悪役令嬢と父を名乗る男 6
ヴォルティオ公爵家からの家までの道を歩きながら、テオはソフィアに手土産でもらったクッキーの入った袋を見つめた。
ヴォルティオ公爵家の料理人の作ったクッキーで、バターがたっぷり使ってあっておいしいらしい。
昔は、ソフィア自身が母親と一緒にクッキーを焼いて、遊びに来たテオにふるまってくれていたなと思い出して、テオは少し淋しい気持ちになった。
ソフィアの母が亡くなり、ソフィアが誰かに連れて行かれたと聞いたテオは、ずっと彼女のことを探していた。
テオの父親や近所のおばさんたちは、ソフィアの家族が彼女を引き取ったのだろうと言っていたが、今までソフィアとその母を放っておいた「家族」が彼女のことを大切に扱うとは、テオには到底思えなかった。
もしソフィアが泣かされているのならば見つけ出して、連れて帰ろう。ちょっと早いけれど、親父もソフィアと結婚すると言えば反対はしないはずだ――、テオは子供のころから温めていたソフィアに対する小さな恋心をもって、そう決意していた。
けれどもソフィアはなかなか見つからず、彼女が連れ去られて一年半以上が経った頃――、テオは思わぬところから彼女の名前を耳にすることとなった。
ソフィアのことを口にしたのは、テオの父親の経営する『三日月亭』の、一年ほど前からよく見かけるようになったギャンブル好きの飲んだくれであった。名前をガッスールと言い、四十をすぎたおっさんだ。
ガッスールはいつも借金取りに追い回されているようなろくでなしだった。その男がどうしてソフィアの名前を――、問い詰めようとしたテオだったが、父親に止められて、酔っぱらった彼がぺらぺらと喋り出すのを黙って聞いた。
どうやらガッスールには近々「娘」ができるらしい。連れ子のいる女と結婚でもするのかと思ったテオだったが、ソフィアの名前を聞いて驚いた。
ソフィアという名前は珍しくないかもしれないが――、まさか。
話を聞くと、ソフィアという名前のガッスールの娘(予定)は、ヴォルティオ公爵と結婚しているらしい。これで公爵家と縁続きだ、気前良くも近くにいる人間たちにまで酒をおごりはじめたガッスールに、テオは訝しんだ。
相手が公爵の妻になるような子供を持つ女が、ガッスールのようなろくでなしと結婚するだろうか?
何かきな臭い気配を感じて、テオがやはりガッスールを問い詰めようとしたとき、テオは父親にぐいっと襟首をつかまれた。
「行くな。あんまり関わらない方がいい。つい最近、あいつはフードをかぶった女を連れてきたんだが、そのとき女から何かを渡されていたんだ。今思えばありゃ、金の入った袋だったに違いない。妙な匂いがする。知らん顔してろ。巻き込まれちゃたまらん」
「だけど親父、ソフィアって」
「町で暮らしていたソフィアが公爵様の妻なわけないだろ。お前はソフィアの名前に反応しすぎだ。おら、この酒をあっちのテーブルに持ってきな」
テオは渋々、父親から麦酒の入ったグラスを受け取って、ガッスールとは反対のテーブルに向かった。
背後でガッスールが下卑た笑い声をあげている。もしも、だ。もしもあいつがテオの探しているソフィアの父親になるとしたら――、テオはゾッとした。やっぱり黙って見ていることはできない。確かめなければ。
そう思って、門前払い覚悟でヴォルティオ公爵家へ向かったテオは、そこにかつて近所で暮らしていたソフィアを見つけて驚いた。まさかとは思ったけれど、本当に公爵家へ嫁いでいたなんて――
テオの心臓が嫌な音を立てて、淡い恋心とともにひび割れたような気がしたが、テオはそんな感傷を首を振ることで追いやると、ソフィアにガッスールのことを話した。
どうやらソフィアはガッスールのことを知っていたらしく、テオの話を聞いて戸惑ったような表情を見せた。
聞けば、ソフィアにはほかに父親を名乗る男がいるらしく、ガッスールが現れたことで混乱しているそうだ。
ソフィアによると、ガッスールはソフィアに実の父親だと言ったらしい。だが、そんなはずはないだろうとテオは思った。ソフィアの母親であったリゼルテは気立てのいい美人で、ガッスールのようなろくでなしに捕まるような女ではないはずだ。ましてや複数の男と関係を持つようなタイプでもない。
テオはソフィアに、しばらくガッスールの近辺を探ってみると約束した。
その帰り際、公爵家の玄関先で背の高い一人の男とであったが、もしかしなくともあれがソフィアの夫だったのだろう。
(……昔から美人だったけどさ。なんか違う世界に行っちまったみたいで淋しいな)
クッキーも、こんな洒落た袋に入ったものではなくて、皿の上に乗った少しいびつな形をしているものの方が、断然うれしかった。
話した感じ、ソフィアはあの頃から何も変わっていない優しい娘のようだった。けれどもテオにはわからない遠くの世界に行ってしまったのだ。
(いい男だったな、あいつ……)
玄関先であった男。赤毛にはしばみ色の瞳をした、精悍な顔立ちの美丈夫だった。逆立ちしたって、勝てそうもない。
「ちぇ……」
ソフィアを見つけて俺が守るんだ――なんて思っていた自分はなんて馬鹿だったのだろう。小さな居酒屋の息子よりも、金持ちで美男な公爵様の方がソフィアは幸せに決まっている。
テオは感傷を振り払うようにぐっとクッキーの入った袋を握りしめると、石畳を蹴って走り出した。