悪役令嬢と父を名乗る男 5
「なんだったのかしらね?」
ランドールが部屋から出て行ったあと、ソフィアがきょとんとしていると、隣のオリオンが大爆笑をはじめた。
「あー、いいもん見た!」
「どうしたの、急に」
「どうしたもこうしたも、あんた気づかなかったの? あれ、絶対に嫉妬してたわよ」
「嫉妬!?」
「ねえイゾルテ?」
「ええ、わたくしもそのように見受けられました」
結局ランドールがいなくなってしまったために、紅茶が一つ余ってしまい、イゾルテはそれを片付けながら「うふふ」と楽しそうに笑う。
「奥様がオリオン様にチョコレートを食べさせて差し上げたから、やきもちを焼かれたのですわ」
「まさかぁ」
ランドールはソフィアを避けて家にも帰らない夫である。やきもちなど考えられない。しかも相手はオリオンだ。ありえない。
けれどもオリオンとイゾルテは、ランドールの様子を思い出したのか、にやにや笑っている。
「旦那様は態度はああですが、奥様のことを大切に思われているのですね。わたくし、ちょっと安心いたしましたわ」
「……そうかしら?」
そうだと嬉しいが、毎回冷たい態度しか取られないので、ソフィアは半信半疑だ。
国王からもらったチョコレートに舌鼓を打ちながら、ソフィアはふとつい先ほど訊ねてきた少年のことを思い出した。
「ランドールが来たからすっかり話が途中になっちゃったわ。テオの件、オリオンはどう思う?」
テオというのは先ほど訊ねてきた黒髪の少年のことだ。ソフィアよりも一つ年下の彼は、ソフィアが市井で暮らしていたとき、近所に住んでいた少年である。
テオはソフィアが城に引き取られたことを知らなかったが、つい最近、彼の父親が経営する居酒屋「三日月亭」でソフィアの名前を聞いて、彼女がランドールと結婚したことを知り、慌ててここに訪ねてきたのだ。
けれども薄汚れたシャツとズボン姿のテオは、危うく門前払いを食らいかけて、たまたま窓の外を眺めていたソフィアが気がついて中に入れてもらったのである。
「どうもなにも、いよいよきな臭いって感じよ」
「わたくしもそう思いますわ」
テオとの会話を一緒に聞いていたオリオンとイゾルテが頷く。
イゾルテは一昨日、ソフィアの父親を名乗る男が現れたことを知っている。というか、ランドールから公爵家の使用人に通達が行き、もしもガッスールが現れたら追い返すようにと指示が出されていた。
テオはそのガッスールのことでソフィアに会いに来たのである。
「わたしの名前を出して、『これで一生食うには困らない』とガッスールが言ったって言ってたわよね」
ガッスールは、テオの父親の経営する「三日月亭」の常連らしい。彼はギャンブル好きで、いつも借金取りに追われていたが、最近は羽振りがよく上機嫌で、連日のように上等な酒と肉を食べて帰っていくのだそうだ。
常連客の一人がそんなガッスールに理由を訊ねたところ、彼は「俺にソフィアという娘ができて、そいつのおかげで一生食うには困らない」というようなことを言ったらしい。
「まるでソフィア様のことを金ずるみたいに。そんな方がソフィア様のお父様なわけございませんわ!」
イゾルテが憤慨して、がちゃんとティーカップをおいた。
「まあ、本当の父親だからこそ、娘が公爵夫人になっていたから一生楽な生活ができると考えた――、と見てもいいかもしれないけど、そうだとしたら、すでに羽振りがいいっていう点がおかしいのよね。だってガッスールとソフィアは一昨日会ったばかりで、誰もお金なんて渡してないもの」
「その通りでございますオリオン様!」
「じゃあ、何かあるってこと?」
「そうねぇ。まあともかく、アリーナの調査も待ちましょう。ついでにテオもガッスールの周辺を調べてくれるって言ってるんでしょ?」
「うん」
テオは昔からソフィアに優しい少年だった。彼自身はソフィアが城に連れていかれる少し前まで近所の若い連中を束ねるガキ大将のような存在だったが、今ではすっかり落ち着いて、店を経営する父親を手伝っているようだ。
子供ころに頬に泥をつけて生えかわり途中の歯抜けの歯を見せて「ソフィアは俺が一生守ってやるからな」と笑った少年の顔を思い出して、ソフィアは、無茶をしなければいいけれどと小さく息を吐きだした。