼馴染のお父様が経営しているのでしょ? これを使わない手はないわ」
アリーナがまるで悪だくみをしている子供のように瞳を輝かせているので、ソフィアは何か嫌な予感を覚えて小さく息を吐きだした。
「……ソフィアが妙なことをしている?」
ランドールは軽い既視感を覚えながら、公爵家から報告に来た従僕に訊き返した。
「はあ……」
従僕は困った様子で頭髪の薄い頭をかいている。
「まさか、また水遊びをしているというんじゃないだろうな?」
過去にソフィアが噴水で水遊びをしていたことを思い出して問い返せば、従僕は首を横に振った。
「いえ、そうではなく……。なんだか、町娘のような格好をして出かけていきまして」
「は?」
「オリオンとイゾルテ、それからレガート伯爵令嬢もご一緒でしたから、もしかしたら単にお忍びで買い物にでも行かれたのかもしれないのですが……」
「そんなはずないだろう」
城下に買い物に行くのに変装していく必要はどこにもない。わざわざ町娘に変装して出かけるなど――
「それで、ソフィアたちの行き先は?」
「ええっと……、東の大通りを歩いて行ったような」
「歩いて行った? 馬車ではなくて?」
「はあ……」
これはいよいよおかしい。
「それで、ソフィアたちのあとは、当然誰かに尾行させているんだろうな?」
「ええ、それはもちろん。万が一を考えて腕の立つものを一人」
ランドールは少し考えて立ち上がった。ソフィアのあとを尾行しているものがいるとしても、その男が報告に来るのはすべてが終わったあとだろう。従僕が言うには腕が立つ男であるそうだし、護衛のオリオンも一緒だから、ランドールはソフィアたちが戻って来るのを待って問い詰めればいい――のだが。
(……気になるな)
ソフィアとオリオンだけならまだしも、レガート伯爵令嬢が一緒というのが引っかかる。アリーナ・レガートはどうやら以前の城のダンスパーティーでソフィアと仲良くなったようで、頻繁に公爵家を訪ねてきているようだ。視線が合うと、まるで値踏みするようにこちらを見てくるから、ランドールはアリーナが少々苦手だった。
「東の大通りと言ったな」
「ええ、まあ」
東の大通りを城壁に向けて進んでいくと、ソフィアの父を名乗ったガッスールという男が暮らしている地区がある。まさかとは思うが、その男に会いに行ったのではなかろうか?
(勝手な行動はするなと釘を刺しておいたのに……!)
もちろん、まだそうと決まったわけではないが、ランドールはいてもたってもいられずに、従者を伴って部屋から飛び出した。